カテゴリー「平和時評」の記事

2026/01/07

■フセイン殺害の悪夢の再来

いまからもう20年ほど前になりますが、イラクのフセイン大統領がアメリカ大統領によって殺害されました。その報道は、日本の新聞では、何やらグッドニュースのように扱われていたような気がします。日本人の多くも喜んでいた。
その時の不快感を私はブログに書いていました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2006/12/post_9956.html

ウサーマ・ビン・ラーディン殺害の報道も、そんな雰囲気だった気がします。
死刑制度も含めてですが、人の死を悲しまない風潮に私は大きな不快感を持ちます。
ウクライナ戦争の時にもしプーチンが殺害されたら、日本人の多くは喜んだような気さえします。ウクライナ戦争が始まったころのマスコミや日本人はみんな日露戦争当時の日本人やマスコミのように私は思えました。

トランプ大統領がヴェネズエラを攻撃しました。
さすがに今回は拉致したマドゥロ大統領を殺害するに至っていませんが、そこにつながらないとも限りません。
しかし今回もまた日本の政府は、そうした暴挙に反対の意思を表明していません。
全く不快です。
あの時と全く同じです。

ウクライナにロシアが攻め入ったときにはみんなプーチンを責めました。
今回のトランプの行為は、あの時のプーチンの行動とは違い、正当な理由は私には全く思いつきません。
でも日本の政府も報道も、そして日本人の多くも、何の怒りも見せません。

これまでトランプ大統領には私はかなり好意的でしたが、今回の行動は納得する理由は全くありません。
そして、それに追随しているとしか思えない日本政府にはもうやりきれない気分です。
せめて私はそうした政府には同意していないことを明言しておきたくなりました。

高市総理には、ぜひとも明確にトランプ大統領の行為を諫めてもらいたいです。

 

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2025/10/29

■核の怖さをもっとしっかりと見つめたい

岩波ブックレットの『被ばく「封じ込め」の正体』を読みました。
まだまだ私たちは、核の恐ろしさをきちんと知らされていないとともに、私自身もなかなか知ろうとしてこなかったことを思い知らされました。

この本は、5人のジャーナリストが書いた本です。
本の紹介に、「核開発と並行して誕生した国際機関は不都合な真実を隠して被害を封じ込めてきた。現場の声をつなぎ、80年の歴史を辿る」とあります。

被曝者(被爆者ではありません)の声はどうもきちんと聴取されていないようです。
そのうえ、実際に被曝者の声も聞かずに、専門家たちは勝手に基準をつくり、被曝者支援よりも国家政策の支援に加担しています。
福島原発事故の時に話題になった「100ミリシーベルト」神話がその典型例です。
https://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/Kagaku2011-11.pdf

私は現場に足を運ばない専門家を一切信じませんが、5人のジャーナリストのこの本を読むと改めて唖然とします。

本書に書かれている衝撃的な文章を少し長いですが、引用します。

私たちは、「核の時代」のまっただ中にいる。この時代に終止符を打つことができないまま、80年という年月の経過を許してしまったのだ。
その背景には、核開発や原発を推進するためにつくられてきた、被ばくを訴える声を「封じ込め」る国際的な体制がある。それをより強固なものにし、牽引さえしているのが、広島、長崎、ビキニ、福島と、甚大な核被害を4度も経験した日本である。日本は「核被害国」であると同時に、「核加害国」なのではないか。

私も日本の国民の一人ですが、ということは、私自身もまた、被曝者の救済に目をそむける核加害者になっていた、というわけです。
知らなかったとでは済まされない話でしょう。
改めて核の問題に目を向けたいと思います。

この本を読んでサロンを開きたいという人がいたら、サロンを開きますので、ご連絡ください。

 

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2025/10/01

■平和に向けての活動は世界中で展開されています

先日開催の「なんで戦争が起こるのだろう(第2回)」をテーマにしたサロンの報告に関して、メーリングリストで原田さんから、世界議会のサイトの紹介がありましたのでフェイスブックでも紹介させてもらいます。
コメントくださった原田さんは、以前、湯島で「世界議会」をテーマにサロンをしてくださいました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/.../11/post-329355.html
また原田さんは仲間と一緒に翻訳した『世界議会』(明石書店)をCWSライブラリーに寄贈してくださっています。

今回、原田さんが紹介してくださったのは、「世界議会」を作ろうのサイトです。
そのサイトでは、世界議会構想の賛同者を呼びかけていますが、「戦争と平和を考えるためのお勧め作品」や「世界議会に関する情報」がアップされています。
ぜひご覧いただければと思います。
https://peace-union.org/

なお原田さんたちはいま『世界議会』の増補版の翻訳にも取り組んでいるともお聞きしています。
機会が来たら、原田さんの「世界議会」の動きの話をお願いできればと思っています。

ついでにもう一つうれしい報告を。
先日のサロンに参加した富沢さんが、「先ず、自分の友達に、呟いてみました」とこんな投稿をフェイスブックにしています。
「https://www.facebook.com/share/p/1CKcxN5bs7/

平和に向けての活動は、さまざまなところで展開されています。
ただあまり日本のマスコミは報道しないだけです。

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2025/08/09

■長崎の2つの平和の鐘

今日は長崎に原爆が投下されてから80年です。
私が子供の頃の記憶では、原爆は「広島」ではなく「長崎」でした。
たしか小学3年の時に学校で観た映画『長崎の鐘』が強烈な記憶を植え付けたからです。
しかし、いつの間にか原爆と言えば、「広島の原爆ドーム」をイメージするようになりました。なぜなのでしょうか。

今朝のNHKのニュースでは、長崎の平和公園から始まりましたが、その後、浦上天主堂からの実況報告が中心になりました。復元されたもう一つの「長崎の鐘」も映し出されました。今年は、2つの鐘が鳴り響くそうです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250807/k10014886281000.html

長崎の平和公園の平和祈念像が嫌いなので、長崎の報道はいつもあまり見ないのですが、今年はきちんと見ようと思います。
被爆した浦上天主堂が、もし長崎のシンボルになっていたら、もしかしたら歴史は変わっていたかもしれません。
いつもそんな思いが浮かんできます。

 

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2025/08/06

■80年目の広島原爆の日

最近は、6日と9日には私も黙とうをすることにしています。
どうしてみんな忘れてしまうのでしょうか。

賛成党支持者は、黙とうはしないでしょうが。

広島市長の松井さんの呼びかけは、とてもよかったです。
石破さんがスピーチをしている間、ずっと下を向いて読み上げていたのがとても残念です。
思いは必ず姿勢と表情に出ます。

いつも思うのですが、テレビで市長や首相や子供たちの話を聞きながら、どうも何か大切なものが欠けているような気がします。
1分間の黙とうですが、今年も思うことがたくさんありました。

 

 

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■緊急シンポジウム「学問の自由は守られるのか?―新学術会議法成立を受けて―」のYouTube

8月3日に開催された、日本学術会議「特殊法人化」法案に反対する学者・市民の会主催の「学術会議問題をめぐる緊急シンポジウム」の動画配信されたものが編集されて公開されました。
私は参加できなかったのですが、この問題には大きな不安を持っています。
ニーメラーのような悔いをしたくないと持っているのです。

この問題には、今の日本の政治状況が象徴されていると思っています。

長いですが、今回、編集されて、頭出しができるようになったので、関心のあるところだけでも見られるようになっています。
ぜひこの問題への関心を持ち続けていきたいと思います。
https://youtu.be/WOz9ANYp3uE

核爆弾が廃棄される社会を実現するためにも。
■緊急シンポジウム「学問の自由は守られるのか?―新学術会議法成立を受けて―」のYouTube
(2025年8月6日)
8月3日に開催された、日本学術会議「特殊法人化」法案に反対する学者・市民の会主催の「学術会議問題をめぐる緊急シンポジウム」の動画配信されたものが編集されて公開されました。
私は参加できなかったのですが、この問題には大きな不安を持っています。
ニーメラーのような悔いをしたくないと持っているのです。

この問題には、今の日本の政治状況が象徴されていると思っています。

長いですが、今回、編集されて、頭出しができるようになったので、関心のあるところだけでも見られるようになっています。
ぜひこの問題への関心を持ち続けていきたいと思います。
https://youtu.be/WOz9ANYp3uE

核爆弾が廃棄される社会を実現するためにも。

 

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2025/06/24

■第三次世界大戦は始まっていませんし、これからも起こらないでしょう

湯島のサロンのメーリングリストに昨夜、村上さんから「ひょっとしてですが・・・・第三次が始まっちゃうんでしょうか?」という投稿がありました。
その最後は、

やっぱ小生は戦後生まれなので平和が好きです。
アメリカも大好きです
キエフもインドも
ペルシアも大好きです。
やだなあ、第三次に突入なんて・・・
世界中の人々の心の中
「平和のとりで」ができますように
願いたいと思います。

それに応じてアナキストで平和主義者の竹形さんが、

視聴率・アクセス数が欲しいメディアは危機を煽るようなことを言いがちですが、陰謀論界隈では「イスラエル米国イランの間で既に手打ちは済んでいて表から見える攻撃は茶番では?」などと言っている人もいます(茶番にしてはすごい規模ですがw)
モハPチャンネルというYouTuberが面白いことを言っていて、「米国のイラン攻撃後、原油価格は一時的に高騰したがすぐに落ち着いているので、ホルムズ海峡封鎖まではいかないと市場関係者は見ているようだ」とかのようです。
実際にどうなるか分かりませんが。

とコメントしてくれています。
私も次のようなコメントを送りました。

村上さん

第三次の世界大戦は始まっていませんし、これからも起こらないでしょう。
私の心のなかは、いつも平和です。

すでに第三次世界大戦がはじまっているという「知識人」は少なくありません。
もうじき第三次世界大戦がはじまるぞという政治家や経済人も多いです。
そして第三次世界大戦を話題にし、危機感を煽るマスコミばかりです。

でも私のなかには「戦争」はありません。
戦争への不安もありませんし、そもそも私の心の中には敵がいません。
ですからユネスコ憲章が呼びかけるような「平和のとりで」などつくる気はさらさらありません。
「とりで」をつくるということは、すでに「戦争」を期待している。
そんな挑発には乗りたくはありません。
「戦争」を心の中に描いたとたんに、「戦争への道」が始まる。
敵の存在を前提とした「パックス○○」は、私には平和ではありません。

でも、ウクライナやガザやイスファハンで戦火が広がっているではないかと言うかもしれません。
私はそもそもマスコミの報道をうのみにはしませんが、攻撃や人の殺傷が起こっていることは疑いない事実です。でもそれが起こったのは、例えば、ウクライナで言えば、2022年の2月24日からではありません。
それに、この東京でも千葉でも、攻撃や人の殺傷は毎日起こっている。
そうした原因にもなっている「構造的暴力」は改善に向かうどころか深刻度を増しています。

私ができるのは、戦争の不安におののいて、心のなかに「とりで」をつくることではなく、身近にある大切なことを見失うことなく、身近な平和を目指すことです。
もちろん平和は、戦いだけではありません。
構造的な暴力こそが、私のなくしていきたいことです。
そのために、意図的な不安情報に踊らされることなく、まずは隣人を信じたい。

核兵器も抑止力より誘発力を持っているように、心のなかのとりでも、平和を遠いものにしている気がします。

顧客の創造が経営だと思っていたり、経済成長が発展だと思っている人たちの挑発に乗るのではなく、竹形さんがいうように、なぜそんな報道がなされるのかを考えたいです。少なくともそんな挑発に乗って軍事力を高めることに賛成するような愚かさには陥りたくない。「戦争の不安」を持つのではなく、平和に向けてできることを一つでも見つけたい。
平和は願って与えられるものではなく、自らで身の回りに築きあげていくものではないのか。
もちろん、だからといってガザが私と関係ないと言っているのではありません。すべてはつながっていますが、私にまずできるのは隣人を信じ、隣人を支えることです。

平和は、心のなかにとりでをつくることではなく、心のとりでを解体することからはじめたい。そして心のなかに、他者を誘い込みたい。
つくるもの、念ずることを間違ってはいけません。平和は断じて願うものではない。
まずは今日、道であった人にあいさつをすることから始めるのがいい。

ところで最近急逝したデヴィッド・グレーバーと言う人が残した『万物の黎明』という本があります。
そこに平和への道が説かれています。
といっても、近代世界が虚構した世界観に呪縛されずに、単に思考を広めよ、と言っているだけの本ではありますが。
この本を読むと元気が出ます。

 

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2025/05/09

■非難ではなく議論をしてほしい

自民党の西田昌司参院議員が、那覇市での憲法シンポジウム(主催・県神社庁など、共催・自民党県連)で、ひめゆりの塔の展示内容について、「ひどい。歴史の書き換えだ」とし、「日本軍が入ってきてひめゆり(学徒)隊が死んだ。そして米国が入ってきて沖縄が解放されたとの文脈で書かれていた」と述べたことが問題になっています。

自民党でも問題になっているのは当然として、野党の立憲民主党でも野田党首が批判しています。

西田さんはまた、「自分たちが納得できる歴史をつくらないといけない」ともいっているそうです。せめて野党であれば、この発言を受けて、きちんとした議論をする契機にしてほしいと思いますが、また野田さんはつぶしてしまいました。今もまだ自民党応援団のようです。

私もかつてひめゆりの塔の展示を見ていますが、当時の記憶がないのが恥ずかしいです。できればもう一度、行ってみたいです。「歴史の書き換えだ」と断定することには賛成できませんが、これを契機にきちんとした議論が起きればと思います。
これはとても重要な問題のように感じます。

○×教育で育った日本の人たちは、議論というと○×発想で取り組みますが、○×の対立型で相手を排除する議論ではなく、違った指摘を契機に新しい気付きが得られるような議論をしてほしいものです。

先日、湯島では「対話とは何か」をテーマにサロンをしましたが、「議論とは何か」のサロンもやりたい気分です。でも、知識での議論は退屈です。自分の考えがあってこその議論ではないかと思います。それに議論は「否定」からは始まらないような気もします。
せめて西田さんには「なぜそう思うのか」をもっときちんとと訊かないと議論は始まりようもないでしょう。

 

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2024/09/25

■「愛国心」

自民党総裁選挙で小泉進次郎さんが、なんと「愛国心」を持ち出したようです。
「愛国心」ほど、多義的で正反対の意味を持たせられる言葉はないように思います。
小泉進次郎さんが「愛国心」などというと、ぞっとしますが、「愛」という文字は私は大好きです。

最近読んだ、スラヴォイ・ジジェクの「戦時から目覚めよ」(NHK出版)で出合った一文はとても共感できます。

「愛国者、つまり自国を心から愛する人物とは、自国がひどい行いをしたときにそれを心から恥じる者のことを言う。『正しかろうが間違っていようが、私の国だ』という考え方ほど恥ずべきものはない。」

愛国者に関して書かれていますが、「愛」の本質を語っているような気がします。

この基準で考えれば、世に語られている愛国者や愛社精神の多くは、むしろ「愛するものへの背任行為の勧め」です。なんと「背徳的な政治家」の多いことか。そういう人に限って「愛国」という言葉を使います。

明日の927日、湯島で「あなたはなぜ戦争が嫌いですか」をテーマにサロンを開きます。
私自身は、戦争は嫌いですが、にもかかわらず私の体内には「戦争が好き」の心があることも知っています。だからこそ、常にその心を抑え込んでいるのですが、時に暴発してしまいます。そして無駄な結果に終わる「論争」や「非難行為」をしてしまっている自分に気づくこともあります。
まあそうしたことの集合的行為が戦争につながっていくのでしょう。

友人から勧められて読んだ、ジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳』(新潮文庫)にはこんな文章がありました。

「右脳の個性の最も基本的な特色は、深い内なる安らぎと愛のこもった共感」。

ジルは、脳卒中に襲われた若き脳科学者です。幸いに一命は取りとめたのですが、脳の損傷を受けた体験をとてもわかりやすく書いてくれています。
右脳と左脳の働きに関してはいろんな意見がありますが、ジルの体験からのこの言葉には右脳派を自認している私としてはホッとさせられます。
でもこれは必ずしも通説ではないでしょう。
むしろ左脳でこそ、戦争は抑えられると考えている人の方が多いでしょう。
私もつい数年前まではそう思っていましたし。

ところで、ジジェクの『戦時から目覚めよ』には、映画『サラエボ・サファリ』の話が出てきます。
ご存じの方も多いと思いますが、ここに登場するおぞましい人たちは右脳人間でしょうか、左脳人間でしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=QkTZYjL_8f8

 

 

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2024/08/09

■「無国籍」の人が日本には2000人ほどいるそうです

先日、長い付き合いの友人が、実は私は「無国籍」だったことがあると話してくれました。
その友人は、いま入管法改正問題に関わっているようです。

私は国籍にはほとんど意味を感じていなかったのですが(自分が「日本人」だと意識したことはありません。もちろん私は「日本人」ですし、そのことが好きですが)、友人から少し「無国籍」に関して教えてもらいました。
そして、友人から紹介さしてもらった「忘れられた日本の無国籍者」(陳天璽編 明石書店)を読みました。本書は、2008年に開催された公開フォーラムの記録です。

今度、吉本さんの呼びかけで、技能実習生などの支援活動に取り組みたいと考えていましたが、少し視野を広げて、入管法改正にも目を向けたくなりました。
秋には湯島でサロンをやれればと思っています。
関心を持ってくださる方がいたらご連絡ください。

その前に、少し古いですが、このフォーラムの記録「忘れられた日本の無国籍者」(陳天璽編 明石書店)を多くの人に読んでほしいと思います。
編者の陳天璽さんの新著「無国籍と複数国籍 あなたは「ナニジン」ですか? (光文社新書)もあるようです。
これも読んでみようと思います。

 

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