カテゴリー「平和時評」の記事

2023/10/22

■がん民間療法体験32:30日までの報告

ヒートマット療法に取り組みだしましたが、私の使用方法に関しておふたりの方からアドバイスがありました。夜の就寝中の電気毛布的な使用では不十分だというのです。たぶんそれは間違いないでしょう。
友人たちのアドバイスにしたがって座禅スタイルで毎日、朝晩30分ほどやることにしました。45度以上に設定したので、低温やけどしないように気をつけなければいけません。

ちなみに、がん細胞は40度とか42度で死んでしまうという人がいます。
私は、そうは思っていませんが、ヒートマット療法を勧めてくれた友人もそういっています。それを否定するつもりはないのですが、生命はそんなに簡単には死滅しないと私は思っているのです。
ともかく、何が起こるのかわからないのが生命現象です。
いまの科学が解明したのは、ほんの一部でしかありません。
そういう思いが、まさにこの「40日プロジェクト」を支えているのです。

ヒートマット療法は、即効性はないと思っていましたが、気のせいか、汗だくになった直後は気分爽快になります。
まあ当然と言えば、当然ですが、でも朝晩2回の30分座禅は大変です。がんばって10日間は続けようと思います。

毎朝の祈りから始まって、祈りを感ずることも身についてきました。
重曹水とクエン酸水は、定着しました。
自分に合った適量もわかってきて、調子もいいです。
水素療法は、友人たちの支援で、水素風呂、水素ガスを継続しています。これも体調を浴してくれている大きな要因でしょう。
人参・リンゴ・レモンジュースもだいぶおいしくなってきました。
チャーガは相変わらず飲みにくいですが、飲んでいます。効果は全くわかりませんが。
天日塩のお味噌も毎日、いろんなものと一緒に食べていますし、砂糖や甘いお菓子はやめています。食への関心も高めています。
適度な散歩もやっていますし、笑いと隣り合わせの生活(肯定的な生き方)にも心がけています。

これだけのことをやっているおかげで、たぶん私の体内のがん細胞は、身の程を自覚して、然るべきところに収まってくれたと確信していますが、まあ生命現象は私が思っているほど簡単ではないでしょう。
11月初めの検査結果がどう出るかは、わかりませんが、楽しみです。

しかし私にとっての最大の療法は、多くの人たちに支えられていることを実感できていることです。
あったかい思いが、伝わってくる。本当にありがたいことです。
こうした思いが、社会に広がっていくと、みんな気持ちよく暮らせる社会に近づくかもしれません。

さらにメニューを増やして、盛りだくさんにしようと思っていますが、今や何でもかんでもすべて、「民間療法気分」です。
実に楽しく、ワクワクします。
というか、いろんな人たちの思いをしっかりと受け止めて、すべてに感謝するような生き方に努めようと思います。
みなさんの応援に感謝しながら、私も祈りを送り出しています。

ガザにも、ウクライナにも、そして未来にも。

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2023/09/05

■裁判もまた事件

辺野古埋め立てを巡る訴訟で、最高裁は県の訴えを棄却しました。司法が繰り返し行っている、難しい判断からは逃げるといった姿勢をまた感じてしまいます。なぜこれほどに、国家の力は強いのか。もっと現地と、つまり現実としっかり話し合い、問題を可視化していく姿勢を司法は持たないのか。

今朝の朝日新聞の沖縄県知事の写真の表情に、とても共感しました。
5人の裁判官も、この写真をしっかりとみてほしい。
私たちも、いまの沖縄にもっと関心を持たなければいけないと改めて感じます。
ウクライナよりも、沖縄であり、フクシマだろうにといつも思います。

統治行為論で一度、逃げて以来、日本の司法は統治者の道具に成り下がってしまったのでしょうか。
冤罪を疑われる事件に対しての、執拗な司法のこだわりは異常としか思えない。
司法への不信感は、テレビのドラマにも盛んに取り上げられます。

最近見たドラマ「事件」の最後で、主人公が「裁判もまた事件なのです」と語っていましたが、全くそうです。
そう考えると、裁判官がみんな加害者に見えてくる。

困ったものです。

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2023/08/24

■戦争はなぜ起こるのか

最近、さすがにウクライナ戦争に関する報道も静かになり、好戦的な状況づくりの報道も鎮まったようで安堵しています。
まあ日本の国家予算の防衛費の激増も認められたし、原発再稼働の国民合意も取れたので、政府にとっても利用価値が低下したのかもしれません。

私自身は、ウクライナ戦争当初から、その報道姿勢に違和感がありました。
それに、なんでみんなこんなにウクライナを支援するのかも理解できませんでした。
日本の近くにはもっと悲惨な「戦争状況」はあるでしょう。沖縄だって、もっと報道されていい。そこに目を向けずに、何がウクライナだ、とさえ思っていました。

それに、ウクライナで戦い、殺し合っているのは、プーチンでもゼレンスキーでもありません。ロシア人とウクラナイ人です。問題の捉え方になじめなかったのです。

半世紀ほど昔に書かれたアーサー・ケストラーの「ホロン革命」という本があります。
ケストラーは、いろいろな歴史を検討して、「人類の苦悩はその過剰な〈攻撃性〉にあるのではなく、そのなみはずれた狂信的〈献身〉にある」という結論にたどり着く。
そしてこう書いています。

歴史にざっと目を通せばわかることだが、人間の悲劇のなかでも動機が利己的な個人規模の犯罪など、部族、国家、王朝、教派、政治的イデオロギーヘの没我的忠誠心のなかで虐殺された人びとに比べれば、きわめてささいだ。問題は〈没我的〉だ。ごく少数の金目当ての傭兵やサディストを除けば、戦争は個人の利益からではなく、王、国家、大義への忠誠心と献身からおきている。

戦争は憎しみや対立からではなく、愛や共感から起こる。
私には意外な結論でしたが、考えてみると納得できます。

ウクライナの人たちもロシアの人たちも、相手の人たちへの憎悪や敵対心から殺し合いを始めたわけではない。
殺し合いを始めたために、憎悪や敵対心が生まれてしまったのです。
そこを見誤ってはいけません。

ではなぜ殺し合いにまでつながる戦いを始めたのか。
それは国に対する忠誠心や一体感からでしょう。あるいは隷属意識。
しかしそこには大きな勘違いがあります。
政府は国ではないのです。
いやそもそも国とは何か、です。
そんな基本的なことさえ考えようとしなくなっている国民の行く末は見えています。

戦争を回避したいのであれば、向かうべき敵が間違っている。
ウクライナの人たちは、そしてロシアの人たちも、さらには日本の人たちも、戦うべき相手は、自国の政府なのです。銃の向け先が間違っている。

もし戦争を避けたいのであれば、政治のパラダイムを変えなければいけません。

 

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2023/08/06

■9日は湯島で「祈りのサロン」です

広島での平和祈念式典のテレビの報道を見ています。
いつも思うのは、その時々の首相は、この式典に列席して一体何を感じているのだろうかという疑問です。
今回もこの疑問は消えません。
岸田さんも、この式典にふさわしいようには見えません。

まあ、そういう偏狭な考えが間違いなのかもしれませんが。
8時15分、テレビの画面の前で黙祷しました。

広島市長の話を聞きながら、この案内を書いています。
市長のスピーチにはいつも感ずるところがあります。
私はこれ以後はいつもテレビを消しますが。

3日後の9日は、長崎に原爆が投下された日です。
今年は9日の午前中に湯島でサロンを開きます。
長崎を思っての黙とうもしたいと思っています。

猛暑ですが、もしよかったら長崎を思い出しながら、これからの平和を祈るサロンに、ぜひご参加ください。
案内を改めてお届けします。

■湯島サロン「祈りのサロン」のお誘い(再送)

毎年、8月は原爆投下と戦争終結がマスコミでも大きく取り上げられます。
私も、戦争や原爆の悲惨さを思い出して、せめてそういうことには加担しない生き方をしようと毎年祈りをささげてきました。

しかし、実際の日本の社会は、このところ、急速に戦争や核武装へと向かっているような気配があり、毎年の報道はいったい何なのだろうかと思うことが多くなってきました。
そんな時、サロンに参加している人から、長崎や広島では今もなお、思いを新たにし、何かできることはないかと行動を促す祈りが継承されていることを教えてもらいました。
それで長崎出身の鐘ヶ江さんに「長崎の原爆をもっと思い出してほしい」というサロンをやってもらいましたが、そこで「祈り」の大切さに気づかせていただきました。
いまは、毎朝、短い祈りをさせてもらっています。

「祈り」は長崎や広島に限ったことではありません。
沖縄でも福島でも、あるいは最近多発している被災地でも、「祈り」は行われています。
でも、テレビで見る「祈り」も、他人事にしか感じなくなっている自分に気づくことが少なくありません。正直、私自身の「祈り」も形骸化していることは否めません。

しかし、鐘ヶ江さんのサロンの後、テレビで見る「祈りの風景」が少し違って見えてきました。自然と、一緒に手を合わせることも起こってきた。
祈る対象は違っているかもしれませんが、大きな意味ではみんながつながっている。
私が祈りたい思いや人ともつながっている。
それに気づくと、さまざまなことのつながりが「祈り」の中に感じられるようになってきました。
そうした祈りがつながっていけば、きっと世界は変わっていく。そういう「祈りの力」を、前回のサロンで気づかせてもらいました。

そこで、今年は、8月9日、長崎に原爆が投下された時間を含む時間でサロンを設定し、長崎での被災者に黙とうを捧げるとともに、各自それぞれの「祈り」を重ねて、「祈りのサロン」をすることにしました。

サロン前半では長崎を思い出し、11時2分(長崎への原爆投下時間)に全員で1分間の黙とう。前回サロンをしてくださった鐘ヶ江さんが、今回も参加してくださいますので、長崎風の黙とう作法も体験したいです。
そのあと、長崎をちょっと離れて、参加した人それぞれが、「祈りたい」ことを話し、「祈り」と「祈りの力」について、それをどう生かせるか、どう生かしていけば力となるか、話し合えればと思います。
「祈りたい」ことの告白はオフレコです。沈黙の告白もありです。
そして最後にみんなで、黙とうしたいと思っています。

なんだかよくわからないサロンですので、どう展開するかわかりませんし、何人集まるか全くわかりません。
少なくとも私は参加します。祈りたいことがたくさんありますので。
もし「祈りたい人」がいたら、一緒に祈りに来てください。

〇日時:2023年8月9日(水曜日)午前10時~12時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「祈りのサロン ― みんなで祈りましょう」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/05/30

■重田園江さんの「真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争」を一気に読みました

ウクライナ戦争に関して、視野を広げてくれる本を読みました。

これまで私は、ロシアもウクライナも、国民が戦わなければ戦争はおさまるのではないかなどと考えたりしていましたが(その考えは今も変わりませんが)、どうももう少し視野を広げなければいけないと痛感しました。
ウクライナに関する本も何冊か読んではいますし、「ブラッドランド」も読んで、ソ連の歴史も少しは知っているつもりでしたし、「カティンの森」の映画も見ていますが、まだまだ身心に入ってきていないことを思い知らされました。
軽々にロシアやプーチンを語るのも注意しなければいけません。

読んだ本は、重田園江さんの「真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争」(白水社)です。昨夜読みだしたのですが、一気に読み終えました。
久しぶりの睡眠不足で、おかげで朝からもう眠いです。

この本で面白かったのは、アーレントの「真理と政治」につなげての話とウクライナの映画人、とくにロズニツァ(私は全く知りませんでした)の作品にまつわる話ですが、それは読んでもらうとして、その本の最後に掲載されていた、昨年530日のニューヨークタイムズに掲載されたイェゴール・フィルソフさん(ウクライナ軍の医療班員)の投稿記事の一部を紹介したいです。

よく言われている話なのですが、重い本を読み終えて気が滅入ったところで読んだので、元気が取り戻せました。
長いですが、引用させてもらいます。

死がありふれているところでは、人々は頑強になると思われるでしょう。ところがそうではないのです。人は繊細になり、また以前よりオープンになるのです。どこででも爆撃が起こり、見知らぬ人と遮蔽物の下に隠れていると、心から率直な会話ができます。自分だけの秘密や個人的な経験、そして大切な記憶を分かち合うことができるのです。死が荒れ狂う場所を、なるべく多くの生で満たそうとしているのでしょう。

ここでは皆がすべてのものを分かち合い、助け合っています。軍や警察、当局者すらもです。食べ物がないと分かると、与えてくれます。服が破れて汚くなっていたら、自分たちの服をくれます。タバコがなかったら、半分分けてくれます。平和なときには、私はこのような互いへのケアや配慮を見たことがないです。

以上がフィルソフの投稿記事です。
あの悲惨なブチャにおいても、こうなのです。
やはり私は、すべての人が本来、性善であることを確信します。
もちろんプーチンもゼレンスキーもです。

それにしても、「平和」とはいったい何なのか。
平和は幸せにつながっているものなのか。

一昨日、引きこもりの親の会で話したことにも、少し自信が持てました。
アーレントの「真理と政治」も久しぶりに読み直そうと思っています。

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2023/04/12

■「模倣の罠」を読んで、プーチンやトランプへの理解が深まりました

最近、民主主義も自由主義も世界的にあまり人気がなく、どちらかと言うと、反民主主義や反自由主義が世界を覆いだしてきていますが、それがとても気になっています。

昨日、イワン・クラステフとスティーヴン・ホームズの共著「模倣の罠」を読んで、その背景がよくわかりました。
2021年発行の本ですが、最近のプーチンやトランプ、さらには習近平の行動も、この本を読むと理解が進むように思います。
このふたりの最近の言動には、私もかなり違和感を強めているのですが、あまりに単純に非難する人が多いのがむしろ不安です。
非難する前に行動を理解することが大切です。

基本は、グローバリストとナショナリストの対立構図で描かれています。それには若干の違和感はありますが、本書の立場に立てば、それら3人のリーダーに対して、非難しているだけでいいのかという気になります。彼らのメッセージはしっかりと受け止めることが大切ではないかと思うのです。

著者は、1989年から始まった「模倣の時代」(共産主義世界が終焉し、自由主義社会が唯一の目指すべきモデルになり、みんなが欧米の民主主義・自由主義を模倣するようになった)が、最近の習近平中国によって終わりを迎えていると分析しています。
その間、プーチンはいち早く、そのモデルの問題点を可視化するために「鏡映し」戦略をとり、西側の民主主義体制の不安定さと弱さを明らかにしてくれたと言います。
西洋の模倣を中心に組織された世界は、アメリカの利益に従順に従う自由主義の世界になることを意味していた、とも書いています。

しかも、冷戦の終焉によって、敵を失ったアメリカは傲慢に振る舞いだした。ちょうど野党を失った日本の自民党が傲慢になってひどい政治をつづけているのと同じです。
どんな場合も、自らにとって脅威となる「ライバル」の存在は必要なのかもしれません。

さらに著者は。「西洋がプーチンのロシアに似始めている」とも書いています。
「模倣」は「模倣される側」にも「模倣」を誘発するのです。
それ以外にも、とても示唆に富む本です。

民主主義や自由主義を大切にしたい方には、ぜひお薦めします。

 

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2023/03/23

■沖縄ではもう戦争の姿が見えてきている

最近、投稿も少なくなっているせいもあって、このブログへのアクセス数は少ないうえに、滅多にコメントもないのですが、昨日はとてもうれしいコメントが届きました。

投稿者の了解を得て、改めて紹介させてもらいます。
多くの人に読んでいただきたいと思います。

「戦争の足音が聞こえてくるような気がしています」と書かれていたので居ても立ってもいられずコメントを書こうと思った次第です。

 私は沖縄県民です。沖縄では足音ではなくもう姿が見えてきています。自衛隊基地がどんどん作られ、ミサイルや弾薬が何の了解もなしに持ち込まれてきています。12月の安保関連法案が閣議決定されてから私の心はずっと不安で押しつぶされそうになっています。本島に住む私でさえこうなのですから先島、特に与那国・八重山に住む方たちの心情を思うと涙が出てきます。こんな大事なことを閣議決定で決めたとして認められるのでしょうか?閣議決定は法令ではなく内閣や行政機関を縛るものだと理解していましたが…。私の理解が間違っていますか?

 閣議決定の後もいつもと同じような年末年始の番組でした。世の中の無関心さがとても怖いのです。政府の横暴をだまって見過ごさないでほしいのです。しかしそういう沖縄も前よりも力が弱くなっているのではないかと感じています。このままでは本当に沖縄が戦場になってしまいます。

 本土の方々は「沖縄はかわいそうだが仕方ない」「地理的にしょうがない」「自分たちのせいではない」と胸を張って言えるのでしょうか?

 「台湾有事は日本の有事」と大声で煽ってた方は亡くなりました。日本国民の皆さんには目を覚ましてほしい。戦争になっていい思いをする人は戦争に行きません。戦場にもいません。沖縄をもう二度と戦場にしないでください。これだけが願いです。

以上です。
何回も読んでしまいました。少しでも現地の人の思いをシェアしたいと思ったからです。

この方は以前もコメントくださった方ですが、私とは面識はありません。
岸田さんにはウクライナに行く前に、沖縄に行ってほしかったです。
横田基地の近くに住んでいる私の友人は、横田基地さえ様子が違ってきたと言っていました。

私も時々、ネットで沖縄の新聞記事などを読みますが、残念ながら頭での理解しかできません。沖縄と連帯する会・ぎふのサイトに沖縄関連ニュースの動画をアップしてくれているので、これも時々、見せてもらっています。
https://okinawarentaigifu.jimdo.com/          

本土ではWBCの話題に覆われていますが、沖縄では着々と戦争への道が開かれているようです。昨日の石垣市での住民説明会では、住民から敵基地攻撃能力を持つ長射程ミサイルの配備は容認できないなどの声も上がったそうですし、説明会の前の20日には、「石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会」の抗議活動も行われています。

どこか間違っている。そんな気がしてなりません。

また湯島のサロンで、沖縄の話をしたいと思いますが、どなたか話題提供か問題提起してくださる方がいたらご連絡下さい。

 

 

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2023/03/07

■中国の現代小説を読んだことはありますか?

米中対立構造の中で、どうも最近の日中関係もいい方向には進んでいません。
その上、私の誤解かもしれませんが、日本人はあまり中国が好きではないようです。
しかし、韓国や北朝鮮もそうですが、中国は日本の隣国です。
遠くの親戚よりも近くの他人というのは、別に個人の世界だけの話ではありません。
韓国とも北朝鮮とも中国とも仲良くすればいいと私はいつも思っていますが、どうも政治の世界ではあまりいい関係にはなりません。とても残念です。
そのせいか、中国に関するテレビや新聞での報道も、パンダ以外はあまり好意的な感じがしません。
ちなみに私はパンダがなぜあれほど人気なのかいつも不思議です。それにパンダを賃借するようなモノ扱いしていることに違和感を持たない人たちのパンダ愛には違和感があります。日本人の中国人観につながっているような気もします。蛇足でした。

話を戻します。
こんな状況が続けば、日本人はみんな中国嫌いから中国人嫌いになってしまいそうです。
そうなってほしくはありません。
そう思っていたら、ある人から最近の中国の人たちが読んでいる中国現代小説を日本に紹介している活動があることを教えてもらいました。
中国現代文学翻訳会というグループで、「いま中国に、こんなに豊かな言語空間を有する作品があることを日本の読者に伝えたい、との思いを共有する中国現代文学研究者・翻訳者の集まり」だそうです。
年2回、小説、詩、随筆など、現代中国の作品を紹介する「中国現代文学」という本を出版しています。
https://www.hituzi.co.jp/kotoba/syokai.html

教えてくださったのは、その会のメンバーのおひとりです。
早速にその人が訳した「鍬を担ぐ女」(何玉茹)を読ませてもらいました。短編ですが、中国社会の生々しい現実の一部に触れさせてもらった気がしました。もっとほかの作品も読みたくなりました。

私はこれまで現代の中国の人たちがどんな小説を読んでいるのか気にしたことがありませんでした。しかし、中国の人たちのことや中国という社会を知りたいのであれば、その人たちが読んでいる小説を読んでみるのはいいことです。そうした小説を読めば、いまの中国の人たちの生き方や考え方、あるいは社会の実相に触れられるかもしれません。そのことに気がつきました。

気がついたら動かなければいけません。
そこで、今年の6月から、中国現代文学翻訳会の同人でもある葉紅さんにお願いして、「現代中国小説」を読むサロンを定期的に湯島でやってもらうことにしました。日程が決まったらご案内しますが、中国と仲良くしたいと思っている方はぜひご参加ください。
そしてまずは、ひつじ書房が発行している「中国現代文学」で、現代中国文学に触れてみてください。葉紅さんからお借りして、湯島にも何冊か置いていますので、もし読んでみたいという方がいたら貸出しいたします。
私も、「中国現代文学」のバックナンバーに併せて、一時期、話題になったSF小説「三体」を読んでみようと思っています。

なお、湯島のサロンでは今年は「中国をもっと知ろう」という視点から、中国関係のサロンも始めたいと思っています。
話題提供してくださる方がいたら、大歓迎です。ぜひご連絡ください。

 

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2023/02/20

■北朝鮮のミサイル発射報道のたびに軍艦「天安」沈没事件を思い出します

今日、北朝鮮からミサイルが発射されました。
今年に入って3回目だそうです。

私はこういう報道がされるたびに、10年ほど前に起こった韓国の軍艦「天安」の沈没事件を思い出します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AE%89%E6%B2%88%E6%B2%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この時も、北朝鮮の攻撃による爆沈という話も流れました。
そして偶然かもしれませんが、沖縄の米軍基地に移転を働きかけていた鳩山政権は終わりました。

 誰が一体、これほど頻繁にミサイルを発射するのか。
トンキン湾事件は10年もたたずに真実が明らかになりましたが、北朝鮮ミサイル発射事件には、そういう隠された真実はあるのでしょうか。
それがわかるまで、もう少し長生きしたいと時々思います。

 

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2022/12/22

■戦争をやめさせたいのであれば、戦争をつづける人に加担すべきではない

夕刊が届きました。

Dsc_0073

一面に大きく、バイデンとゼレンスキーの会談の写真です。
この写真を見た人は何を感ずるでしょうか。

私は大きな絶望感を持ちました。
そんなに2人とも戦争をつづけたいのか。
第三国からの軍事支援が続くかぎり戦争は終わらないでしょう。

アメリカ議会での鳴りやまない拍手には、日本の国会での拍手を思い出しました。
どうしてみんなそんなに戦争が好きなのでしょうか。

戦争をやめさせたいのであれば、戦争をつづける人に加担すべきではないでしょう。
「戦わさせられている人たち」への支援策を見つけなければいけません。
その人たちは、ウクライナにもロシアにもいます。

その一歩として、まずは自分たちも戦えるようになろうなどと呼びかける政府を支援すべきではありません。

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