カテゴリー「平和時評」の記事

2022/11/23

■「原爆投下、米国人医師は何を見たか」(原書房)をお勧めします

先日、朝日新聞で、アメリカのウィリアムズ大のジェームズ・L・ノーランjr.教授のインタビュー「核の正当化にあらがう」を読みました。

ノーラン教授の祖父は、原爆開発のためのマンハッタン計画や広島・長崎への原爆投下に医師として関わったそうです。その祖父の残した資料に出合い、そこから改めて、マンハッタン計画から原爆投下、さらにはマーシャル諸島での原爆実験などを調査し、祖父の資料を公開しました。日本でお今年の7月に翻訳出版されているのを知りました。

原著は「ATOMIC DOCTORS」、翻訳は「原爆投下、米国人医師は何を見たか」(原書房)です。翻訳の副題は「マンハッタン計画から広島・長崎まで、隠蔽された真実」とありますが、マーシャル諸島での原爆実験(いわゆる第5福竜丸事件もそこで起こりました)に関する隠蔽事実なども含まれています。

ノーラン教授もインタビューで応えていますが、もし医師たちが報告していた原爆の起こした放射線被害が世の中に公開されていたら、歴史は変わっていただろうと思います。しかし、本書で明らかにされているように、米軍はその事実を隠蔽し、実用可能な兵器として展開してきているわけです。
教授は、壊滅的な被害をもたらす兵器を肯定する考え方の源流には、広島・長崎における放射線の影響を隠蔽した米軍の活動があるとも語っています。

本書の「放射線とその言説の管理」と「ビキニとエニウェトク」はとても興味深いです。たぶんそこで書かれている米軍の体質はいまもなお変っていないでしょう。
そしてもっと恐ろしいのは、多くの日本人さえもが、核兵器のもたらす被害を過小評価していることです。さらに、私は核兵器と原発は同質のものと捉えていますが、いまだに「核の平和利用」などという言説を多くの日本人が信じていることも不安です。

ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思い、紹介させてもらいます。
とても人間味あふれる読み物になっていますが、そこからのメッセージはいろいろなことを考えさせられます。

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2022/08/14

■「戦争とは誰かが私欲のために引き起こし利用するもの」

ハーバート・フーバーの「裏切られた自由」下巻を一応読みました。
と言っても、下巻は史料が多いのと、私の関心事から外れたところが多いので、一部の拾い読みで終わりました。そのおかげで、600頁でしたが、2日で終わりました。まあ目次を読んだ程度でしかありませんが。

その中に、対日本政策と原爆投下事情やロシアの参戦に関わる部分、そしてポツダム会談のあたりの話が出てきます。
それを読んでいて、「戦争とは誰かが私欲のために引き起こし、利用するもの」だと改めて思いました。いまさらなんだと笑われそうですが、いまのウクライナ戦争も、そういうことで停戦には至らないのでしょうか。その構図が見えてくるようです。日本政府もおそらくそれに加担している。誰も終わらそうとは思っていないような気がしてなりません。

 先の戦争で言えば、日本の降伏意図は、アメリカ政府にもロシア政府にも伝わっていたにもかかわらず、あえて原爆投下やロシア参戦を引き起こすために戦争は引き延ばされていたようです。戦争は「未来のために」行われることがよくわかります。

それと最後にハーバーの思いもかなり出ている論考も史料に残されていました。
特に、資料13「ルーズベルトの外交政策の評価」は興味深かったです。

 明日は日本では戦争が終わった日として位置づけられています。

「裏切られた自由」を読んだおかげで、今年の815日は、これまでとちょっと違った気分で迎えられそうです。改めて「戦争」とは何なのかを少し考えてみようと思っています。

 

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2022/08/12

■「どんな人であれ、殺されていい人なんていません」

アルカイダの指導者アイマン・アルザワヒリ容疑者(71)が731日、アメリカのミサイル攻撃で殺害されました。
この種のニュースが流されるたびに、どうしてこんなことが許されるのか不思議に思います。とりわけ安倍元首相の狙撃事件の後に、こういうニュースが流れると、なぜ一方は「犯罪」で、一方は「犯罪」にならないのか、頭が混乱します。

先日、日本での死刑執行のニュースが流れた時にも、頭が混乱しました。
「どんな人であれ、殺されていい人なんていません」と杉下右京や天樹悠がテレビドラマでよく話していますが、彼らは死刑制度をどう考えて、刑事などの職業をつづけているのでしょうか。彼らの論理で言えば、彼らも「犯罪」に加担しているとは言えないのかとさえ思います。

気のせいか、テレビの犯罪ドラマでは、加害者の犯人に同情したくなるような話が最近多いような気がします。いま放映されている「遺留捜査」では時に涙が出そうになるほど、犯人には哀しい事情があるのです。単純な私としては、刑事よりも犯人に同情したくなることさえありますが、でも、だからと言って、誰かを加害していいわけではありません。
しかし、それを延長していくと、やはり私にはどう考えても、ウクライナ戦争はプーチンだけを責める気にはなれません。

どんな形であれ、人が人を殺めることのない社会になってほしいと思っています。

 

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2022/08/09

■「裏切られた自由」とベリングキャット

「ベリングキャット」は、イギリスに本拠を置く、調査報道機関です。ウェブサイトでいろんなことを公開していますが、そこで報告されていることは、すべて公開されている情報を収集・分析することで導かれだされた「事実」だそうです。
蛇足的に言えば、公開情報をうのみにするのではなく、「解析」し「編集」しているところがポイントです。

友人が、地元の行政活動を、この方式でウォッチしてきています。時々、その結果判明したことを教えてもらうのですが、彼はただ解析するだけではなく、しかるべきところにその事実を報告して、建設的な活動を目指していますので、とても共感できます。但し、私の感じでは、あまり報われることはないようですが。

先日の安倍元首相狙撃事件に関するサロンでも、北川さんと中島さんが、まさにベリングキャット的な報告をしてくれました。
個々の「事実」や「報道」だけでは見えてこないものが見えてきます。
そうした個々の情報から、その意味を解こうとする姿勢を「陰謀論」という言葉で揶揄する人もいますが、事実を読むとは、そうした「隠された意図」を読み解くことと言えるかもしれません。

新聞やテレビのマスコミ情報は信用できないという人がいますが、報道されている情報から何を読み取るかは、受け手次第です。受け手がしっかりしていれば、マスコミ報道にはたくさんの事実が含意されています。

この1週間、一時話題になったハーバート・フーバーの「裏切られた自由」の上巻を読んでいました。上巻だけでもB5版700頁の大部なので、てこずりましたが、ようやく上巻を読み終わりました。
関係者の私信も含まれていますが、この本も「ベリングキャット」手法ですので、読み手のリテラシーが試されます。私には難しくて読み解けないことも多いのですが、とても面白かったです。少なくとも、ベリングキャットの効用は実感しました。

私が先の日米戦争に関するイメージを変えたのは、ジョン・トーランドの「大日本帝国の興亡」全5巻を読んだ時でした。学校で学んだ歴史知識は、まさにプロパガンダそのものだと思い知らされました。

「裏切られた自由」も、私の「知識」を揺るがせてくれました。知識としてはほとんど知っていたつもりですが、ここまで細かく資料に基づいて説明されると、自分の「知っていたつもり」が揺らいできます。「知識」を自分のものにしていくのは、やはり時間がかかりそうです。

明日から、引き続き、下巻に挑戦しますが、上巻で心に残った文章を一つだけ紹介します。同書の第1部第7篇「アメリカ国民の洗脳」に出てくる文章です。

国民に真実を知らせない技術がますます蓄積されている。そのための手段にあらたにラジオ放送という武器(手段)ができた。

ラジオやテレビは、事実を広く広げていくための手段だと私は思っていましたが、どうも当初から統治者たちはそうは思っていなかったようです。
私も根本から「洗脳」されていたのかもしれません。
しかし「ベリングキャット」によって、事実を垣間見るためには、ラジオやテレビは有効なメディアです。

フーバーの努力を無駄にはしたくありません。

 

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2022/08/04

■ゼレンスキーとルーズベルトが最近重なって見えてきました

ウクライナの話題がだいぶ目立たなくなりました。
実態は、しかしそう変わってはいないのではないかと心配です。

思うことあって、前に一度読んだことのある「誰が第二次世界大戦を起こしたのか フーバー「裏切られた自由」を読み解く」(草思社)を読み直してみました。
ゼレンスキーとルーズベルトが最近重なって見えてきたからです。

ルーズベルトこそ、第二次世界大戦を引き起こした張本人だという見方が一時期拡がりましたが、2人とも戦争愛好者なのではないかとふと思ったのです。
ゼレンスキーを支持する人たちも、私にはそう見えて仕方がありません。
まあこんなことを書くとまた思い切り叩かれそうですが。

それはともかく、この夏に、こんどこそハーバート・フーバーの「裏切られた自由」に挑戦してみようと思い立ったのです。
図書館から借りてきてしばらく机の上に置いているのですが、なかなか読む気が起きなかったのですが、昨日、ようやく、編者ジョージ・ナッシュの序文を読みました。序文と言っても100頁もあるのです。
残念ながら、本文1000頁を読もうというモチベーションが起きませんでした。
でもまあ少しずつ読んでみようと思います。

現代を読むときヒントは、必ず歴史の中にこそあると思いますので。

 

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2022/07/27

■ウクライナ戦争を止めたかったら、まずは日本の死刑制度を廃止すべきではないか

2008年に起こった秋葉原での無差別殺人事件の8人目の死者が出ました。
加害者だった加藤さんが死刑執行されたのです。
死刑執行の報道に触れる度に、気が萎えてしまいます。
死刑制度がいまなお日本で認められていることが残念です。

また非難のメールをいただくでしょうが、死刑執行による加藤さんの死と安倍元首相の死との違いがどうも私にはうまく消化できないのです。
それで急に誰かと話したくなり、昨日は29日のサロンを呼びかけてしまった次第ですが、今日、朝日新聞で中島岳志さんの話を読んで、少し救われました。私だけではなかったようです。

朝日新聞に紹介されていた、当時の被害者の湯浅さんの言葉にも感動しました。

「加藤死刑囚は長男と同世代でもあり、恨む感情は起きなかった。どんな人物なのか、同機は何なのかを知りたいと思った」。

湯浅さんの知性に敬意を表します。

どうして死刑を執行してしまったのでしょうか。
なぜ国家は、国民を殺すことができるのでしょうか。
戦争ができるようにしておくためでしょうか。

私には、ウクライナの戦争を止めるよりも、日本での死刑制度を廃止するほうが大切なような気がしてなりません。

 

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2022/06/04

■緊急サロン「ウクライナの戦争状況を止めるためにできることがある」報告

小室nikoさんのよびかけの緊急サロン「ウクライナの戦争状況を止めるためにできることがある」には20代から80代と、幅広い層の男女16人が集まりました。なかには時間の合間をぬって、1時間でも参加したいという人がいるほどで、みなさんの思いの強さを感じました。

Nikoさんは、最初に参加者に瞑想を呼びかけ、その状況のまま、日本国憲法の前文と9条を読み聴かせてくれました。
そして、どうして今回の呼びかけに至ったのかを話し、誰が悪いのか、なぜ戦争は起こったのかも重要だが、ともかく、一日も早く、ウクライナでの戦争を止めたいと語ってくれました。そして、いまこそ日本国憲法の9条を改めて思い起こし、世界に紹介していきたいとも呼びかけました。
SNSで、あっという間に情報が広がる時代なのに、なぜ一方的な(一部の)情報しか広がらず、戦いをやめようという思いは広がらないのか、というのがNikoさんの思いのようです。

そこから話し合いが始まりました。
話はさまざまに広がりましたが、話し合いを通して、気づかなかったことにも気づくことがある。こうやって世界中で話し合う人が増えてくるだけでも、世界は変わるのではないかと私は改めて思いました。

話し合いがある程度進んだ頃合いを見計らって、Nikoさんは参加者みんなに「戦いを止めるアイデア」を一人5つずつ出すように提案し、各自カードに書いて、発表してもらいました。nikoさんからも例示的に10個ほどのアイデアが紹介されました。
たくさんのアイデアが出されましたが、それを整理して話を深めるところまで行く前に、話題が思わぬ方向に転じてしまい、なぜウクライナ戦争は起こったのかという話から、日本の平和や憲法問題にまで発展、時間の関係もあり(なんと1時間半も延びてしまいました)、みんなが出したアイデアはnikoさんが預かることになりました。

そして、nikoさんの呼びかけで、思いを共有する人たちでゆるやかなネットワーク組織をつくり、メールで情報共有したり、何か一緒にできることがあれば実際に取り組んだりしていくことになりました。近いうちにこのメーリングリストでも、nikoさんから呼びかけがあると思いますので、思いを共感する人はぜひご参加ください。

参加者からのアイデアの報告は、nikoさんからあるかもしれませんので、私からは話し合いを通じて感じた3つの「私にできること」を書かせてもらいます。

1は、「戦っているいずれかを、さらにはいずれをも支援しない」ということです。喧嘩をしている人を止めるのに、どちらかを応援するようなことはだれもしないでしょう。応援するということは「火に油を注ぐ」ということではないかと思います。ですから私はいまウクライナで戦争しているロシア政府とウクライナ政府のいずれをも非難もしなければ応援もしないようにしたいと思います。

しかし、それは、ウクライナやロシアに暮らしている人を支援しないという意味ではありません。戦争をしているのは、それぞれの政府やその背後にいるどこかの政府や産軍複合体や多国籍企業であって、市民ではないでしょう。ロシア軍の兵士たちも、もしかしたら、「戦わせられている」のであって、「戦っていない」兵士も少なくないと思います。もちろんウクライナ軍の兵士や国民たちも、ですが。

ですから第2に、「戦火の周辺で生命さえをも脅かされる惨状にあるウクライナやロシアの人たちは支援する」ということです。
サロンでは、あるNPOの人がご自分の体験を紹介してくれました。その人は、自閉症支援などの活動をされているのですが、自分たちと同じような活動をしているウクライナのNPOを探し出して、直接その人たちへの資金援助などをしているそうです。
この話は、とても示唆に富む話です。国家や国際組織を通さずに、直接、同じ立場の人たちを支援することによって、戦いの一方を支援するような結果を避けると同時に、市民たちのつながりが国家間の戦争への大きな対抗力になるような気がします。
国家を超えた支援体制ができれば、人々の国家依存度は低下し、自国政府に対する異議申し立てもしやすくなるかもしれません。市民同士のつながりが深まれば国家間の戦争も止められるかもしれません。これは、これからの「平和のあり方」にも通じています。

そして第3に、「私自らもみんなと仲良くしよう」ということです。
nikoさんも話していましたが、平和に向けて活動をしていた人たちのなかにも、「正義の戦争論」を持ち出して、「侵略国家」ロシアを非難している人もいます。日本の国会議員たちは、ウクライナの大統領の演説に拍手喝采し、なかには「祖国のために戦っている姿に感動」したと発言する人さえいました。9.11後のアメリカや経済規制を受けていた(ロシアではなく)第二次世界大戦前の日本を思い出します。
プーチンを狂人扱いしたり、悪口雑言したりする人も、結局は戦争の火に油を注いでいるように感じます。憎悪や非難からは戦争を止める力は生まれない。
私は、ロシアへの経済制裁にも反対です。困るのは決して政府ではないからです。

戦争をすぐに終わらせる策はそう簡単には見つからないかもしれません。
しかし、その思いで何かを始めることは大切です。nikoさんの呼びかけを待つだけではなく、できることをそれぞれが始められればと思います。

ところで、サロンでは、人間の攻撃本能の話題が少し出ました。
しかし、私は今回のウクライナ戦争関係の報道のなかで、改めて人間の「性善説」を確信できる言動にたくさん触れています。
実際に危機に瀕した他者を前にすれば、手を差し伸べようという感情が沸き起こる、それこそ人の性が善である、と孟子は言っていますが、そうした実例に触れる度に、私は未来への希望を感じます。

人への憎悪や非難をいくら重ねても戦争は止まらない。しかし、人の性は「善」なのです。その「善」を信じて、私はまずは憎悪の念や非難の姿勢を捨てたいと思っています。
戦いをなくしたいのであれば、まずは自らがみんなと仲良くなろうとしなければいけませんから。

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2022/05/13

■仕掛けた人の背後にある真実

2年ほど前に出版された馬渕睦夫さんの「国際ニュースの読み方」を読んでいたら、こんな文章が出てきました。

(「朝鮮戦争」は北朝鮮が韓国に侵攻したということになっていますが)実態は北朝鮮に韓国侵攻の餌を蒔いたのは、実はアメリカなのです。19501月に、アメリカのディーン・アチソン国務長官は「韓国はアメリカの防衛線の外にある」と演説しました。おわかりのように、北朝鮮が韓国に侵攻してもアメリカは介入しないということを世界に明らかにしたのです。

これを聞いた北朝鮮が625日に38度線を越えて韓国に侵攻しました。韓国軍は総崩れになったのですが、この段階になって国連軍が韓国側に立って参戦します。国連軍の主力はアメリカ軍で、司令官はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)総司令官のダグラス・マツカーサーでした。

なんだかつい最近もそんなことがあったなとウクライナ戦争の端緒になったと言われているバイデン大統領の言葉を思い出しました。

根を絶たなければ、戦争は終わりません。
せめて戦争の当事者を見極めなければいかないなと改めて思いました。
最近、日本のマスコミも少し姿勢が変わってきたように思いますが、たとえフェイク情報でも吟味していけば、真実は垣間見えてくるはずです。

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2022/05/08

■戦争を止めるのは人の友好関係を広げていくことでしかありません

今日の朝日新聞のトップ記事の見出しは「友好 崩れ去った」とあります。
キーウ市民がロシアの親族との付き合いをブロックしたという話も出ています。
とても寂しい話ですが、トップ記事にしてほしくはありませんでした。
たしかにそういう話はあるでしょう。しかし、おそらくその反対の話もあるでしょう。
ウクライナの惨状にも拘わらず、ロシア人とウクライナ人が信頼し合い、支え合っている話が、です。

異常な事態の中ではさまざまなことが起こります。
不信も起これば、信頼も生まれる。
友好が失われることもあれば、友好が高まることもある。
そのいずれかに焦点を合わせるかで、事態の見え方は変わってくる。
そしておそらく、それによって未来も変わってくるのではないかと思います。

マスコミは、往々にして、「不幸」で「悲惨」なことを取り上げる。
それによって事態は、ますます「不幸」で「悲惨」になることも少なくないような気がします。
私は、権力や権威は信頼しませんが、人間は信頼しています。
どんなことを起こしている人も、信頼したい。
そう思って毎日を過ごしています。

人の仲を裂くような記事には触れたくありませんし、そんな記事を信じたくない。
人の友好は、そんなに簡単に崩れるはずはない、と思いたい。
親族とのSNSをブロックしたという朝日新聞の記事に出てくるユーリーさんも、本当は親族を信頼し愛しているに違いない。この記事を書いた記者の気持ちもわからないわけではありませんが、もっといい面を伝えてほしいと思います。惨状の中にこそ、人を信頼したくなることはたくさん生まれているはずですから。
そして、それこそがウクライナの現状を変える力になるはずだからです。

戦争を止めるのは核抑止力でも正義の追求でもない。
人の友好関係を育てていくことでしか、戦争はなくならない。
私はそう思っています。

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2022/04/29

■昨日は沖縄が日本の返還された日でした

連日、強烈な映像を見ているせいか、最近は何を読んでもウクライナにつなげて考えている自分がいます。
映像の影響力の大きさに驚くとともに、すべてのことはみんなつながっているという思いを改めて実感しています。

昨日は沖縄の人たちにとっては「屈辱の日」と言われている日でした。70年前の428日、サンフランシスコ講和条約発効で日本が独立を回復した一方で、沖縄や奄美群島などは米国統治下に留め置かれ、以来、27年間、アメリカに統治される「アメリカ世」が始まったのです。そして形は変わったものの、いまなお、沖縄には米軍の基地が残されています。

昨日、岩波新書の「〈アメリカ世〉の沖縄」を読みました。
「はじめに」にこう書かれています。

「この時期(〈アメリカ世〉)の沖縄は米軍人が最高権力者として君降した。このため軍事優先の統治によって基本的人権は保障されず、自らの事を自ら決める自治権はないがしろにされた。一方、日本政府は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を明文化した日本国憲法を制定し、平和国家として「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」(前文)と表明した。だが、国民が享受できた「平和」は、沖縄の米軍基地の存在を抜きに語れない」。

ドキュメントと題されているように、本書は、「軍事植民地」状況にあった沖縄の27年間の記録です。
現在のウクライナの状況を思いながら、一気に読ませてもらいました。
なぜ多くの人は、沖縄に、ウクライナへの関心ほどの関心を持たなかったのか。いや、いまもなお持たないのか。

本書の「おわりに」に、著者の宮城修さんが、沖縄が「返還」され、沖縄が再び〈大和世)になった日の出来事を書いています。なぜか読んでいて涙が出ました。

当時、小学三年生だった私は、教室で担任の先生から日本政府から贈られた復帰記念メダルをもらった。表は首里城の守礼門をデザインしていて、裏に「祖国復帰おめでとう」と刻まれていた。姉と一緒に帰ると、日曜日でもないのに父がいる。沖縄県庁発足を伝えるテレビ番組を見ていたようだ。
「君たちは学校でメダルをもらったでしょう。日本の100円と交換しよう」
(中略)
使い慣れたドルはこの日、日本円と交換された。初めて見る日本円ほしさにメダルを差し出すと、父はいきなり家の前に広がるサトウキビ畑にメダルを投げ捨てた。唖然とする私たち。父は理由を説明してくれず、ずっと黙り込んでいた。

やはりここでもウクライナのことが思い出された。
ウクライナも大切ですが、沖縄への関心も持ち続けなければいけない。
そう思ったのが、今年の私の「沖縄の日」でした。

ウクライナ報道に時間を割くのも大切ですが、その合間に、岩波新書「〈アメリカ世〉の沖縄」をぜひ読んでほしいと思います。

 

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