カテゴリー「平和時評」の記事

2021/12/28

■戦時体験を後世に伝えたいという高林さんの熱い思い

高林さんからメールが届きました。
高林さんは今90歳ですが、長年取り組んでいた認知症予防ゲームの普及活動を昨年引退され、最後のご自身の活動に取り組まれています。
その活動とは、ご自分の戦時体験を後世に伝えていきたいという思いです。
いろいろなところでお話をする一方、話した内容を文字起こしし、小冊子にして、関心を思ってくれそうな人に配布しているのです。費用も含めてすべてご自分おひとりでの取り組みです。

つい最近はその4番目の小冊子を送ってきてくれました。
そして今日、メールが届きました。

お陰様で衆参両院議員への発送も、出版社の手で、年内に完了する事が出来ました。
私が名簿を探した時点では、700人丁度でしたが、出版社の調べでは708人と聞きました。中には落選議員の名が残っていたり、衆参所属のミスもあった由で、国会の名簿管理が即日体制でなく、杜撰な発表なのかなと、不思議に思いました。(中略)ここまで来ることが出来まして、何だかほっとしています。

想えば、高林さんにお会いしたのはもう30年近く前のことです。
私が取り組んでいた「コムケア活動」の一環での大阪でNPO関係の集まりでした。
高林さんは「ある夢」を持っていると私に話してくれました。
誰の夢であろうと、夢に付き合いたくなるのが、その頃の私でした。
昨日、紹介した東尋坊の茂さんの夢にもお付き合いしましたが、高林さんの「夢」にもお付き合いしました。そして高林さんは見事に実現しました。

その後、高林さんはまだやりたいことがあると言って、別の取り組みを開始しました。
その一つの成果は私のところにも届きましたが、高林さんが元気なうちにはそれは私どまりにしてほしいと言われたので、手元に残したままです。
次に取り組んだのが、戦時体験をまとめ後世に伝える活動です。
その4作目ができたのですが、今回、高林さんが選んだのが国会議員の送ることでした。
費用を集める協力をしようかと相談したら、自費でやりたいというのです。700人の宛名書きもたぶん高林さんは自力でやったのでしょう。
いかにも高林さんらしいスタイルです。

これだけの熱い思いを持っていることを、小冊子を受け取った国会議員の一人でも、受け止めてくれればうれしいのですが、果たしてどうでしょうか。

高林さんには、来年はぜひ湯島のサロンに話に来るようにお願いしました。
あの急な階段はご無理でしょうか、その時には駅までお迎えに行く予定です。コロナがおさまってくれるといいのですが。

戦時体験や戦争体験を話したいという方がいたらご連絡ください。

湯島で話をする場をつくりたいです。

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2021/10/06

■自国民ファーストの「国民国家」洗脳から解放されたい

気象学者の真鍋さんがノーベル物理学賞を受賞したことはうれしいニュースです。
しかし、私は「日本人がノーベル賞をもらったこと」にうれしさは感じません。
というよりも、この時期になると、日本人は受賞するかどうかが話題になりますが、とても違和感があります。
娘に、どうして日本人がノーベル賞をもらうとみんな喜ぶのかと訊いてみましたが、納得できる答えは得られないどころか、そう考えることがおかしい、とまた変わり者扱いされました。

ノーベル賞に限りません。
オリパラでも、日本人が金メダルを取るとみんな喜ぶ。
私には全く理解できない。
というよりも、国同士で競い合うことに全く意味を感じない。
それに選手だって、時々、所属国家を変えることもあるのですから、もう国単位で考えるのではなく、個人で考えたい。
個人の競い合いには意味を感じますが、国単位というのが理解できない。
日本人だから、日本だから、とどうしてみんな自分とアイデンティファイできるのでしょうか。

念のために言えば、私は日本が大好きで、ここで生まれ暮らしていることに満足しています。それに、日本人であるという自覚もあるつもりです。
でもだからといって、日本人がノーベル賞をもらったからといってどうしてうれしいのか。私にとっては、どうしても「日本人」は「私たち」にはならない。困ったものです。
気象学者の真鍋さんが受賞したことは、心から祝いたいですが。

自国民ファーストの「国民国家」幻想の実体はもう露呈されてきているにもかかわらず、相変わらず多くの人が、「日本人ファースト」から抜け出せないのが、どうも気になる。
真鍋さんの研究は、国家に呪縛されている時代は終わったと言っているように思います。

そういう研究者が受賞したのが、私はとてもうれしいのです。

でも、「日本人がこれで何人ノーベル賞を受賞した」などという報道に触れると、いやな感じがしてしまいます。
明日はまた「文学賞」でみんな大騒ぎになるのでしょうか。

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2021/09/06

■第1回リンカーンクラブ研究会報告

リンカーンクラブ代表の武田文彦さんからの呼びかけの第1回リンカーンクラブ研究会は9人の参加者があり、予定時間を大幅に超える熱い思いがぶつかり合う会になりました。
ちょっとみんな熱くなりすぎて、危うく壊れそうになるほどでしたが、かなりみんな真意も吐き出したので、何とかおさまり、逆にこれからの展開も見えてきました。

ご案内の通り、参加申し込みいただいた方にはあらかじめ膨大な原稿が送られてきました。それに一応目を通したうえで、皆さん参加されましたが、最初に武田さんからは、こう問いかけられました。

考えていただきたいことがあります。

他人やほかの本からではなく、現代の日本という国家についてのみなさんの国家観についてです。
さらに、歴史観です。今の時代は日本にとってどういう時代なのかということです。
もう一つは、経済観です。経済というものをどう考えるかです。

この、国家観、歴史観、経済観、それぞれ考えていただいたうえで、この3つの要素の連関性についてお考えいただきたいのです。
それぞれの考えに論理的に大きな矛盾が生じないようにしていただくという作業になります。バラバラではあまり意味はありません。

国家観、歴史観、経済観は単独では成立しません。
それは人体の各臓器とその作用のような物だと考えています。国家という生体が生きていくうえでの基本的な機構かもしれません。
こうすることで構想というものが生まれてくるような気がします。
こうして、初めて、日本の現代と未来の問題が見えてくると思います。
そして、現代の個人と国家の関係のあり方もまた見えてくるような気がします。

これが長年の武田さんの取り組み姿勢ですが、こう正面から問われると、いささかたじろいでしまいます。それに突然言われても、そう簡単にな話せない。

しかしめげずにみなさんそれに応じて、自論を話すことから研究会は始まりました。
参加者全員が話し終わった時はすでに予定の時間が終わるころでしたが、それから話し合いがはじまりました。

と書くといかにも整然と会が進んだように感じるかもしれませんが、原稿に対する批判や実際の運動につながっていないという厳しい批判もあり、さらに終盤になって個別的な政策課題に話題が行ってしまったために、話し合いは混迷し、あわや空中分解になりそうでした。
しかし、武田さんが呼び掛けたように「他人やほかの本から」の知識的な情報のやりとりではなく、それぞれの本音の話し合いだったので、各人の思いも見えてきて、逆にこれからの展開の手応えがあったような気もします。
本音の思いは、そう簡単には伝わり合えません。それがわかっただけでもよかった気がします。

いずれにしろ今回の話し合いを踏まえて、10月に第2回目の研究会を開催するとともに、並行して、リンカーンクラブ構想の話やその理念でもある究極的民主主義の紹介などのサロンも行うことを考えていこうということになりました。

研究会は基本的にはメンバー制で開催していきますが、関心のある方には公開していくスタイルをとる予定です。
関心のある方はご連絡いただければ、次回の案内などさせていただきます。

20210905

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■高林さんの「次世代に伝えたい私の戦時体験」

京都にお住いの高林實結樹さんは、現在90歳ですが、私よりもずっと活動的です。
高林さんは、時代とかかわりながら、しっかりとご自分を生きてこられた方で、高林さんが認知症予防活動に取り組まれていたころ、私はある会でお会いしました。

高林さんの身心から発しているオーラに共感することがあり、以来、もう15年を超えるお付き合いになります。
高林さんが取り組んでいた認知症予防ゲームを全国に広げていくための活動にもささやかながら関わらせていただきましたが、それとは別に湯島のサロンで何回かお話ししいただいたことがあります。
テーマはたとえば、記紀の編年を読み直すというような専門的なものもありましたが、ご自身の戦時体験を話してくれたこともあります。

高林流の認知症予防ゲームは各地に広がり、高林さんに共感した人たちがいまも全国で活動していますので、最近は高林さんは、自分でしかできないことに専念しだしています。

その活動の一つが、自らの戦時体験を次世代に伝える活動です。
といっても、昨今のコロナ状況では、いかに行動的な高林さんでも思うようには動けないでしょうが、高林さんは愚痴を一切こぼすような人ではありません。その状況の中で、できることに誠心誠意取り組むのが高林さんの生き方なのです。

今年の3月、京都で行われた国際婦人デーの集まりで、高林さんはスマホを使ってリモート講演をされました。タイトルは「小学6年生の時に感じた戦争への疑問・若い世代へ」。
高林さんは、そこで話した内容をそのまま小冊子にして、広く配ることにしました。
私にも送ってきてくださいました。
読ませていただき、私もまた少し高林さんの思いに協力して、この小冊子を配らせてもらうことにしました。
湯島と自宅に高林さんがどさっと送ってきてくれたので、読んでいただける方があれば、声をかけてください。

その小冊子の「はじめに」の最後に、高林さんはこう書いています。

国家・政府のウソは今に始まったものではない。
日本とは嘘つき国家か、と子供たちから言われないように、祈りを込めて、この冊子をお手渡ししたく存じます。

実はコロナ騒ぎが起こらなければ、昨年から湯島でも、こうした「戦時体験を語り継ぐサロン」を企画していたのですが、それができないでいます。
そう思い立ったのも、高林さんがきっかけでした。
こうして高林さんの小冊子を広げる活動に関わることで、ちょっとだけ肩の荷が下りました。

 

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2021/08/10

■「被爆者からあなたに」(岩波ブックレット)

86日と9日の、広島、長崎での平和式典のテレビでの報道を、例年と同じく自宅で見ていました。

今年は核兵器禁止条約が発効したこともあって、もう少ししっかりと報道され、関連番組も組まれるかなと思っていましたが、例年よりも簡単な報道でした。テレビも社会も、相変わらずコロナとオリンピックばかりで、社会はここまで軽薄になってしまったのか、と内心少し怒りを感じながら、でも何とか最後まで見ていました。

その前後のオリンピック報道も不快で、選手たちは6日には黙祷くらいはしたのだろうかとふと思いました。平和の祭典なら、世界から来た選手たちにも式典の報道くらいは見てほしかったですが、いまや「闘いの祭典」になっているアスリートたちには関心はないかもしれません。そういえば、彼らは福島の原爆事故の跡にもいっていないのでしょうか。そう思ったら、ますます怒りが強まりました。
私も、しかし、テレビ報道を見て、少し考えただけですから、他者のことをとやくいうことはできません。

6日には、最近、岩波から出版された、日本原水爆被害者団体協議会が編集した「被爆者からあなたに」(岩波ブックレット)を読みました。こういう被爆者からのメッセージを、読むことしか最近は私もしなくなってしまっています。
軽薄な社会の風潮に、私もどうも流されてしまっているようです。
さすがに、コロナやオリンピックには流されてはいないつもりですが、結局は何もしないのですから、みんなと同じなのかもしれません。
必要なのは「怒り」ではなく「反省」です。しかし、どうも最近は「怒り」が「反省」に勝っている。困ったものです。

昨夜、夜中に目が覚めて、「被爆者からあなたに」(岩波ブックレット)をみんなに読んでもらう呼びかけなら私にもできるなと思いつきました。
以前ならまとめて購入してこれはという友人たちに配布するのですが、最近は湯島を維持するだけでも困窮している有様なので、お知らせするにとどめることにしました。

620円と私にも購入できる価格で、1時間もあれば読み終えられる、読みやすい本です。
平和や核兵器に関心のある人なら、たぶん一度は触れたことのある内容が多いとは思いますが、改めて思い出し、自らの生き方を考える戒めにできるはずです。
まだこういう話を読んだことのない人には、ぜひ読んでもらって、感じてもらいたい。

そう思って、本書を紹介させてもらうことにしました。

 

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2021/06/25

■半藤一利さんの最後の著書「戦争というもの」

テレビで半藤一利さんの最後の著書「戦争というもの」を知りました。
半藤さんが孫の北村淳子さんに編集を託した本だと聞きました。
半藤さんが何を次世代に残そうとしたのかに興味があって、早速に読んでみました。

太平洋戦争中の語られた言葉のなかから、孫にも知ってほしいと思ったものを半藤さんが選んで、その背景などを紹介しています。
それを読んでいくと、戦争のむなしさやおぞましさが自然と伝わってくる本です。
半藤さんの人柄も。
半藤さんならではの本のような気がします。

当初、半藤さんは37の言葉を考えていたそうですが、それも手書きのメモで本書に掲載されています。

本書の最初と最後に、半藤さんの手書きの言葉が書かれています。
冒頭の言葉は、「人間の眼は、歴史を学ぶことではじめて開くものである」。
巻末の言葉は、「戦争は、国家を豹変させる、歴史を学ぶ意味はそこにある」。

歴史をきちんと学べる国になってほしいと最近つくづく思います。
いまの学校教育にはあまり期待できませんが、そもそも歴史は、教えらえるものではなく学ぶものだと思います。
気楽に読める本なので、ぜひ若い世代の人に広がるといいなと思います。
できれば若い世代で読みあってほしいものです。

 

 

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2020/05/04

■「21世紀の平和憲法」(川本兼 三一書房 2300円)のご紹介

今年の憲法記念日は、新型コロナの陰に隠れがちでしたが、こうした時期であればこそ、ぜひ多くの人に読んでいただきたい本を紹介させてもらいます。
コロナ危機への対処の仕方も、変わってくるかもしれません。

湯島のサロンの常連の一人、川本兼さんは、長年、平和や人権の問題に取り組んできていますが、改めて「平和」に関するこれまでの論考を整理した「21世紀の平和憲法」を三一書房から今月出版しました。
かなり粘度の高い論考ですが、川本さんの独自の視点と時間をかけて取り組んできた地道な活動の成果のおかげで、読み終えると、なにか動き出したくなる、実践的なメッセージがこもった1冊です。
巻末に川本さんの日本国憲法改正私案も掲載されています。

川本さんは、戦後日本国民の「戦争そのもの」「戦争ができる国家」を否定する「感覚」を高く評価しています。しかし、それがアメリカからの「押しつけ憲法」の憲法9条とつながったことで、日本人は平和が実現したと「錯覚」してしまい、その「感覚」を普遍的な理念(思想)にしてこなかったことを問題にします。
そしてこのままだと、その平和の感覚も風化し、日本の平和運動は次世代にも世界にも広がっていかない。したがって、戦争体験を通じて獲得した日本国民の戦後の「感覚」に「ロゴス」としての「言葉」を与えてそれを思想にし、さらにそれを世界に発することが急務だと言います。
そして、そうしたことに向けて、行動を起こそうというのが、本書のメッセージです。
本書の帯には、「次世代、他国の人々にも受け継いでもらえる運動を構築するために」と書かれています。

川本さんは、日本国民の戦後の「感覚」が求めたその平和は、「変革を要求する新しい価値」だったといいます。つまり、戦争放棄だけでは平和は実現しないのです。
そのために、川本さんは、「戦争そのもの」を否定する新しい論理、「戦争ができる国家」を否定する新しい論理を、平和主義、革命、基本的人権、社会契約という切り口から、次々と展開していきます。
そして、そうした論考を踏まえて、最後に日本の現状を変えていくために、新しい平和憲法と新しい運動の主体について、具体的に提言しています。
類書とはかなり切り口が違いますので、新しい気づきも多いはずです。

話が多岐にわたるので、簡単には内容紹介できませんが、特に最後の「21世紀の平和憲法」を多くの人に読んでほしいと思います。できれば、川本さんの憲法改正私案もお目通しいただきたいです。

川本さんの憲法改正私案は、いささか挑発的です。
現憲法は第1章「天皇」から始まりますが、川本私案の第1章は「人および国民の権利及び義務」で、人権原理から始まります。これは近代憲法のスタイルです。
問題は、現憲法の第2章「戦争の放棄」にあたる第3章が、「自衛軍と国際協力」となっていて、自衛軍(自衛隊ではありません)の保持が謳われていることです、
「平和憲法」なのに自衛軍を認めるのかと思う人もいるでしょうが、その意図を読めば、たぶん納得する人は多いでしょう。そこに込められた川本さんの仕掛けには、私は若干の異論を持ちながらも、共感し納得しました。

いずれにしろ、いろんなことを考えさせられる本です。

コロナ騒ぎが少し落ち着いたら、川本さんの改正私案を材料にしながら、日本国憲法を話し合うサロンをぜひとも開催したいと思います。
本の案内チラシを添付しました。

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2020/04/28

■コロナ危機を活かす〔5〕改めて「自由か安全か」

2回も寄り道してしまいましたが、2つ目の帰路、「自由か安全か」に戻ります。

あなたは「自由」と「安全」のどちらを重視して生きているでしょうか。
「自由」と「安全」は、次元の違う話だから比べられないと思うかもしれません。
しかし、そんな発想こそを捨てなければいけないと私は思っています。

そもそも、厳密にいえば、対置できる概念などありません。
平和と戦争も対置されがちですが、次元が違います。戦争でないから平和というわけでもなく、平和でないから戦争というわけでもありません。
でも「戦争か平和か」と問われれば、多分多くの人は「平和」を選ぶでしょう。

同じように、「自由か安全か」と問われれば、感覚的に答えられるはずです。
そして現代の日本では、多くの人は、「自由」よりも「安全」を選ぶようです。しかも、自らの「安全」のために他者の「自由」を抑制することさえ正当化してしまっている。

話題になった先日放映されたEテレの「緊急対談 パンデミックが変える世界」でも、ジャック・アタリが、安全か自由かという選択肢があれば、人は必ず自由ではなく安全を選びますと話していました。
アタリが、そんなことを言うのかとがっかりしますが、「自由のために死を辞さない」時代は終わってしまいました。

20世紀後半になって、「安全」は私たちにとって日常の事柄になってきました。
それに伴い、「死」はだんだん、生活から見えなくなってしまいました。
毎日、どれほどの人が死んでいるか、ほとんどの人は意識できなくなりました。
日本では自殺者だけでも毎日100人以上はいるでしょうが(統計上は少し低くなっていますが)、ほとんどの人は何も感じていないでしょう。

そんな時に、新型コロナウイルス感染症の蔓延。棺桶の並ぶ映像とともに、今日は何人死んだという報道が毎日なされるようになりました。
数字だけなら他人ごとにしておけましたが、テレビなどで親しく感じている人の突然の訃報は衝撃を与えました。

そして急に「安全」指向が高まってしまった。
もし「自由」が「安全」を損なうのであれば、たとえ他者の自由も抑制すべきだ!
人々の行動原理は「自由」から「安全」へと変わってしまった。

人の自由を抑制するには、権力や罰則、強い政府が必要です。
それによって、強い秩序が維持されて、安全な社会が実現するかもしれません。

ウルリッヒ・ベックの提唱した「リスク社会」時代とも深くつながっています。
かつては「安全」は個人の課題でしたが、今や「安全」は社会全体の課題になってしまった。個人の手には負えないリスクの発生です。

つまり、安全と自由が共立しにくくなってしまったのです。
だから、自由よりも安全は、時代の大きな流れとしてもはや変えられないと多くに人は思っています。
個人の自由が社会の安全を壊し、回りまわって個人の自由を奪ってしまう。
自由の時代から安全の時代への移行です。

しかし、それでいいのだろうか。
各自の自由こそが社会の多様性を豊かにし、社会の安定を高めるのではないかと私は思います。
種の多様性こそが淘汰を生き抜く生命の効果的な戦略です。
人間社会もその例外ではないでしょう。

ポストコロナに関しては、自由な文化は消えてしまうのではないかという見方が多いようですが、むしろ安全志向の流れを反転させる契機にしていきたいと思います。
本当の「安全」は、自由の空気の上にこそあると思うからです。

だから私は、今日も吹き荒れている、パチンコ屋さんいじめには恐怖を感じます。
次はだれが狙い撃ちされるのでしょうか。

 

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2020/04/13

■「ペスト」を読んでちょっと考えさせられました

今日は終日、在宅だったので、カミユの「ペスト」を読みました。

本文に入る前に、ダニエル・デフォーの次の言葉が引用されています。
ここにカミユの意図がうかがえます。

ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。

「ある種の監禁状態」とは、カミユが若いころにアルジェリアで強く感じていたことかもしれません。

私の記憶には、医師のリウーがあまりに強く残っていたのですが、今回はリウーと一緒にペスト対策に取り組んだ、タルーの言葉が心に突き刺さりました。
タルーは自らに関して、こう語っています。

「僕はこの町や今度の疫病に出くわすずっと前から、既にペストに苦しめられていたんだ。というのは、まあ、つまり、僕も、世間みんなとおんなじようだということなんだがね。しかし世間には、そういうことを知らない連中もあれば、そういう状態のなかで心地よく感じている連中もあるし、また、そういうことを知って、できれば、それから抜け出したいと思っている者もある。僕は、いつも抜け出したいと思ったのだった」。

タルーが言う「体験してきているペスト」とは、病気のペストが蔓延している時に顕在化される社会の状況を指しています。
タルーは、そうしたことに気づいてから、「世間でよくいう政治運動」に取り組むようになったと語っています。
そして、つづけてこう言います。

「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ」

「ペスト」というところに新型コロナウイルスを置いてみると、今まさに私たちが体験していることとつながってくるかもしれません。

新聞記者のランベールの行動変容もまた、考えさせられるものがあります。
当初、彼は恋人に会うために閉鎖された町から抜け出そうとしますが、それが可能になった時に、町に残ってペストから人々を守る活動に参加します。
そのいきさつのところに、前回、読んだ時(私は20代でした)の赤線が引いてありましたが、今回はそこではなく、次の言葉に目が行きました。
「ペスト以前にだっておんなじぐらい危険はあったんですからな、往来の激しい四辻を渡る時なんか」とランベールは言うのです。

もう一人、パヌルー神父の言葉も示唆に富んでいます。
ペストのなかに離れ島はないことを、しつかり心に言い聞かせておかねばならぬ。

ペスト騒ぎが一段落して、平安な日常が見えてきたときに、リウー医師はこう書いています。

彼等は今では知っているのだ - 人が常に欲し、そして時々手に入れることができるものがあるとすれば、それはすなわち人間の愛情であることを。

私たちが、「愛」を忘れたときに、パンデミックはやってくるのかもしれません。

 

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2019/11/18

■核時代に懸ける人類生存の橋

いよいよ来週、ローマ法王が来日し、広島と長崎を訪問します。
人類が生存の危機に直面している核時代にあって、世界唯一の被爆地から法王がどのような発信をするかは、まさに未来の方向を決めていく大きな意味を持っています。
私たちも、ローマ法王の来日を一過性のイベントで終わらせることなく、これを機会に、これまでのように核被害の「受忍」にとどまることなく、きちんと歴史に向き合い、法王と共に、人類生存の橋を懸ける行動を起こさなければいけないのではないか、という本間照光さん(青山学院大学名誉教授)の提案で、先日湯島でサロン「核時代に懸ける人類生存の橋」を行いましたが、もっと広く多くの人に呼びかける必要を感じて、改めて本間さんの呼びかけを収録して公開することにしました。

まずはその要約版をご覧ください。
https://youtu.be/UeqlOlpSYGg
お時間の許す方はもう少し詳しい本編をご覧ください。
http://isc-creative.com/tmp/cws/thomma201911/

本間さんに呼びかけに応えて、「核時代に懸ける人類生存の橋」をテーマにみんなで話しあえるような場や公開フォーラムも企画していきたいと考えています。
しかし、まずは多くの人に本間さんの呼びかけをお聞きいただきたいと思います。
まわりの人にもぜひご案内いただき、この記事も拡散してもらえればと思います。

本間さんのアピールを拡散することにご協力いただけるTwitter利用者の方にはお願いがあります。
Twitter
のハッシュタグ検索またはGoogle検索で、
        
ローマ法王 本間照光
と検索していただきたいのです。
さらには、そうやって発見したツイートをリツイートしていただきたいと考えています。

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