■第三次世界大戦は始まっていませんし、これからも起こらないでしょう
湯島のサロンのメーリングリストに昨夜、村上さんから「ひょっとしてですが・・・・第三次が始まっちゃうんでしょうか?」という投稿がありました。
その最後は、
やっぱ小生は戦後生まれなので平和が好きです。
アメリカも大好きです
キエフもインドも
ペルシアも大好きです。
やだなあ、第三次に突入なんて・・・
世界中の人々の心の中
「平和のとりで」ができますように
願いたいと思います。
それに応じてアナキストで平和主義者の竹形さんが、
視聴率・アクセス数が欲しいメディアは危機を煽るようなことを言いがちですが、陰謀論界隈では「イスラエル米国イランの間で既に手打ちは済んでいて表から見える攻撃は茶番では?」などと言っている人もいます(茶番にしてはすごい規模ですがw)
モハPチャンネルというYouTuberが面白いことを言っていて、「米国のイラン攻撃後、原油価格は一時的に高騰したがすぐに落ち着いているので、ホルムズ海峡封鎖まではいかないと市場関係者は見ているようだ」とかのようです。
実際にどうなるか分かりませんが。
とコメントしてくれています。
私も次のようなコメントを送りました。
村上さん
第三次の世界大戦は始まっていませんし、これからも起こらないでしょう。
私の心のなかは、いつも平和です。
すでに第三次世界大戦がはじまっているという「知識人」は少なくありません。
もうじき第三次世界大戦がはじまるぞという政治家や経済人も多いです。
そして第三次世界大戦を話題にし、危機感を煽るマスコミばかりです。
でも私のなかには「戦争」はありません。
戦争への不安もありませんし、そもそも私の心の中には敵がいません。
ですからユネスコ憲章が呼びかけるような「平和のとりで」などつくる気はさらさらありません。
「とりで」をつくるということは、すでに「戦争」を期待している。
そんな挑発には乗りたくはありません。
「戦争」を心の中に描いたとたんに、「戦争への道」が始まる。
敵の存在を前提とした「パックス○○」は、私には平和ではありません。
でも、ウクライナやガザやイスファハンで戦火が広がっているではないかと言うかもしれません。
私はそもそもマスコミの報道をうのみにはしませんが、攻撃や人の殺傷が起こっていることは疑いない事実です。でもそれが起こったのは、例えば、ウクライナで言えば、2022年の2月24日からではありません。
それに、この東京でも千葉でも、攻撃や人の殺傷は毎日起こっている。
そうした原因にもなっている「構造的暴力」は改善に向かうどころか深刻度を増しています。
私ができるのは、戦争の不安におののいて、心のなかに「とりで」をつくることではなく、身近にある大切なことを見失うことなく、身近な平和を目指すことです。
もちろん平和は、戦いだけではありません。
構造的な暴力こそが、私のなくしていきたいことです。
そのために、意図的な不安情報に踊らされることなく、まずは隣人を信じたい。
核兵器も抑止力より誘発力を持っているように、心のなかのとりでも、平和を遠いものにしている気がします。
顧客の創造が経営だと思っていたり、経済成長が発展だと思っている人たちの挑発に乗るのではなく、竹形さんがいうように、なぜそんな報道がなされるのかを考えたいです。少なくともそんな挑発に乗って軍事力を高めることに賛成するような愚かさには陥りたくない。「戦争の不安」を持つのではなく、平和に向けてできることを一つでも見つけたい。
平和は願って与えられるものではなく、自らで身の回りに築きあげていくものではないのか。
もちろん、だからといってガザが私と関係ないと言っているのではありません。すべてはつながっていますが、私にまずできるのは隣人を信じ、隣人を支えることです。
平和は、心のなかにとりでをつくることではなく、心のとりでを解体することからはじめたい。そして心のなかに、他者を誘い込みたい。
つくるもの、念ずることを間違ってはいけません。平和は断じて願うものではない。
まずは今日、道であった人にあいさつをすることから始めるのがいい。
ところで最近急逝したデヴィッド・グレーバーと言う人が残した『万物の黎明』という本があります。
そこに平和への道が説かれています。
といっても、近代世界が虚構した世界観に呪縛されずに、単に思考を広めよ、と言っているだけの本ではありますが。
この本を読むと元気が出ます。
最近のコメント