カテゴリー「平和時評」の記事

2024/03/08

■半田滋さんの「台湾侵攻に巻き込まれる日本」をぜひ読んでほしいです

今日は雪だったので、予定を変えて、自宅で読書をしていました。

午後は晴れてきたので、出かけられたのですが、世も出した本が面白くて、結局、外出はやめて本を読んでしまいました。防衛ジャーナリストの半田滋さんの「台湾侵攻に巻き込まれる日本」(あけび書房)です。

軽い気で読みだしたのですが、「はじめに」の「ウクライナ侵攻後のロシアが法律を改正して情報統制に走り、国民の口封じをしたのと同じ事態がこの日本で静かに進行している」「この国を愛し、自分自身や親しい人たちの安全を願う人々にとって重要なのは事実を学び、進むべき道筋を見つけ出すことである」という文章にまず共感しました。

つづく本文は、最初に戦場になりかねない与那国島のルポから始まっていますが、湯島でも何回間関連したサロンをやっていますが、まさに「要塞化」する与那国島の仲間生しい雰囲気が伝わってきます。

内容は、安倍政権以来の憲法を無視した日本政府の暴走を事実をベースに解説してくれています。書かれていることには、とりわけ新しいことはなく、過激なこともありませんが、改めてこの10年の日本の政治に憤りを感じます。

最後の「終わりに」で半田さんが呼び掛けている文章を読んだ時、涙が出ました。

わたしたちは闘わなくてはならない。何が正しくて、何が間違いなのかを見極め、声を上げなければならない。自分や愛する人のために、次の日本を支える子どもたちのために。

ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。
岸田さんのご家族のみなさんにも。

| | コメント (0)

2024/02/23

■50年ぶりに詩らしきものを書いてみました

朝、起きたらうれしいことがふたつありました。

ひとつは外がうっすらと雪化粧していたこと。
もう一つは、昨日のFBの記事のおかげでおふたりのコメントが届いていたこと。

昨日、紹介させてもらった「詩の檻はない」の編集者の柴田望さんから友達リクエストが届いていました。雑誌に寄稿した論考も含めて。
「詩の檻はない」を送ってきてくれ岡和田晃さんからのコメントには、「佐藤さんが1020代のときに書かれていた詩もおまとめになればよいのに、と思ってしまいました」とありました。岡和田さんらしいやさしさですが、幸いにほとんどすべて廃棄してしまっています。

毎朝、「詩の檻はない」の作品を一つ読むことにしていますが、今朝は文月悠光さんの「消された言葉」でした。ランダムに本を開いて読むことにしていますのでこれは全くの偶然ですが、そこに「わたしたちは詩をかこう」という一行がありました。
岡和田さんのコメントもあって、ついついその気になって、書いてしまいました。
まあ、詩とまでは言えませんが、今朝の想いです。
詩といえるかどうかはともかく、詩を書くのは50年ぶりでしょうか。

希望

パルミラで銃撃戦がくりひろげられたとき、哀しかった。
あんなに美しい世界で、なぜ人は銃で殺しあえるのだろうか。

バーミヤンの仏が崩れ去ったとき、ここまで知は荒れ果てたのかと哀しかった。
人は、エデンからこんなに遠くに来てしまったのか。

もう戻れないのだろうか。

銃で戦い、爆薬で仏を殺した人たちが、今度は、人が詠うのを禁じたという。
おどろきはしたが、不思議と哀しくはない。
そこから、詩が生まれだしたのを知ったから。

もしかしたら、知が戻ってくるかもしれない。
詠うことを禁じられて耐えられる人はいないだろう。

うたの時代が戻ってくる。
またパルミラの世界がやってくる。

やはり迷いながらも、人間でありつづけたい。

 

| | コメント (0)

2024/01/05

■「攻められたらどうするのか? 真の安全保障政策を考える」

サロン仲間の折原さんが、同人誌に寄稿した「攻められたらどうするのか? 真の安全保障政策を考える」という論考を年末に送ってきてくれました。

昨年末には、期せずして、本間さん、川本さんからも、同じテーマの論考を送ってもらい、FBでも紹介させてもらいましたが、折原さんの論考もぜひ多くの人に読んでほしいなと思います。
折原さんに確認したら、関心のある人には紹介してもいいと言いうことでした。

最後の文章を紹介させてもらいます。

自国第一主義、国粋主義と排外主義が相まって目を覆うような紛争と軍事衝突があちこちで展開されている今日、やはり最終的な和平の拠り所と解決の手段は、コスタリカが尽力し、実践してきたように、国際機関を機能させ、国際法に則って、国連を中心とした国際法秩序をもう一度建て直す、ということではないでしょうか。

私も同感です。

ウクライナの真実も見えてきましたし、岸田政権の本性も見えてきたいま、改めて今年は平和とは何かのサロンを開催していこうと思います。
折原さんの論考を読んでもらえる方はご連絡ください。
お届けするようにします。
感想など、折原さんに送っていただけると嬉しいです。

| | コメント (0)

2023/12/28

■戦争を受け入れる意識の広がりへの警告

戦争がじわじわと足元に迫ってきているような年でしたが、そうした動き(戦争を受け入れる意識の広がり)にみんな目を覚まそうと呼びかける2つの論考が、湯島のサロン仲間から届きました。
ひとつは雑誌への寄稿論考。もう一つは年明けに出版される書籍です。

論考は本間照光さん(青山学院大学名誉教授)の『核時代、破綻した「核抑止」』で、雑誌「賃金と社会保障」1840号に掲載されています。副題が「戦争放棄こそ核戦争放棄の道」。核時代にあっては、そもそも戦争の意味が変わっているのに、いまだに「核抑止力」を受け入れている風潮に警告を発しています。そしてこう言います。

日本国憲法は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力」と「核時代」の現実が生んだ、珠玉の人権宣言書にほかならない。

つづけてこう書いています。

この日本国憲法の柱は、主権在民(国民主権)、戦争放棄(平和主義)、基本的人権の尊重であるが、それらは相互に支え合っている。誰もが人間として生きられ、平和のうちに暮らすことを、憲法が支える。その憲法を主権者たる人びとが支える、「不断の努力」。生きる、いのちを支える、人間らしく生きられる社会をつくる努力。「不断の努力」は、人びと、私たち一人ひとりの「ふだん(普段)の努力」だ。ふだんのいのちとくらしのあり様が、戦争そして核戦争を防ぐ力となる。

そして、改めて日本国憲法9条の「戦争放棄」の意味を考えていこうと呼びかけています。ぜひ多くの人に読んでほしい論考です。
「賃金と社会保障」はアマゾンで購入できます。

もう一つは、川本兼さんの新著『戦争ができる国からの解放』(三一書房)です。来年1月に出版されますが、その前に読ませてもらいました。
本書に関しては、また改めて紹介したいと思いますが、「はじめに」と「あとがき」から2つだけ紹介しておきます。ここに川本さんの危機感と打開策が象徴されていると思います。

まずは「はじめに」の書き出しの文章です。

私は、現在行われているロシアによるウクライナへの侵攻は、これからの日本国民の運命に決定的影響を及ぼすかもしれないと危惧しています。それは、この戦争によって、日本国民の多くが「正義の戦争」を感じてしまいかねないからです。

「あとがき」のタイトルは「「反徴兵法」の制定」となっています。
戦争を起こすのは政府ですが、戦争を続けるのは国民です。誰もが戦いを放棄すれば戦争は持続できないからです。しかし、政府に抗って戦いを拒否するのは難しいのも事実です。だからこそ、反徴兵法制定運動を起こそうというのが川本さんの呼びかけです。

長くなったので、これに関してはまた改めて紹介します。

お正月、もしお時間が許せば、是非この2つの論考を読んでほしいと思います。
川本さんの本がまだ書店に出ていないので残念です。もし読みたい方がいたら、年末年始、湯島に来たら声をかけてください。対応できるかもしれませんので。

 

| | コメント (0)

2023/10/22

■がん民間療法体験32:30日までの報告

ヒートマット療法に取り組みだしましたが、私の使用方法に関しておふたりの方からアドバイスがありました。夜の就寝中の電気毛布的な使用では不十分だというのです。たぶんそれは間違いないでしょう。
友人たちのアドバイスにしたがって座禅スタイルで毎日、朝晩30分ほどやることにしました。45度以上に設定したので、低温やけどしないように気をつけなければいけません。

ちなみに、がん細胞は40度とか42度で死んでしまうという人がいます。
私は、そうは思っていませんが、ヒートマット療法を勧めてくれた友人もそういっています。それを否定するつもりはないのですが、生命はそんなに簡単には死滅しないと私は思っているのです。
ともかく、何が起こるのかわからないのが生命現象です。
いまの科学が解明したのは、ほんの一部でしかありません。
そういう思いが、まさにこの「40日プロジェクト」を支えているのです。

ヒートマット療法は、即効性はないと思っていましたが、気のせいか、汗だくになった直後は気分爽快になります。
まあ当然と言えば、当然ですが、でも朝晩2回の30分座禅は大変です。がんばって10日間は続けようと思います。

毎朝の祈りから始まって、祈りを感ずることも身についてきました。
重曹水とクエン酸水は、定着しました。
自分に合った適量もわかってきて、調子もいいです。
水素療法は、友人たちの支援で、水素風呂、水素ガスを継続しています。これも体調を浴してくれている大きな要因でしょう。
人参・リンゴ・レモンジュースもだいぶおいしくなってきました。
チャーガは相変わらず飲みにくいですが、飲んでいます。効果は全くわかりませんが。
天日塩のお味噌も毎日、いろんなものと一緒に食べていますし、砂糖や甘いお菓子はやめています。食への関心も高めています。
適度な散歩もやっていますし、笑いと隣り合わせの生活(肯定的な生き方)にも心がけています。

これだけのことをやっているおかげで、たぶん私の体内のがん細胞は、身の程を自覚して、然るべきところに収まってくれたと確信していますが、まあ生命現象は私が思っているほど簡単ではないでしょう。
11月初めの検査結果がどう出るかは、わかりませんが、楽しみです。

しかし私にとっての最大の療法は、多くの人たちに支えられていることを実感できていることです。
あったかい思いが、伝わってくる。本当にありがたいことです。
こうした思いが、社会に広がっていくと、みんな気持ちよく暮らせる社会に近づくかもしれません。

さらにメニューを増やして、盛りだくさんにしようと思っていますが、今や何でもかんでもすべて、「民間療法気分」です。
実に楽しく、ワクワクします。
というか、いろんな人たちの思いをしっかりと受け止めて、すべてに感謝するような生き方に努めようと思います。
みなさんの応援に感謝しながら、私も祈りを送り出しています。

ガザにも、ウクライナにも、そして未来にも。

| | コメント (0)

2023/09/05

■裁判もまた事件

辺野古埋め立てを巡る訴訟で、最高裁は県の訴えを棄却しました。司法が繰り返し行っている、難しい判断からは逃げるといった姿勢をまた感じてしまいます。なぜこれほどに、国家の力は強いのか。もっと現地と、つまり現実としっかり話し合い、問題を可視化していく姿勢を司法は持たないのか。

今朝の朝日新聞の沖縄県知事の写真の表情に、とても共感しました。
5人の裁判官も、この写真をしっかりとみてほしい。
私たちも、いまの沖縄にもっと関心を持たなければいけないと改めて感じます。
ウクライナよりも、沖縄であり、フクシマだろうにといつも思います。

統治行為論で一度、逃げて以来、日本の司法は統治者の道具に成り下がってしまったのでしょうか。
冤罪を疑われる事件に対しての、執拗な司法のこだわりは異常としか思えない。
司法への不信感は、テレビのドラマにも盛んに取り上げられます。

最近見たドラマ「事件」の最後で、主人公が「裁判もまた事件なのです」と語っていましたが、全くそうです。
そう考えると、裁判官がみんな加害者に見えてくる。

困ったものです。

| | コメント (0)

2023/08/24

■戦争はなぜ起こるのか

最近、さすがにウクライナ戦争に関する報道も静かになり、好戦的な状況づくりの報道も鎮まったようで安堵しています。
まあ日本の国家予算の防衛費の激増も認められたし、原発再稼働の国民合意も取れたので、政府にとっても利用価値が低下したのかもしれません。

私自身は、ウクライナ戦争当初から、その報道姿勢に違和感がありました。
それに、なんでみんなこんなにウクライナを支援するのかも理解できませんでした。
日本の近くにはもっと悲惨な「戦争状況」はあるでしょう。沖縄だって、もっと報道されていい。そこに目を向けずに、何がウクライナだ、とさえ思っていました。

それに、ウクライナで戦い、殺し合っているのは、プーチンでもゼレンスキーでもありません。ロシア人とウクラナイ人です。問題の捉え方になじめなかったのです。

半世紀ほど昔に書かれたアーサー・ケストラーの「ホロン革命」という本があります。
ケストラーは、いろいろな歴史を検討して、「人類の苦悩はその過剰な〈攻撃性〉にあるのではなく、そのなみはずれた狂信的〈献身〉にある」という結論にたどり着く。
そしてこう書いています。

歴史にざっと目を通せばわかることだが、人間の悲劇のなかでも動機が利己的な個人規模の犯罪など、部族、国家、王朝、教派、政治的イデオロギーヘの没我的忠誠心のなかで虐殺された人びとに比べれば、きわめてささいだ。問題は〈没我的〉だ。ごく少数の金目当ての傭兵やサディストを除けば、戦争は個人の利益からではなく、王、国家、大義への忠誠心と献身からおきている。

戦争は憎しみや対立からではなく、愛や共感から起こる。
私には意外な結論でしたが、考えてみると納得できます。

ウクライナの人たちもロシアの人たちも、相手の人たちへの憎悪や敵対心から殺し合いを始めたわけではない。
殺し合いを始めたために、憎悪や敵対心が生まれてしまったのです。
そこを見誤ってはいけません。

ではなぜ殺し合いにまでつながる戦いを始めたのか。
それは国に対する忠誠心や一体感からでしょう。あるいは隷属意識。
しかしそこには大きな勘違いがあります。
政府は国ではないのです。
いやそもそも国とは何か、です。
そんな基本的なことさえ考えようとしなくなっている国民の行く末は見えています。

戦争を回避したいのであれば、向かうべき敵が間違っている。
ウクライナの人たちは、そしてロシアの人たちも、さらには日本の人たちも、戦うべき相手は、自国の政府なのです。銃の向け先が間違っている。

もし戦争を避けたいのであれば、政治のパラダイムを変えなければいけません。

 

| | コメント (0)

2023/08/06

■9日は湯島で「祈りのサロン」です

広島での平和祈念式典のテレビの報道を見ています。
いつも思うのは、その時々の首相は、この式典に列席して一体何を感じているのだろうかという疑問です。
今回もこの疑問は消えません。
岸田さんも、この式典にふさわしいようには見えません。

まあ、そういう偏狭な考えが間違いなのかもしれませんが。
8時15分、テレビの画面の前で黙祷しました。

広島市長の話を聞きながら、この案内を書いています。
市長のスピーチにはいつも感ずるところがあります。
私はこれ以後はいつもテレビを消しますが。

3日後の9日は、長崎に原爆が投下された日です。
今年は9日の午前中に湯島でサロンを開きます。
長崎を思っての黙とうもしたいと思っています。

猛暑ですが、もしよかったら長崎を思い出しながら、これからの平和を祈るサロンに、ぜひご参加ください。
案内を改めてお届けします。

■湯島サロン「祈りのサロン」のお誘い(再送)

毎年、8月は原爆投下と戦争終結がマスコミでも大きく取り上げられます。
私も、戦争や原爆の悲惨さを思い出して、せめてそういうことには加担しない生き方をしようと毎年祈りをささげてきました。

しかし、実際の日本の社会は、このところ、急速に戦争や核武装へと向かっているような気配があり、毎年の報道はいったい何なのだろうかと思うことが多くなってきました。
そんな時、サロンに参加している人から、長崎や広島では今もなお、思いを新たにし、何かできることはないかと行動を促す祈りが継承されていることを教えてもらいました。
それで長崎出身の鐘ヶ江さんに「長崎の原爆をもっと思い出してほしい」というサロンをやってもらいましたが、そこで「祈り」の大切さに気づかせていただきました。
いまは、毎朝、短い祈りをさせてもらっています。

「祈り」は長崎や広島に限ったことではありません。
沖縄でも福島でも、あるいは最近多発している被災地でも、「祈り」は行われています。
でも、テレビで見る「祈り」も、他人事にしか感じなくなっている自分に気づくことが少なくありません。正直、私自身の「祈り」も形骸化していることは否めません。

しかし、鐘ヶ江さんのサロンの後、テレビで見る「祈りの風景」が少し違って見えてきました。自然と、一緒に手を合わせることも起こってきた。
祈る対象は違っているかもしれませんが、大きな意味ではみんながつながっている。
私が祈りたい思いや人ともつながっている。
それに気づくと、さまざまなことのつながりが「祈り」の中に感じられるようになってきました。
そうした祈りがつながっていけば、きっと世界は変わっていく。そういう「祈りの力」を、前回のサロンで気づかせてもらいました。

そこで、今年は、8月9日、長崎に原爆が投下された時間を含む時間でサロンを設定し、長崎での被災者に黙とうを捧げるとともに、各自それぞれの「祈り」を重ねて、「祈りのサロン」をすることにしました。

サロン前半では長崎を思い出し、11時2分(長崎への原爆投下時間)に全員で1分間の黙とう。前回サロンをしてくださった鐘ヶ江さんが、今回も参加してくださいますので、長崎風の黙とう作法も体験したいです。
そのあと、長崎をちょっと離れて、参加した人それぞれが、「祈りたい」ことを話し、「祈り」と「祈りの力」について、それをどう生かせるか、どう生かしていけば力となるか、話し合えればと思います。
「祈りたい」ことの告白はオフレコです。沈黙の告白もありです。
そして最後にみんなで、黙とうしたいと思っています。

なんだかよくわからないサロンですので、どう展開するかわかりませんし、何人集まるか全くわかりません。
少なくとも私は参加します。祈りたいことがたくさんありますので。
もし「祈りたい人」がいたら、一緒に祈りに来てください。

〇日時:2023年8月9日(水曜日)午前10時~12時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「祈りのサロン ― みんなで祈りましょう」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

2023/05/30

■重田園江さんの「真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争」を一気に読みました

ウクライナ戦争に関して、視野を広げてくれる本を読みました。

これまで私は、ロシアもウクライナも、国民が戦わなければ戦争はおさまるのではないかなどと考えたりしていましたが(その考えは今も変わりませんが)、どうももう少し視野を広げなければいけないと痛感しました。
ウクライナに関する本も何冊か読んではいますし、「ブラッドランド」も読んで、ソ連の歴史も少しは知っているつもりでしたし、「カティンの森」の映画も見ていますが、まだまだ身心に入ってきていないことを思い知らされました。
軽々にロシアやプーチンを語るのも注意しなければいけません。

読んだ本は、重田園江さんの「真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争」(白水社)です。昨夜読みだしたのですが、一気に読み終えました。
久しぶりの睡眠不足で、おかげで朝からもう眠いです。

この本で面白かったのは、アーレントの「真理と政治」につなげての話とウクライナの映画人、とくにロズニツァ(私は全く知りませんでした)の作品にまつわる話ですが、それは読んでもらうとして、その本の最後に掲載されていた、昨年530日のニューヨークタイムズに掲載されたイェゴール・フィルソフさん(ウクライナ軍の医療班員)の投稿記事の一部を紹介したいです。

よく言われている話なのですが、重い本を読み終えて気が滅入ったところで読んだので、元気が取り戻せました。
長いですが、引用させてもらいます。

死がありふれているところでは、人々は頑強になると思われるでしょう。ところがそうではないのです。人は繊細になり、また以前よりオープンになるのです。どこででも爆撃が起こり、見知らぬ人と遮蔽物の下に隠れていると、心から率直な会話ができます。自分だけの秘密や個人的な経験、そして大切な記憶を分かち合うことができるのです。死が荒れ狂う場所を、なるべく多くの生で満たそうとしているのでしょう。

ここでは皆がすべてのものを分かち合い、助け合っています。軍や警察、当局者すらもです。食べ物がないと分かると、与えてくれます。服が破れて汚くなっていたら、自分たちの服をくれます。タバコがなかったら、半分分けてくれます。平和なときには、私はこのような互いへのケアや配慮を見たことがないです。

以上がフィルソフの投稿記事です。
あの悲惨なブチャにおいても、こうなのです。
やはり私は、すべての人が本来、性善であることを確信します。
もちろんプーチンもゼレンスキーもです。

それにしても、「平和」とはいったい何なのか。
平和は幸せにつながっているものなのか。

一昨日、引きこもりの親の会で話したことにも、少し自信が持てました。
アーレントの「真理と政治」も久しぶりに読み直そうと思っています。

| | コメント (0)

2023/04/12

■「模倣の罠」を読んで、プーチンやトランプへの理解が深まりました

最近、民主主義も自由主義も世界的にあまり人気がなく、どちらかと言うと、反民主主義や反自由主義が世界を覆いだしてきていますが、それがとても気になっています。

昨日、イワン・クラステフとスティーヴン・ホームズの共著「模倣の罠」を読んで、その背景がよくわかりました。
2021年発行の本ですが、最近のプーチンやトランプ、さらには習近平の行動も、この本を読むと理解が進むように思います。
このふたりの最近の言動には、私もかなり違和感を強めているのですが、あまりに単純に非難する人が多いのがむしろ不安です。
非難する前に行動を理解することが大切です。

基本は、グローバリストとナショナリストの対立構図で描かれています。それには若干の違和感はありますが、本書の立場に立てば、それら3人のリーダーに対して、非難しているだけでいいのかという気になります。彼らのメッセージはしっかりと受け止めることが大切ではないかと思うのです。

著者は、1989年から始まった「模倣の時代」(共産主義世界が終焉し、自由主義社会が唯一の目指すべきモデルになり、みんなが欧米の民主主義・自由主義を模倣するようになった)が、最近の習近平中国によって終わりを迎えていると分析しています。
その間、プーチンはいち早く、そのモデルの問題点を可視化するために「鏡映し」戦略をとり、西側の民主主義体制の不安定さと弱さを明らかにしてくれたと言います。
西洋の模倣を中心に組織された世界は、アメリカの利益に従順に従う自由主義の世界になることを意味していた、とも書いています。

しかも、冷戦の終焉によって、敵を失ったアメリカは傲慢に振る舞いだした。ちょうど野党を失った日本の自民党が傲慢になってひどい政治をつづけているのと同じです。
どんな場合も、自らにとって脅威となる「ライバル」の存在は必要なのかもしれません。

さらに著者は。「西洋がプーチンのロシアに似始めている」とも書いています。
「模倣」は「模倣される側」にも「模倣」を誘発するのです。
それ以外にも、とても示唆に富む本です。

民主主義や自由主義を大切にしたい方には、ぜひお薦めします。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧