40年前の一昨日、ソ連のチェルノブイリ原発で事故が起こりました。
最近は、チェルノブイリとは言わずに、チョルノービリというそうですが、こういう表記の変更は、事故を忘れさせるための暴挙だと思いますが、それは今回書きたいことではありません。
チェルノブイリ事故は原発の危険性を世界に示しましたが、21世紀に入ると原油価格の高騰や地球温暖化防止を理由に世界的にまた原発の再評価の動きが出てきて、「原子力ルネッサンス」などという言葉まで使われ出しました。日本でも、そこで再生エネルギーへの動きは止まってしまいました。
ところが2011年に福島原発事故。まるで神様(自然)の警告のように私には思えますが、そこでまた脱原発の動きが出てきました。そして日本でも核兵器と原発は同じものだという認識がようやく生まれてきた気がします。
しかし、その動きもまた、ウクライナ戦争以来、反転し、今回のイラン戦争で一変しました。まさに歴史は繰り返すですが、そこに「資本の意図」をどうしても感じてしまいます。
「戦争」→「原油価格の高騰」→「原発回帰」という流れが、そこには見えますが、流れは反対なのではないかと思います。
つまり、「原発回帰」→「原油価格の高騰」→「戦争」。
経済を成長させるためには、市場の拡大が不可欠です
企業経営の基本は「顧客の創造(市場の拡大)」と言われているように、市場を拡大することにこそ資本主義の本質があります。
そう考えれば、「戦争」の意味がまったく違って見えてきます。
戦争は市場拡大の手段なのです。
しかも原油が高騰すれば、一挙に「市場規模」つまり「経済成長」が実現します。とりあえずは「名目価値」ですが、すぐに実態はついてきます。
このことは以前から言われてきていることです。
しかし今やそこに「原子力」が入ってしまった。
原子力の安全神話はもう消えたはずです。
原子力発電は、基本的に危ないもので、人間の管理できるようなものではありません。
しかし、原油が高くなるとみんなまた原子力発電を受け入れてしまう。
みんな「今の自分」のことしか考えていないのでしょうか。
戦争のために原油が高騰したのではなく、原油を高騰させるために戦争を引き起こした。
そう考えると、戦争はまた違った風景に見えてきます。
脱原発になっては経済の無限成長が止まってしまう。
戦争はそのために起こされているのではないのか。
つまり、戦争とはヒトラーやトランプが起こしているのではないのではないか。
私たち生活者一人ひとりの生き方が、戦争を引き起こしている。
私にはそう思えてなりません。
「戦争止めろデモ」の価値は私にもわかります。
でも戦争を止めるためには、まずは自らの生き方を変えることから始めたい。
誰かのせいにしても、戦争はなくなりません。
湯島ではそんな話し合いを毎月やっています。
そして私も、できることから生き方を少しずつ変えています。
来世もまたこの地球で生きたいからですが。
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