カテゴリー「司法時評」の記事

2012/05/10

■支援者の犯罪

選挙の前に、「○○をよろしく」とか「○○事務所ですが、今日は投票日ですがもう投票に行かれましたか」というような電話があると、私はその候補に投票しようと思っていても、投票はしないようにしています。
理由は言うまでもないでしょう。
そういうことが毎回起こりますので、最近は市会議員選挙がとても憂鬱です。

それはともかく、数日前にメーリングリストで、小沢事件の控訴をしないように3人の検察側弁護士に電話しようと、電話番号まで書いた呼びかけがまわってきました。
その人は、自分は3人と電話で話したとも書いていました。
その人の、これまでのメーリングリストへの投稿記事は、私には共感できるものが多かったのですが、これからはもう読まないことにしました。
そのメールを読んだ時に、もしかしたら控訴されるかもしれないと思いました。
しかし、まさか本当にそうなるとは思ってもいませんでした。
今回の控訴の引き金は、たぶん小沢さんの支援者が引いたと思います。
小沢さんは不幸な支援者を持ってしまったわけです。

こうした事例はたくさんあります。
自称「支援者」の多くは、支援する人の存在に寄生している人ですから、主体性は皆無です。
支援する人の都合などは一切考えません。
「支援」されている人にとっては、実に迷惑な存在でしょう。
それが芸能や経済の世界であれば、まあ被害はさほどではないのですが、政権に関わるような政治の問題となると影響が大きいです。
しかし、そうした人を罰することは難しいでしょう。
その人は、自己の「正義感」をますます高め、活動はエスカレートしていくでしょう。
彼にとっては、挫折こそが好ましい結果を生むわけです。
これは「産業のジレンマ」と私が読んでいるものと通じています。
つまり「近代のジレンマ」なのです。

小沢控訴でがっくりしてしまい、どうもまた元気が出てきません。
たった3人の弁護士が国の命運を決めてしまう仕組みにも、改めて驚かされます。
3人はこれでしばらくまた仕事を得られます。
ここにも「近代のジレンマ」が存在しています。
近代の仕事は、見事にオートポエティックなのかもしれません。
なんだかクラインの壺にはまってしまっているような、不気味さを感じます。

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2012/04/27

■小沢さんのけじめ、検察のけじめ、マスコミのけじめ

小沢事件の判決は無罪でした。
昨日は判決が気になって、ずっとテレビを見ていました。
無罪になって安心しましたが、裁判そのものが有効だとされたのは、がっかりでした。

報道されているように、小沢さんの言動にはすっきりしないものがあります。
それはそうでしょう。
しかし裁判は、人格や生活を裁く場ではありません。
ある特定の「事件」を裁くものです。
そうした視点から考えれば、小沢さんの言動以上におかしい言動はあります。
そもそも検察が嘘をつくことによって、強制起訴されたとも思えます。
それによって、どれだけの費用と時間が浪費されたことか。
それ以上に、日本の政治が停滞したことをどう考えるか。
そういう視点は忘れてはいけません。
小沢さんの政治家としてのけじめを説く人は多いですが、けじめをつけるべきは、検査とマスコミだろうと思います。
とくに文書捏造を行った検察関係者が起訴されないことに怒りを感じます。
そして、これほどの小沢憎悪状況をつくりあげたマスコミやそこに登場しているコメンテーターやキャスターも、少しは反省して欲しいものです。
日本では、いまや「反省」や「謝罪」の文化は消えつつあるのがさびしいです。

福島原発事故も、まだ何の総括も出来ていません。
にもかかわらず、原発再稼動に動き出しています。
そこには「反省」も「謝罪」もありません。
あるのは居丈だけな「恐喝」と「弁解」です。

昨日、敦賀の人と電話で話しました。
夕方大飯原発の説明会が行われる前です。
みんな仕事がなくなってきているので、大変だそうです。
再稼動しないと仕事はなくなると言われれば、反対もそうはできなくなりかねません。
原発を止めても仕事が生まれることを示す努力をすればいいだけの話ですが、その努力は意図的に行われていません。
自然エネルギーコストを高くするのと同じです。
コストなどは、どこまでを考慮するかで、いくらでも変えられます。
しかし、自ら考えることなく与えられた知識を覚えるのに慣らされてきた人たちは、相変わらず学者や管理者の出す数字に従います。
データなどは作られたものなのですが、知性のない人にはそれが大きな強制力を持っているのです。

小沢さんにけじめを要求するのであれば、同じように検察とマスコミにもけじめを求めるべきです。
ちなみに、私はいずれにもけじめは求めません。
けじめるのは、自ら、です。
けじめを求めるって、一体なんなのでしょうか。
けじめるべきは自分であって、他者にではないでしょう。
こんな社会に生きるのが、最近はとてもいやになってきています。

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2012/02/20

■死刑確定になってしまいました

光市母子殺害事件の差し戻し後の上告審判決は上告を棄却し、死刑が確定しました。
複雑な重いです。
この裁判に対しては、私は安田弁護士たちの言動に強い違和感を持ちましたが、それを読んだ見知らぬ人が、わざわざ私のオフィスまで、安田弁護士の書いた本を届けてくれて、私の考えへの疑問を呈してくれました
安田さんのこれまでの活動もきちんと読ませてもらいました。
また、最初は私も自殺支持者でしたが、いろいろと考えているうちに、自殺反対に考えが変わりました。
私にとっても、とても気になる判決でした。

被告の育った環境も次第にわかってきました。
それを知らずに、考えていたことを反省しました。
誠実に考えれば、そうしたことは思いついたはずでしょう。
まだまだ私の視野は狭いです。
被告の生い立ちなどを知るにつれて、ますます死刑には反対になりました。
本当の犯人は、どうも違うところにあるような気がしてきたのです。
まさに先日書いた Wilfil blindness です。

しかし、安田弁護士たちのとった行動にはますます違和感が高まっています。
もっと普通の感覚で、そうした背景や情報を社会に誠実に伝えていけば、今のようなことにはならず、もしかしたら安田弁護士たちが目指している「死刑制度の是非」を議論できる状況が生まれたのではないかと思うのです。
安田弁護士の発言は、誠実に生きている生活者には耳を疑うものでした。
目線の高さも感じました。
私のように、素直に感覚的に生きている者には、嘔吐したくなるほどの嫌悪感を生む言葉でした。
それに専門家の傲慢さを感じさせるものでもありました。
安田弁護士の、本来の思いや誠実さは、残念ながら私には読み取れませんでした。
実に残念です。

最近は、死刑支持者が増えているように思いますが、これからも第2、第3の福田被告のような若者が出てくるかもしれません。
それがとても悲しいです。

被害者の家族の原告にとっても、死刑は本当に良かったのか。
考えることが多すぎる裁判でした。
裁判が結審しても、どうもすっきりしません。

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2012/02/06

■家庭を壊す裁判官

子どもの連れ去り・引き離しが最近増えているそうです。
離婚によって、わが子との交流を一方的に断たれた親が悲観して自殺するケースも起こっているそうです。
そうしたことも踏まえ、離婚時に子どもとの面会交流の取り決めを定めることをうたった改正民法が今年5月成立しました。
当時の法務大臣江田さんは、国会で、
「たとえ別れた元夫、元妻との交流であっても子の健全な育成のためには重要」
「例外はどんな場合でもありうるが、(面会交流の実現に)努力をしようというのが家庭裁判所の調停または審判における努力の方向だ」と国会で明言しています。
最高裁の豊澤佳弘家庭局長も、「子どもの健やかな成長、発達のために双方の親との継続的な交流を保つのが望ましい」と答弁したそうです。
ところが、そんなことなどどこ吹く風かとばかり、子どもの連れ去り・引き離しを言い渡す裁判は後を断たないようです。

週刊朝日の2011年12月23日号に、『「子ども連れ去り」で飛び出した裁判官の“トンデモ”発言』と題した記事が載りました。
上記の文章は、そこから引用させてもらったものです(書き変えていますが)。
そこで取り上げられている裁判官は、若林辰繁裁判官です。
この分野では何回も問題を起こしている裁判官のようです。
ネットで調べるといろいろと出てきます。

週刊朝日の記事を、長いですが、引用させてもらいます。

自身の離婚審判に臨んでいた30代の父親は、改正案が審議された国会の会議録などを示し、
「子どもの利益を第一に考えた審査をしてほしい」と、担当の若林辰繁裁判官に訴えた。
 ところが若林裁判官は、こう言い放ったという。
「法務大臣が国会で何を言おうと関係ない。国会審議など、これまで参考にしたことは一度もない」
父親は驚いた。司法は立法府から独立した存在であるとはいえ、裁判官は立法者、すなわち国会が定めた法律に拘束される。憲法にもそうあるではないか。
「立法者の意思をまったく無視して法解釈していいと判断する根拠はなんですか。司法は立法府より上の立場ということですか」
こう食い下がると、若林裁判官は、「あなたと法律の議論をするつもりはない」と、その場を立ち去ってしまったという。

この父親は昨春、3歳の娘を妻に突然、連れ去られて以来、妻側から身に覚えのないDVで訴えられ、疑いは晴れたものの、その後もわずか数時間の面会を何度か許されただけだ。もう1年以上、会っていない。

以下は週刊朝日の記事を読んでください。

先週、その若林裁判官によって、実際に家庭を壊されたMさんに会いました。
裁判時に提出した資料の一部も見せてもらいました。
Mさんは自らをDV冤罪の被害者だと言っていますが、見せてもらった資料などから、そのことがかなり納得できる話でした。
裁判所は正しい判断をしてくれると、Mさんはそれまで思っていたようですが、いまは裁判への不信と怒りで、自らの人生までをも壊されているようです。
話を聞きながら、私も若林裁判官に不信を持って、ネットで調べたら、同じような目にあっている人が他にもいることがわかりました。
Mさんは若林裁判官を起訴しましたが、棄却されています。
裁判官は多くの場合つるんでいますから、Mさんには勝ち目は少ないでしょう。
「正義」を語る人ほど、正義を私物化しているものです。

週刊朝日の記事に書いてありますが、若林裁判官は司法の世界でも問題になっているようですが、どうしようもないようです。
痴漢事件にしろDV事件にしろ、私は冤罪が多いのだろうと言う気がしていますが、泣き寝入りしている人は多いでしょう。
しかし確実に家庭と人生は壊されます。
Mさんは、裁判にはお金がかかるので続けられないと言っていました。
家も手放さざるを得ないようです。
制度で守られた裁判官の暴政に、弱い庶民はどう立ち向かったらいいのでしょうか。
私のできることは、そうした事件が起こっていること、そうした裁判官がいることを、一人でも多くの人に知ってもらうことくらいです。
そして、Mさんが怒りから解放されることを祈っています。
とんでもないことをして、若林裁判官と同じような人間にならないことを祈るばかりです。

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2012/01/17

■「信条に忠実であるほど心理的に追い込まれている者」

君が代訴訟の最高裁判決が出ました。
処分への歯止めとなる内容と言われますが、私には違和感の残る判決です。
大阪市の橋下市長が、これによって少し動きを変えたのは歓迎できますが。

新聞で報道された判決要旨では、桜井裁判官の補足意見に共感できるものがあります。
次のような意見には「人間」を感じます。

 不起立行為は、行為者の歴史観に起因してやむを得ず行うもので、式の妨害が目的ではない。保護者の一部に違和感、不快感を持つ者がいても、教育活動、株序維持に大きく影響している事実は認められない。
 処分対象者は、自らの歴史観との葛藤を経て、信条と尊厳を守るためにやむを得ず不起立を繰り返すことを選択した。信条に忠実であるほど心理的に追い込まれている者がいることが推測できる。
私は、日の丸も君が代も受け容れています。
国歌斉唱には声を出して歌いますし、日の丸も嫌いではありません。
しかし、もし強制的に歌えといわれ、国家を祝祭日に掲げよといわれたら、たぶん従わないでしょう。

しかし、学校の行事で、教師がどうして君が代が歌えないのか、国旗の前で立ち上がれないのかという思いもないわけではありませんでした。
矛盾があったわけです。
私が、桜井さんの意見にある「行為者の歴史観」が、抽象的な理屈ではないことを知ったのは恥ずかしいことながら8年ほど前です。
ある方の文章を読んで、それを知りました。
それについては、ホームページ(CWSコモンズ)に書きました
歴史観は、理屈ではなく、体験知なのだと気づきました。
それを否定することは、その人の人生をないがしろにすることなのです。
それがわからない人には、教育などできようはずがない、と気づいたのです。

「信条に忠実であるほど心理的に追い込まれている者」という表現にも共感できます。
そこに感ずるのは、誠実な人柄です。
もし私が親であれば、そうした教師に子どもを預けたいです。
しかし最近の多くの親はどうもそうではないようです。
それが不思議でなりません。

信条は、人さまざまでしょう。
しかし信条をしっかり持った人は、自らとは異なる信条を持った他者を理解できるはずです。
信条と無縁な小賢しい者どもが、信条を持つ者を抹殺しようとする動きには抗いたいものです。


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2011/12/17

■検察の本性

昨日行われた小沢裁判の公判の証人尋問での、前田元大阪地検特捜部検事の発言は驚くべきものです。
国の根幹に関わるものだと思いますが、マスコミの取り上げ方は必ずしも大きくありません。
彼らも小沢潰しに加担したからでしょうが、検察のあり方は、国家の形の根幹に関わっています。
それにしても、醜い話であり、恐ろしい話です。
いつ自分の身に降ってくるかもしれませんが、それゆえに、みんなひっそりと目を合わせないようにしているのかもしれません。

毎日新聞の記事によれば、「検察は検察審査会に、石川議員の取り調べを巡る弁護人からの抗議に関する書類を提供していない。審査員が見れば(石川議員の)調書の信用性は減殺される。私が思っているだけだが、隠された証拠だと思う」と証言し、石川議員の調書を根拠とした強制起訴の議決に疑問を呈した」と発言したそうです。
これが事実なら、当該の検察官は明らかに犯罪者です。
国家転覆罪とまではいいませんが、暴力機構を私物化した犯罪者であり、極刑に値すると私は思います。
司法の根幹が壊れているとしか思えませんが、しかし、それこそが「検察の本質」であり、「司法の本質」かもしれません。

橋下前大阪知事は、日本は国の形を変えないといけないと盛んに言っています。
どう変えていくかは大きな問題ですが、その主張には共感します。
橋下さんが抹殺されなければいいのですが。
すでに魔手は動いているでしょうが。

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2011/10/07

■小沢さん報道で思うこと

小沢さんのニュースで報道は覆われてしまいました。
大きな意味を持つ事件ではありますが、その取り上げ方にはいささかの懸念もあります。
また、その陰でいろんなことが進められてしまう事が多いので、それも気がかりです。
しかし最近の新聞は、前にも書きましたが、記事の数が少なく、小さな動きはわかりません。
そもそもこの事件は、マスコミが育て上げてきた事件でもあります。
国民の多くがなぜ小沢さんをこれほど嫌悪するのか、私にはよくわかりませんが、マスコミが関与している事は否定できないでしょう。

もし同じような嫌疑を私がかけられたら、逃げようがありません。
私も桁が大きく違いますが、少しばかりの貯金がありますが、その出所を聞かれても答えられません。
しかも無罪を自分で証明するなどと言うことは、私には到底出来ません。
裁判官の推断で有罪になるような裁判制度では、法治国家とはいえません。

ブログで書いたこともありますが、私も一度、自転車に盗難保険証が貼っていなかったために犯罪者にされるところでした。
事の顛末はブログをお読みください。文京区元富士警察署天神町交番の山下巡査はもう定年で辞めたかもしれませんが、一人の巡査にさえ疑われたら無罪を証明することは難しいのです。
疑われるようなことをするなと思われるかもしれませんが、自転車はいつもマンションの屋外に駐輪していてほとんど乗らないので誇りまみれで、しかも私の服装がカジュアルすぎて、ホームレスのようだったのかもしれません。

私だけでなく、村木さんのようなキャリア官僚でさえ、抗弁できなかったのです。
権力とはそういうものです。
村木さんが当事者になってやっと気づいたように、支配する側の論理は論理ではありません。
支配が目的なのですから、論理はいかようにもつけられるのです。
だからこそ権力を裁く司法の世界は自立して、しかも透明性を実現しなければいけません。
それが司法改革の基本でなければいけません。

4億円の説明を問われて、小沢さんは検察に訊くように答えました。
自分よりも良く知っているから、と付け加えて。
私もそう思います。
検察は知り合えた事実を公開すべきです。
そこにもし疑いがあれば、起訴すればいいだけの話です。
起訴もせずに、なんとなく怪しいという雰囲気を出しているのは、私には卑劣としか言えません。
それに加担しているのがマスコミです。
国会で証言するのもいいでしょうが、そんなことで国会の時間をとってほしくありません。
どうせ内容のないやりとりで終わるでしょう。

問題は小沢さんが有罪か無罪かではなく、この国の危機を乗り越えられるかどうかです。
小沢騒ぎの陰で、誰が笑っているのか、それが気になります。

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2011/09/07

■2つの会見報道

テレビで2つの会見報道を見ました。

一つは、大阪地検特捜部の証拠改ざん・隠蔽事件で起訴されている大坪元検事と佐賀元検事です。
「有罪か無罪かは証拠で裁判所に判断していただく」という言葉が、いかにも白々しいです。
先日、検察の裏金を告発した三井元検事の講演も聞きましたが、みんな自分がその立場になるまでは「自分こそ正義」と思っていたのでしょう。
こういう事件が何回起きたら、検察の正義幻想は消えるのでしょうか。
日本の司法改革の実態は、もっとしっかりと見直すべきだろうと思います。
私は、そこに政治と経済の影を色濃く感じます。

もう一つは、中国漁船衝突事件現場の映像をインターネットに流出させた一色正春元海上保安官の取材報道です。
当時の民主党の対応はもっとしっかりと議論されるべきですが、うやむやになっています。
一色さんは、「私の役割は映像を投稿した時点で終わったと思っているが、事件の問題点、論点がそれてしまった気がする。今年8月には中国公船が領海内に侵入、一段階上の状態になっているが政府から何か手を打とうという意思は感じられない。民主党代表選でも外交・防衛には一言も触れていない」と嘆いていました。
彼の自らを犠牲にした警告を、民主党政権は受け止めていないままのようです。
また、司法への政治加入に関して、なぜもっと司法界から異議申し立てが出てこないのか、不思議です。

2つの報道を見て、さまざまな思いが浮かんできました。
日本の司法はどこに向かおうとしているのでしょうか。
司法界のみなさんにお聞きしたものです。

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2011/09/01

■石川ともひろ講演会

昨日、市民連帯の会(代表:三井環)主催の「石川ともひろ講演会」を聞きに行きました。
石川さんとは、もちろん小沢一郎さんの秘書の石川さんです。
タイトルは「政治の迷走を生んだ陸山会事件」です。
残念ながら陸山会事件そのものに関する話よりも、現在の政局の話などに話題が拡散したため、話は面白かったのですが、肝心の事件の真相につながる話はあまりありませんでした。
たぶん当事者にとっては、あまりにもばかばかしくて、話にもならないんでしょう。
検察審査会などは本当にひどい捏造としか、私にも思えません。
マスコミがたたかないのは、原発と同じく、たたいたら災難が降ってくるからでしょう。
元検事の三井さんは、検察はマスコミに意図的にリークして「風を起こすのだ」とご自身の体験を語っていました。
小沢事件は、明らかに政治事件だと思いますが、マスコミは完全に反小沢ですから、正確な情報は流れません。
例の厚労省の村木事件がはっきりと示していますが、当事者にならない限り、みんな検察は正義だと思っているのです。

石川さんは最近、「悪党」という、小沢一郎さんに関する本を出版しました。
政治評論家の岩見陸夫さんが褒めていますが、昨日、石川さんの話を聴いて、石川さんを見直しました。
彼は小沢さんをいまも信奉していると思いますが、したたかなに動いているような気がします。
かなりの人物です。

三井さんは検察の裏金を告発した元検事です。
後半は、三井さんと石川さんの対談でした。
面白かったです。
すべてを失った者の話には共感できるものが多いです。

光市母子殺人事件の安田弁護士が石川さんの弁護をやっているようです(間違っているかもしれませんが、そう聞えました)。
安田弁護士は、このブログで私は酷評していますが、きちんと本人の話を聴かなければいけないと思いました。
機会を見つけて、講演をお聴きするつもりです。

しかし日本の司法は腐っています。
改めてそう感じました。

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2011/06/24

■死刑制度と「赦し」

4月29日に、私のオフィスに1冊の本が投函されていました。
ブログの読者からの投函でした。
CWSコモンズの記事(「読者から届いた1冊の本」)を読んでもらえればと思いますが、私のブログの光市母子殺害事件に関する安田弁護士への私の批判には同意できないというというのが、本に挟まっていたメッセージでした。
手紙に書かれていたメールアドレスに連絡しましたが、アドレスが違って書かれていたようで、いろいろとトライしましたが、届きませんでした。
この話はブログにも書きました

本は読ませてもらいました。
内容は基本的に共感できるものでした。
私も検事を目指した時期もあるほどですから、冤罪への怒りは大きいです。
きっかけは、中学のころ観た映画「八海事件」でした。
それ以来、権力への不信感が始まり、私の人生は大きく方向づけられたような気がします。

死刑制度には私も反対ですし、昨今の裁判制度にも違和感どころか拒否感があります。
ですから死刑制度反対に取り組む安田弁護士たちの活動には共感できます。
しかしだからこそ、光市母子殺害事件に関連しての安田弁護士の発言には大きな違和感があります。
それは今も変わっていません。

今日、時間があったので、思い出して、安田弁護士の講演録をネットで探して読ませてもらいました。
元プロボクサー袴田巌さんを救う会「キラキラ星通信」第61号に掲載されている記事です。
「日本の裁判はどこまで信用できるか」と題して、安田弁護士が講演しています。
とてもわかりやすく、とても共感できます。
講演時期は2006年の11月です。
私が安田批判をした前年です。
もしこの時に、この記事を読んでいたら、たぶん私の批判のトーンは変わっていたでしょう。

私が安田さんのメッセージに心引かれたのは、講演の最後の「赦しについての話」です。
ある事件で殺害された若者の父親は、加害者の謝罪の言葉に絶対に耳を貸しませんでした。
ところが9年目にして、加害者を赦すのです。
そして、父親は加害者に「頑張れよ」という手紙を出すのです。
その話を紹介した後に、安田弁護士はこう話しています。

彼を死刑にした場合に、この十年後の赦しはあっただろうか。お父さんは、もし彼の謝罪がなかったら、今のような気持ちになれただろうか。憎しみが残ってたかもしれない。僕は死刑は絶対なくさなければならないと思ってるんです。それは人道に反するだけじゃなくて、死刑によっては絶対にものを生まない。人間の信頼は回復しない。僕はそれを見て、人間はこんなにすごいものなのか、人間はこれほど信頼できるものなのか。
中途半端な引用なので、ぜひ本文を読んでください
長いですから、最後の「赦しについて」のところだけでもいいです。
安田さんへのイメージが変わりました。
もちろんブログに書いたことを撤回するつもりはありませんが、いささか短絡的だったかもしれないと、そんな気持ちになっています。

本を届けてくれた人に会いたくなりました。
もしこの記事を読んでくださったら、メールをいただけないでしょうか。
湯島に来てもらってもいいです。


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