カテゴリー「平和時評」の記事

2016/12/01

■Imagine!(想像力を取り戻そう!)

(今日は挽歌編と時評編に、タイトルを替えて同じものを書かせてもらいました)

なぜか涙が止まりません。
涙が出てくる時には、何かがたまっている時かもしれません。
心がとてもやさしくなっているか、あるいは逆にさびしくなっているときです。
いまのわたしは、いずれでしょうか。
残念ながら、後者だろうと思います。
最近、他者にも自分にも、やさしくなれない自分に、嫌気を感じているほどですから。

何かがあったわけではありません。
ただテレビの番組を見ただけなのに涙が止まらない。
番組は、昨夜の深夜(暦的には今日ですが)、録画していた「世紀を刻んだ歌2 イマジン」。
2002年に放映された番組です。
内容は、9.11事件直後のニューヨークと東京都内の中学校を主な舞台に、ジョン・レノンの“イマジン”が若者たちに何を気づかせるのかを示唆してくれるものです。
その合間に、さまざまな人が歌う“イマジン”がバックに流れます。
それを聞いていると、なぜか涙が出てきてとまらない。

“イマジン”を聴いた日本の中学生の一人がこう語ります。

もし大事な人がいなくなってしまったら、 その人の笑顔を見ることができなくなったら、 と思うと、私にはたえられません。

あるいは、こういう中学生もいました。

わたしはもっとやさしくなりたい。

そんな中学生の言葉に、涙が出てしまう。
“イマジン”のメロディを聞いただけで涙が出てしまう。
Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん みんながなかよく生きている世界を。
この言葉だけでも涙が出てしまう。

私の想像力は、まだ病んではいないと安堵しながらも、その思いがまた涙につながっていくのです。
私が悲しいのは、妻の笑顔を見ることができなくなっただけではありません。
最近は、本当に平安な笑顔を見ることが少なくなってきたような気がします。
世界が深く病みだしている。
多くの人が笑顔を忘れだしている。
つくられた笑顔には、心が痛みます。
そうしたなかで生きている私もまた、おそらく病んでいるのでしょう。
そう思うと、ますます涙が出てきてしまいます。

テレビで明るく話していた杉並区の西宮中学校の中学生たちは、いまはもう成人式を超えて、30歳近い若者になっている。
彼らはいまはどうしているでしょうか。
そのだれかに会ってみたい気がします。
ジョン・レノンの夢を、いまどう考えているか。

ジョン・レノンの37回忌が、間もなくやってきます。
改めて、多くの人たちに、“イマジン”を聴いてほしいと心から思います。
もしよろしければ、ここから聴いてください。
https://www.youtube.com/watch?v=dq1z1rkjw-E
歌詞だけでも、ぜひ読んでください。
http://eylyricsdiary.blogspot.com/2012/03/imagine.html

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2016/11/08

■この写真の折り鶴をご存知ですか?

この写真の折り鶴をご存知ですか?

Photo

「サダコ鶴」です。
広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルとなった、佐々木禎子さんが残した折り鶴です。
映画にもなっています。
http://www.earthartfactory.org/blank
その「サダコ鶴」は、平和の祈りを乗せて、世界に飛び出しています。
昨年は、アメリカのトルーマン図書館にも贈られました。
トルーマン大統領は、70年前、原爆の投下を承認した大統領です。
その図書館に、どうして被爆者の折り鶴が置かれることになったのか。
尽力されたのは、トルーマン大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん。
そして、NPO法人SADAKO LEGACYの佐々木雅弘・祐滋さん親子です。
禎子さんは、禎子さんの兄と甥です。
おふたりは、平和を祈って病床で最後まで鶴を折っていた禎子さんの思いを世界中に届ける活動を続けています。
そのサダコ鶴が、昨日、湯島にも立ち寄ってくれました。
その写真です。1円玉と比較してみてください。
とても小さな折り鶴ですが、そこに込められた「平和へのいのり」はとても大きく、世界を変えようと飛び出しているのです。

佐々木祐滋さんは、ミュージシャンです。
“INORI”という曲をご存知の方も少なくないでしょう。
ご存じない方がいたら、ぜひユーチューブで聴いてください。
https://www.youtube.com/watch?v=aZKgqjtig3M

昨日、祐滋さんと、サダコ鶴をもっと大きくはばたかせようという話し合いをしました。
何ができるかわかりませんが、いろんな力がほしいです。
世界のしあわせに向けて、できることはたくさんあります。
力を貸して下さる方がいたらご連絡ください。


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2016/10/06

■国家が争い合うグローバリゼーション

昨日の読売新聞に、「奈良の都にペルシア人役人がいた」という記事がありました。
それによると、奈良の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯」という名字を持つ役人の名前が書かれていたのだそうです。
当時、日本は今以上に国際色豊かで、ペルシア人もいたことは、これまでも言われていましたが、木簡で確認されたのは初めてだそうです。

私たちは、進歩主義、つまり時代とともに、文化は進歩し、いまがその頂点にあると考えがちです。
たとえば、グローバリゼーションや人間の活動範囲に関しても、そう思いがちです。
しかし、そんなことはありません。
いま、国会で、議員の二重国籍が問題になっていますが、奈良時代には役人の中にペルシア人がいたのです。

そもそも聖徳太子が突厥人だったという論もありますし、天武天皇も渡来人だったという説もあります。
いずれもかなり説得力ある論拠が提示されています。

私たちが知っている歴史は、時代に合わせて作られたものでしかありません。
そして、その時代の人は、いまが一番進歩の頂点にあると思いたがりますから、歴史書はほとんど前の時代よりも今の時代がいいということになりがちです。
しかし、歴史は必ずしも進歩しないことは言うまでもありません。

たぶん奈良時代以前の日本列島には、さまざまな民族の人たちが住んでいたのでしょう。
文化も多様だったはずです。
グローバリゼーションとは、国家の枠を超えると言う意味が含まれています。
インターナショナルとは違うのです。
世界の構成原理が変わるということではないかと思います。
だから逆に、ナショナリズムへの逃避も強まるわけです。

グローバリゼーションの時代には、むしろ多くの人が、さまざまな国籍をもって、国家の枠にこだわらない発想をしてほしいという思いがしますが、これは私の思い違いでしょうか。
国家が争い合うグローバリゼーションって、いったい何のか、私にはよく理解できません。

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2016/09/14

■北朝鮮の核兵器開発に思うこと

北朝鮮の相次ぐ核兵器のデモンストレーションに危惧を抱いている人は多いかもしれません。
だからこそ、日本も核武装しなければいけないと考える人もいるかもしれません。
そこまでいかなくとも、核抑止力を高めなければいけないと思う人は多いでしょう。
でも北朝鮮の核兵器がなぜそんなに脅威になるのでしょう。
私には、米ソや中国の核兵器のほうがよほど怖いですし、日本の原発も怖いです。

北朝鮮の金正恩はなぜ核兵器にこだわっているのでしょうか。
そしてどういう状況の時に、その核兵器を使用するつもりでしょうか。
それを考えれば、北朝鮮の核兵器開発の捉え方は一変するはずです。
北朝鮮が核兵器にこだわっているのは、核抑止力といわれる核兵器で、囲まれているからではないのか。
あるいは経済制裁で、世界が自分たちを追い詰めていると思っているのではないのか。
80年前の日本を思い出します。
そして日本は戦争に踏み切りました。
もちろん開戦前からわかっていたように、敗戦しましたが。

脱北者が続いていることから推測できるように、北朝鮮の国民は金正恩を支持はしていないように思います。
リビアのカダフィーやイラクのフセインとは違います。
なぜアメリカは、カダフィーやフセインを倒したように、金正恩を倒さないのか。
その気になれば、それはそう難しい話ではないでしょう。
にもかかわらず、それが起きないのは、たぶん金正恩の存在価値があるからでしょう。
金正恩が核兵器開発や暴挙を繰り返せば繰り返すほど、利益を得る人がいる。
金正恩の北朝鮮を守っているのは誰なのかが、そう考えると世界は少し違って見えてきます。

私たちは、北朝鮮の核兵器には脅威を感ずるのに、なぜアメリカの核兵器には脅威を感じないのか。
アメリカの核兵器は、しっかりと管理されていて、暴走はしないと思っているのでしょうか。
アメリカは、いま先制攻撃にも核兵器を使用する方向に向かっており、安倍首相はそれを督促すらしています。
北朝鮮の人たちはどう受け止めるでしょうか。
弱い立場の者が、戦いを挑むのは、追いやられた時だけです。
追いやられなければ、核兵器など使うはずもありません。
北朝鮮に核兵器を使わせるのは、他国です。

そもそも核兵器が目指しているのは、生命や環境の破壊です。
それを考えれば、北朝鮮の核兵器開発を止める唯一の方法は、世界が核兵器を廃棄することしかありません。
金正恩の言動の向こうに、私はそれを感じます。
自らは核兵器で威嚇しながら、他者の核兵器開発を非難することが私にはまったく理解できません。
自らはアメリカの核兵器に守られることを良しとしながら、北朝鮮のやっていることを理解しようとしない人の身勝手さを、どう考えるべきか。

いずれにしろ、軍事的な威嚇や経済的な追いつめは、事態をよくしていくことはないでしょう。
軍事力という暴力に依存する人は、結局は、その暴力の餌食になる。
私はそんな気がします。

蛇足ですが、だからどうしたらいいのかに関しては、極めて簡単です。
まずは北朝鮮の金正恩を理解しようとすることです。
対話できない相手だという報道が多いですが、そうであればこそ、どうしたら対話できるかを考えるのが、外交ではないかと思います。
危機感や不信感をあおる報道に、不安を感じます。

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2016/08/17

■核抑止力信仰の悪夢

前にも書きましたが、広島や長崎の平和宣言に、いつも物足りなさを感じています。
そこであまり「原発」が語られることがないからです。
私には、原発もまた「核兵器」だと思えてなりません。
核廃絶というのであれば、そこには当然、原発も含まれなければいけません。

しかし、現実はどうもそれどころではないようです。
報道によれば、オバマ米大統領が検討しているとされる核兵器の先制不使用政策に関し、安倍晋三首相が反対姿勢を示したそうです。
ワシントン・ポスト紙が1報じたニュースのようですが、同紙によると、安倍首相は北朝鮮に対する抑止力が弱体化し、紛争の危険が高まると伝えたと言います。
私には悪魔の思考のように思えますが、これが日本の核廃絶政策の現実なのでしょうか。

核兵器に関しては、オバマ大統領のアメリカでも驚くべき発言が続いています。
日本のマスコミも一時は持ち上げたトランプ大統領候補が日本の核武装を容認したことに対して、対抗馬のクリントン候補を応援するバイデン副大統領が、「核保有国になり得ないとする日本の憲法を、我々が書いたことを知らないのか」と批判したそうです。

世界は再び、核抑止力信仰が復活し、核拡散へとベクトルを変えるような気配です。
原発がますます必要になるのでしょうか。
原発は、かたちを変えた核拡散政策だと思いますが、安倍首相はどうもそれでも満足できないようです。
原発と核兵器とは別のものだという常識が広がっている日本では、それも仕方がないことなのでしょうか。
いずれも、 nuclear power であることには変わりはありません。

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2016/08/09

■「核廃絶」を唱えるのであれば「原発廃止」も明言すべきです

今日は長崎に原爆が投下された日です。
長崎での平和式典をテレビで見ていました。
長崎市長の呼びかけは、心にひびきました。
被爆者代表の井原東洋一さんのお話も、とても感ずるものがありました。
でも聴いていて、どこかに虚しさが残りました。
それは。「核廃絶」と言いながら、誰一人として、原発に言及されないことです。

言うまでもありませんが、原爆と原発は同じ原理で作られています。
しかも原発は核兵器の原料を作りだすという意味で、技術的にはつながっているものです。
原発は、福島での事故で証明されたように、意図的に爆発されたら、核兵器にもなり得ます。
核廃絶というのであれば、当然、原発も廃絶しなければいけません。
しかし、誰もそれを明言しようとしません。
しかもそこに核兵器推進論者の首相を招いての式典です。
どう考えても茶番でしかない。

井原さんのスピーチの中に、聞きようによっては安倍首相への問いかけがありました。
それが発せられた直後、テレビは安倍首相の表情を映し出しましたが、気のせいか不快そうな表情に感じましたが、ただそれだけでした。
安倍首相が登壇しようとした時に、会場から大きな野次が一言ありましたが、言葉は聞き取れませんでした。
みんなおとなしく聞いていた。
私には実に不思議な光景です。
本気でみんな核廃絶を願っているのだろうか。
いつもそう思います。

原発はなぜ核発電と呼ばないのでしょうか。
核廃絶運動に、原発廃止も含めないかぎり、虚しい言葉で終わってしまうように思えてなりません。

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2016/07/22

■戦争と経済と格差はつながっています

アメリカの共和党は、大統領選挙の候補にトランプさんを指名しました。
数か月前にはだれも予想していなかったことです。
日本ではいまもって、とんでもない人が候補になったという論調で報道されています。
もちろん私もそう思っていましたし、いまもそう思っています。
だが果たしてそうなのか。

オバマさんが大統領になった時に、私は感動しました。
しかし、その後のオバマ大統領の言動には違和感が高まってきました。
ノーベル平和賞を受賞しましたが、9.11後のブッシュ大統領と、どこが違うのだろうかと思うようになってきました。

オバマ大統領になってからアメリカの武器の輸出額は激増したといわれています。
青井未帆さんの岩波新書の「憲法と政治」によれば、アメリカの報道番組「デモクラシー・ナウー!」は、オバマ大統領が最初の5年間で認可したアメリカの武器輸出額が1690億ドル以上であって、ブッシュ政権の8年間の総額である300億ドルも上回っていること、その6割は中東に輸出され、最大の輸入国はサウジアラビアであることなどを、国際政策研究所の武器取引専門家の話として紹介しているそうです。
それはたぶん、国内問題にもつながっているでしょう。
いまのアメリカ社会がいい方向に向かっているとは、とても思えません。

私ですらそう感ずるのですから、アメリカの人たちはもっと強く感じているでしょう。
戦争と経済と格差はつながっています。
それがアメリカでは明らかに見えるようになっているのかもしれません。
だからのトランプ人気だとしたら、トランプさんは決して「とんでもない存在」ではないのかもしれません。
どんなにおかしく見えることも、必ず理由はあるものです。
私も、どうもマスコミ報道に洗脳されているのかもしれません。

日本ではまだ、アメリカほどには、戦争と経済と格差の繋がりが見えてきていないのかもしれません。
いまだもってトリクルダウンの詐欺話が通用していますし、経済が戦争に依存している実態も見えにくくなっています。
「とんでもない人」が登場する余地はまだ低いのかもしれません。

都知事選には21人が立候補していますが、3人以外は基本的には誰も当選するとは思っていないでしょう。
ですからその主張にも耳を傾ける人は少ないでしょう。
マスコミも相手にしていません。
しかし、もしかしたら、その18人の中にこそ、都知事にふさわしい人がいるのかもしれません。
少なくともトップ3人にはふさわしい人はいないように、私には思います。
しっかりした眼を持つことは、至難です。
でも持つように心がけたいと思います。

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2016/07/12

■ウォーゲーム「朝鮮戦争」体験

今日は、ウォーゲームの研究者の蔵原さんと軍事問題研究者の桜井さんと3人で、朝鮮戦争を題材にしたウォーゲームをやりました。
私だけが場違いなのですが、事の成り行き上、こういうおかしな組み合わせができてしまったのです。

蔵原さんが北朝鮮軍、私と桜井さんは韓国軍と国連軍でしたが、史実に反して、私たちが敗北してしまいました。
かなり難しいゲームで、正直、疲れ切りました。
慣れている蔵原さんは楽しんでいましたが、国連軍の桜井さんと私は、いささか疲れて、厭戦気分に襲われてしまいました。
戦争は、ゲームでも疲れますので、実際の戦争はやりたくありませんね。

3時間にわたる戦争ゲームで、学んだことは少なくありません。
たとえば戦争は最初の対応で、ある意味決まってしまうということです。
またゲームの進行のなかで、蔵原さんと桜井さんから、朝鮮戦争に日本がどう関わっていたかも、具体的に教えてもらいました。
思ってもいなかった事実も教えてもらいました。
私もそれなりに朝鮮戦争については、書籍などは読んでいるつもりですが、生々しい地図を目にしながらゲームでシミュレーションすると全く違った印象が得られます。
軍事専門家の桜井さんですら、気が付いたことがあると言っていましたから、ゲームの効用は大きいようです。
しかしそれにしても、疲れました。

このウォーゲームから何が得られるのか。
ゲーム終了後、少し話し合いました。
それぞれの戦争観が出てきてしまい、私はどうも浮いてしまっている気がしました。
戦争ゲームよりもテロ対策ゲームがいいのではないかと提案しかけましたが、あんまり強く主張すると、ゲームではない、本当の論戦が起こりそうなので、友情維持のために自らの主張を少しおさえました。
何しろ相手は専門家、それも2人ですから、論争の勝ち目はありません。
ゲームで敗北した上に、何かもう一つの敗北感がありました。

ゲームでの朝鮮戦争終了後、北朝鮮の将軍はどうなったかという議論になりました。
英雄になったか、処刑されたか。
大きな意見は一致しました。
戦争は、いずれにしろ惨めで虚しいです。

ウォーゲームをやる前、沖縄に花を広げるプロジェクトに関わっていたNPO研究者と食事をしていました。
やはり戦争よりも、花でまちを埋め尽くそうというプロジェクトの方が心やすまります。

20160712


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2016/07/04

■日本はすでにこれまでとは違う道を歩みだしている

バングラデシュのレストラン襲撃テロ事件で、日本人7人が犠牲になりました。
とても残念な事件でした。
いろんなことを考えさせられました。

バングラデシュがパキスタンから独立する時に、私もあるグループにささやかな資金支援をし、そのグループからニューズレターを送ってもらっていたことを思いだします。
当時、1970年前後の世界は、まだたくさんの選択肢がありました。
新しい動きに、私自身は大きな夢を感じていました。
しかし、その頃、すでに世界は壊れだしていたのでしょう。
いや、第二次世界大戦からの復興が変質しだしていたというべきかもしれません。
1970年代後半から、私のような者にも、それが感じられだしました。

バングラデシュのテロ事件の報道を見ていて、気になることがあります。
テロへの批判ばかりが多くて、なぜテロが起こったのか、なぜ日本人が巻き込まれたのかということへの議論が表層的な気がするのです。
今回はJICAの関係者が被害に遭ったわけですが、それに関しても「JICAはバングラデシュのために働いてきたのに」という声が多いです。
こういう言葉はよく聞きますが、「バングラデシュのため」とはいったい何なのだろうかと思います。
今回テロを起こしたグループの人たちも、そう思っていたのか。
ここに大きな溝と落とし穴を感じます。

「日本人なら無害は過去の話」だと多くの評論家は発言していますが、後藤健二さんが殺害された時のISのメッセージ、「アベよ、戦いに参加するというおまえの無謀な決断でこのナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を場所を問わずに殺戮する」を思い出します。
この言葉の意味を、私たちはもっと真剣に考えなければいけません。

7月10日は、参議院選挙です。
現実をしっかりと見ながら、真剣に考えて投票したいと思います。
イギリス国民のような後悔はしたくはありません。
目先の感情に振り回されたくはありません。

犠牲になった人たちへの追悼の念を持ちながらも、複雑な思いが去来しています。

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2016/03/25

■自爆(自死)までして伝えていることに私たちは耳を傾けているだろうか

またベルギーでISによる連続テロが発生しました。
ISによるテロは沈静するどころか、ますます広がっているようにも感じます。
テロをなくすのは難しいと言う人もいます。
果たしてそうでしょうか。
私たちは対応を間違っているだけなのではないでしょうか。

いまから30年近く前の1989年、ある雑誌に「対話の時代」と題する連載を書いたことがあります。
http://homepage2.nifty.com/CWS/taiwa.htm
1989年は、いまから考えると時代の大きな変わり目の年だったと思いますが、その頃、私がイメージしていた21世紀は、「真心の時代」「対話の時代」「生活の時代」でした。
25年間、勤めさせてもらった会社を辞めて、私も生き方を変えました。
しかし、残念ながら私の予想は全く外れてしまい、時代は逆の方向に進んでいるような気がします。
そして、言葉だけは盛んに耳にするようになりました。
真心、対話、生活…。
しかし、言葉が語られれば語られるほど、そうしたものは消えていっているように思います。

ISのテロの報道を見ながらいつも思うのは、自爆までして伝えていることに私たちは耳を傾けているだろうか、ということです。
ISの暴力性や非人間性を示唆する映像や報道記事は多いですが、戦争とはもともと非人間的な暴力行為です。
ISが、際立っているわけではないでしょう。
私たちは、攻撃される側としてISを見ていますから、そう感じますが、IS側からは世界はどう見えるのでしょうか。
自らを犠牲にしてまで訴えているメッセージに、私たちはもう少し耳を傾けてもいいような気がします。
そういう報道は、今やほとんどありません。
対話していないのは、IS側ではなくて、私たちではないかと言う気もしてしまいます。
もし対話できるのであれば、自爆せずに対話してくるのではないか。
対話の拒否が、自爆テロに追いやっているのではないか。
せめて、ISを否定するのではなく、彼らに耳を傾け、現実を共有していかなければ、それこそテロはなくならないでしょう。
しかし、逆に、真心を込めた対話で、お互いの生活を理解しあえれば、テロはなくなっていくのではないか、と思います。

なぜ「対話」がめざされないのか。
もし、対話が成り立つと困る人がいるとしたら、どうでしょうか。
そこから考えていくと、現在の世界の構造が見えてくるような気がします。

ちなみに、これはISのテロに限った話ではありません。
身近な話で言えば、最近よく報道されている「子どもの自殺」の問題もそうです。
私たちは、子どもたちの切実な訴えに耳を傾けているのか。
両親から虐待を受けて保護を求めていた男子中学生が、相談者にも聞いてもらえず自殺したという報道が、現代社会の実相を象徴しているような気がします。
彼らは、保育園をつくれと国会デモも起こせません。
保育者の言葉に耳を傾ける以上に、子どもたちに耳を傾けることが、大切だと思いますが、現在はそれが逆転しています。

自らの生命を投げ出してまで、社会に訴えたい人のメッセージ、私たちはしっかりと受け止めたいと思います。
彼らは言葉でのメッセージさえ、できないのですから。
他人事ではなく、私自身として、それをどう考えるかが大切です。
明日は、そんなテーマで緊急カフェサロンを湯島で開催します。
1時半からです。

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