カテゴリー「医療時評」の記事

2023/12/01

■がん民間療法体験その後

50回にわたるがん民間療法体験報告の後、わけのわからないWFC報告になってしまい、ある人からその後、一体どうなったのか気になると問い合わせられてしまいました。
それでその後の報告を簡単に。

結局、まだ40日奇跡プロジェクト期間とほぼ同じ生活を続けています。
困ったものですが。

さまざまな民間療法はかなり緩やかにですが継続しています。
朝晩のヒートマットと水素吸入と座禅でのワルサくん(がん細胞)とのコミュニケーション行為は続けています。
水素風呂も1週間ほど休止しましたが復活しています。
高価なサプリメントはいまも採用していません。

標準医療ですが、重粒子治療は早くて4月以降というので申し込みを止めました。摘出手術はやめて、近くの癌研センターで陽子線治療を中心に考えようと思っていますが、まだ行っていません。126日の主治医との相談で決める予定です。

体調は全くと言っていいほど異常なしで、相変わらず病人だという自覚は皆無です。
むしろ民間療法のおかげで、基礎体温は36.4度に上昇。体重も安定しています。
一時期、骨への転移を不安がらせていた腰痛も弱まっています。

今も時々、心配して見舞いがてらやってくる人もいますが、私が元気そうなのでちょっとがっかり?してしまうほどです。

ワルサくんとの関係はとてもよくなって、最近は一緒にこの状況を変えようという関係になったと実感しています。今朝の座禅時には、ワルサくんからの声が聞こえたような気さえしました。

5日後の126日には主治医からの判定が下されると思います。
今度こそどういう結果であろうと転院を考えるつもりですが、民間医療はもちろん継続します。

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2023/11/10

■がん民間療法体験余話:がん細胞へのお礼

40日奇跡プロジェクト」が終了し、この3日間は、すべての療法を中断していました。
なんだか解放された気分で、新鮮でした。
40日は常時、何か民間療法を意識していた気がします。
次の治療の対策も考えなければいけなのですが、この3日間は何も考えないことにしていました。

心配してくださったフェイスブックをやっていない方には、思いつく範囲で、プロジェクト終了のお知らせをしました。
フェイスブックやメールではコメントが続いていますが、どうもあまりきちんと読む気が起きず、あまり返信していません。すみません。しばらくはあまり考えたくないのです。

今日は、たぶん一緒に頑張ってくれたであろう「癌細胞」へのお礼を兼ねて、甘いケーキを食べました。甘いものが大好きな癌細胞も喜んでくれたでしょう。
今回の結果をみれば、癌細胞もたぶん、何とか小さくなろう、おとなしくしようと、がんばってくれたのです。お礼をしなければいけません。
そもそも癌細胞も私の身体の一部であることは間違いないのですから。

久しぶりのケーキは、実においしかったです。
明日からまたちょっと養生を意識していく予定です。
療法日課はかなり見直す予定ですが。

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2023/11/09

■がん民間療法体体験50:40日奇跡プロジェクト終了

みなさんをお騒がせした「40日奇跡プロジェクト」は、あっけない幕切れになってしまいましたが、終了します。
一人でも迷っている人の力になりたいと思っていましたが、私の思いの入れ方不足と不誠実さで、「奇跡」は起こせませんでした。
奇跡を信じていた方たちに、お詫びします。

しかし、このプロジェクトの意図は、少しだけ成功したと思いますので、次のプロジェクトへと進もうと思っています。
その元気は、皆さまからいただきました。
ありがとうございます。

お気づきの方もあると思いますが、「40日奇跡プロジェクト」の意図は、私の前立腺癌の治療などでは全くありません。
それを心配してくださる方も多かったのですが、それはあくまでも個人的なことであって、その治療方法に関しては、あえて公開することもなく、自分で考えればいい話です。

友人のひとりが、「主眼は「民間療法」で、癌は手段でしたね」と書いてきましたが、その通りです。だから「せっかく癌になったのだから」と言っていたのです。
個人的に言えば、癌などにはなりたくなかったですし、治療行動もとりたくありませんでした。癌で妻を見送り、最近も数人の友人の癌治療に関わってきました。友人のセカンドオピニオンにも付き添い、癌医療の実状にも少しは触れています。逆に民間医療の問題も少しは知っています。

この「長い40日」、自らを実験台と位置づけて、さまざまな療法を試みました。
3日で終わったものもあれば、日常的にルーチン化したものもあります。食生活も変わりましたが、たぶん一部は定着するでしょう。
そういう意味では、私の生活は、より健康的になったと言えます。
最近は、どこかおかしいとすぐ「病気かな?」と思い、病院や薬に依存してしまいがちでしたが、その生き方を少し変えられたのです。
心身の不調も含めて、それが私の生活なのだと思うようになってきました。
だったら不調に陥るのはできるだけ少なくしたい。

医療や養生を、医師やサプリメントや薬から私たちの手に取り戻したい。つまり「コモンズ」にしたいと思って始めたのが今回のプロジェクトです。
そのためにも、いわゆる「民間医療」をオープンな場で話し合えるようにすると共に、誰もが気楽に試みられるようになったり、体験知をシェアできるようにしていく場をみんなでつくり出したいと思ったのです。
さらに言えば、自らの不安や迷いも安心して話せる場もつくれないか。

ちなみに、いまNHKで放映しているイタリアのドラマ「DOC」で描かれているように、病気は生活の一部であり、その生活の理解なしには治療はできないはずです。
そういう医療の基本に、日本の医療も向かってほしいのです。
「民間医療」を改めて考えることの意味は、そこにあります。
いまの日本の医療制度は、私には間違った方向に向かっているとしか思えないのです。農業や林業と同じ方向に向かっている。生命や健康が「市場」にされかねない。

また長くなってきました。
困ったものです。
そこで結論のみ。

40日奇跡プロジェクトは失敗しました。
何しろ「奇跡」は起きなかったのですから、失敗です。
でもそこから新しいプロジェクトが生み出せそうです。
それが「養生サロン」です。

来年から湯島で、毎月定期的に「養生サロン」を開催します。
身体の養生だけではなく、心身の養生です。
詳しくは来週1114日の午後24時に湯島で、今回の40日プロジェクトの報告も兼ねて、養生サロンの呼びかけのサロンを開催します。

よかったら来てください。
案内は別途出します。

長い40日間、肯定的にエールを送ってくださった方に心より感謝します。
ありがとうございました。

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2023/11/08

■がん民間療法体体験49:結果がでました

昨日、病院で検査結果に基づいて主治医と話しました。

結果は変化なし。
民間療法の成果は出なかったということです。
しかし、この「40日プロジェクト」の取り組みに当初反対していた主治医が、なんと「もう1か月やってみますか」と言い出したのです。
これには驚きました。

実は今回、結果がどうであれ、主治医の指示に従うと決めていたのですが、なんとそれが「民間療法継続」ということになったのです。
決めておいたことですので、従わないといけません。

いずれにしろ「40日プロジェクト」を終了し、毎日の療法日課から解放されると思っていたのに、まだ続けるのか、と思ったとたんに、なんだかがっくり来ました。
思ってもいなかった結末です。
どんな結末になるか、楽しみにしていたみなさんには申し訳ない気持ちです。

結果速報をフェイスブックに載せたら、いろいろなコメントがありました。
正直に言えば、私の真意や思いはやはりわかってもらえていないような気がしました。

私が望んだのは、あくまでも「奇跡」なのです。
私のことをわかってくれている人にはわかるでしょうが、私の前立腺がんの症状など、正直、私にとっては瑣末な話なのです。
もう82歳、十分に生きましたし、彼岸には現世以上に魅力を感じています。
何しろまだ体験したことがないのですから。

「奇跡」起こしに関しては、実はもう一つ取り組んでいることがあります。
この結果は1月中旬にわかるでしょう。
もしかしたら「生命の不思議さ」を実現できるかもしれません。
これはひっそりと行い、奇跡が起こったときにだけ公表することにします。
ただ、この「第2の奇跡」は、今回の「40日奇跡」に深くつながっていると私は思っています。

40日奇跡」は起こせませんでした。
その責任はひとえに私にある。
私の「意思の弱さ」と取り組む「期間の短さ」です。

でも主治医が関心を持ってくれたのは、とてもうれしいことでした。
主治医と会話が成り立ったのです。

今日は、病院から戻ったのは4時過ぎですが、気力をなくしていました。
常識的な結論ほど、退屈なことはない。

40日奇跡プロジェクト」のまとめは明日書くようにします。
今日は報告を書く気もしませんので。

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■がん民間療法体験48:最後の試練とエール

40日プロジェクトの最終日の昨日、思わぬ「試練」が突然にやってきました。
まあ大げさな言い方ですが、後でこれは「試練」だと感じたのです。

昨日はほぼ在宅だったので、夕方、少し早目に恒例の水素風呂に入浴をしようとしていた、まさにその時、電話がかかってきました。
相談の電話でした。
30分ほどの電話でしたが、最後は私から切り上げてほしいと言って電話を終わりました。私の療法リズムは最後の最後で壊されてしまったのです。

世間との交流は、心乱すことを起こしてくれます。困ったものですが。
心を平安にするには世間との交流を断てばいいのでしょうが、それは私の生き方ではありません。
でも昨夜は少し考えてしまいました。
そしてもしかしたらこれもまた「もう一つの療法」ではないかと気づいたのです。

昨夜はこういうメールも来ました。

佐藤さんにとっては、がんは敵みたいな生き物ですか?
がんに身体を征服されちゃう事を意識しているのですか?

いま、乳がんと膵臓がんでがんセンターに通院している友人からです。
彼女は、いま、がんとどうやって仲良くなっていくかの模索中なのだそうです。
メールにはこう書かれていました。

なぜ仲良くしたいかと言うと、がんはひとり一つではなく、身体中にがん細胞が育つ?可能性があるから、仲良くした方が、私の心の平安は保てるのかな、なんて感じているからです☆ なので、佐藤さんの民間療法も毎回楽しく読ませていただきました☆
結果が楽しみですね♪

返事を送りました。

がんは敵ではありません。仲間です。あるいは自分の一部です。
ですからがん細胞抹殺とかがんと闘うという意識はありません。
がんにはおとなしくしていてほしい、悪さはしないでよ、と語りかけています。
がんに身体を征服されるなどとは思ったこともありません。

このやり取りはさらに続くのですが、がんとの向き合い方は人それぞれです。
この「長い40日」で、私もいろいろなことを気づかせてもらいました。
自分が、生や死をどう考えているのかについても、新しい気づきがありました。

昨日と今朝、この民間療法体験とは全く関係ない、うれしいメールも届きました。
8月初めに湯島に来た初対面の韓国の若者から、その後、全く連絡がなく、気になっていましたが、突然メールが来たのです。
こう書かれていました。

夏の対話もすごく楽しい記憶として残っております。
もしよろしければ、またぜひお話させてください。

もう一人もこの数年、音信不通になっていた人です。
取り組んでいた活動が少し前に進みそうだという連絡です。
少しのやり取りの後、最後にこう書いてきました。

はい! 世の中の常識を覆します。

やはり世間と付き合うのは楽しい。

40日プロジェクトを見守ってくれていただろう友人の今朝のメールはこうでした。

新しい1日を佐藤さんらしく迎えられますように。

今朝の日の出は、昨日とは全く違って、明るく元気でした。
診察結果がどうであろうと、今日はいい1日になるでしょう。
何しろたくさんの人たちの支えをたくさんいただきましたから。

診察結果は夕方にはわかります。

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2023/11/07

■がん民間療法体47:今日は神にすがって安静に過ごします

昨日のMRI検査は無事完了しました。
技士のTさんにどうですかと訊きたい気持ちはありましたが、控えました。
明日、主治医の診断を受けます。

まさにそこで、「天国か地獄か」の結果がわかるわけです。
いやその中間の「煉獄」もある。
でもまあ、いずれにしろすべては私にとっての現実です。

昨日も今日もまだ、40日プロジェクトの日課を続けています。
明日の午前中までは同じように継続する予定です。

いまもなお、いろんなアドバイスがあります。
昨日は、友人が「万田酵素」を送ってきてくれました。
昔と違ってとても飲みやすく、おいしくなっていました。
明日の血液検査には影響を与えられるかもしれないので、飲みました。
一昨日は、これも友人がつくって持ってきてくれた奄美大島伝来の発酵乳酸飲料の手づくり品も飲みました。
ともかく友人たちの思いが、私の心身にはたくさん入っているのです。

なぜか「サナート・クマラ物語」まで届きました。
この種の本は苦手なのですが、送ってくださった方の思いに応えようと読ませてもらいました。読めばいろいろ感ずることはあるものです。

「長い40日間」、支えてくださった皆さんに感謝します。
おかげさまで何とか完走できました。

明日の午後、診断が出たら、いずれにしろ一度、すべてを中止します。
少なくとも2~3日は、すべてから解放される予定です。
わがままな私が、自分で決めたとはいえ、ルールに縛られた生活を続けられたのは、40日で奇跡を起こすという大義があったからですので。

最後の審判が出る前に、今現在での方針を。
主治医が、民間療法の効果なしと判断したら、標準治療に入ります。
もし仮に、効果があったと医師が認めた場合も、たぶん標準治療に取り組みます。
その理由もまたその時に書かせてもらいます。

万一、がんが跡形もなくなった場合、つまり、奇跡が起こった場合、どうするかは考えていません。奇跡はやはり、起こってから考えるのがいいでしょう。
というわけで、結局は、標準医療を受けることになるだろうと思いますが、いささかの心配は転移の有無です。
今日は、転移のないことを祈って過ごそうと思います。
神にすがるのもまた、いいことですから。

最後の療法は、やはり「神にすがる」ですね。
最後の日に、「サナート・クマラ物語」を読むことになったのも、意味があるのかもしれません。昨夜読んだのです。

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2023/11/06

■がん民間療法体験46:人事を尽くして天命を待つ心境

今日はこれからMRI検査を受けに行ってきます。
さてさてどうなっているでしょうか。
まさに「人事を尽くして天命を待つ心境」です。

極めて客観的に言えば、結果は五分五分です。
手遅れになってしまったという最悪のシナリオの可能性もあります。
その反面、奇跡が起こっている可能性もゼロではないでしょう。
しかし、民間療法はいずれも即効性のないものですから、40日で効果が出る可能性は極めて低いのです。限りなくゼロに近いと言ってもいいでしょう。だから「奇跡」という言葉を使ったのですが、奇跡はそう簡単には起こらない。
だからこそ、試みたかったのですが。

さてどうなるか。
今日はMRI検査だけで、医師には会わないのです。
結果がわかるのは明後日(118日)の午後です。

今日の朝の療法日課はすませました。
そろそろ出かけます。

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2023/11/05

■がん民間療法体験45:祈りのエールと身体を信ずる意思

具体的な民間療法体験に関しては報告してきましたが、それとは違った、私の体験療法を最後に2つ書いておこうと思います。

前にも書きましたが、私は毎朝、最初に妻の位牌のある小さな仏壇の大日如来に手を合わせます。
そこで別に何かを願ったり祈ったりするわけではありません。
妻の写真に「おはよう」と声を出して言った後、ただ手を合わせ、大日如来に目を合わせます。すると、森や海や、時にはガザやウクライナや、さらには気になった人のことや時間のことが、自然と頭に浮かんできます。その時、同時に友人知人が私を気遣ってくれていることを感じます。
そして最後に、みんな平安になりますようにと念じて、手をたたきます。

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それがなんだと言われそうですが、それが私の毎日の始まりなのです。

それから民間療法の日課が始まりますが(その前に30分のヒートマット上での座禅をすませていますが)、朝食(朝の祈りから40分以上はたっています)の前にもう一度、仏壇に向かいます。
今度は、妻にお線香をあげるのです。
何で2回もと言われそうですが、なぜかそうなっているのです。
ここでは2回手をたたき、般若心経(もしくはその真言のみ)をあげます。
私は原則として、お寺でも神社でも2回手をたたくのです。非常識かもしれませんが、これは昔からの私のしきたりなのです。

1日2回の祈りの時間は、私が祈るだけではありません。
その時に、私のことを気遣ってくれている人たちの思いも、意識的に受け止めようとしています。つまり、祈りを受ける時間でもあるのです。
それが私に元気を与えてくれるのです。

祈りのエールを感ずるのはその時だけではありません。
この40日、いろんな人に会いましたが、その人たちも私へのエールを下さいました。
久しぶりに、何気なく湯島のサロンに来てくれた人もいれば、明らかに私を気遣ってやってきた方もいます。
それを受ける感受性は意識して高めていたつもりです。声を出して感謝の念を伝えるのは私の性格上、苦手なのですが、しっかりと受け止めるように努めていました。
お手紙などもいただきました。感謝の気持ちで読ませてもらい、送ってきてくださったものは使わせてもらっています。

私がこのプロジェクトに取り組むことに反対な人もいました。そういう人は私を批判し、私にとってはいささか不快な言葉さえも浴びせてきましたし、呼び出されもしました。
しかし、そういう人も、実際には私へのエールを送ってくださっていることは、よくわかっています。私も、相手に負けずに、憎まれ口をたたきましたが、相手の気持ちはうれしく受け取っています。

というわけで、この間、実に多くの方からたくさんのエールをもらったのです。
そうした祈りのエールが、私の心身に与えた影響は少なくないはずです。
これが、これまで書かなかったひとつ目の私にとっての療法です。

そして、そうしたエールに応えるためにも、もう一つ、私が重要だと思った「療法」があります。
それは「意思」です。元気になろう、身体的な問題をできるだけ解決しようという「意思」です。自らの身体への信頼と言ってもいいかもしれません。

このプロジェクトに取り組むにあたって、民間療法を信ずること、そして身体を信じて問題が解決することを強く自覚することに努めました。
「治そう」「癌細胞には縮減してもらおう」と強く念じたわけです。
もしかしたら、民間療法に限りませんが、そうした「生きる意思」こそが病気の治癒には一番の薬かもしれません。

そう思うと、いまの医療の在り方には大きな疑問が生じます。
「医師」ははたしてそうした患者の「意思」の支えになっているのか。
でもこれを書きだすとまた長くなるのでやめます。

ともかく「生きたいと思う意思」を強く持ち続けることがとても重要です。

もしこのプロジェクトが期待した結果にならなかったとしたら、その大きな一因は、この「意思」かもしれません。
正直に言えば、私の「生きたいという意思」はあまり強くないからです。
でも、これに関しても、この40日プロジェクトに取り組んだおかげで、以前よりも「生きようという意思」はかなり強まった気がします。
これもまた書き出すと長くなるのでやめましょう。

以上の2つが、これまであまり書いてこなかった、しかしとても大切だと思っている、私にとっての「民間療法」です。

明日は、まずはMRI検査です。
そして2日後に血液検査をして、医師の診断を受けることになっています。

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2023/11/04

■がん民間療法体験44:がん民間療法に対する私見

がん民間療法体験も40日を超えました。

いうまでもありませんが、私は民間療法が癌治療に効果があると確信しているわけではありません。妻の時の体験もあって、むしろ懐疑的なのです。
確信していたら、そもそも40日奇跡プロジェクトなど始めるわけはありません。
ましてや、標準医療になっている癌の治療法を否定するわけではありません。
どうもその点が、きちんと読んでくださらなかったためには誤解を与えてしまったようです。
それで、40日プロジェクトもそろそろ終わりますので、改めてそのことを書いておくことにします。

確信できないからこそ、せっかくのがん発症の機会を得たので、自分で少しでも確認したかったのです。民間療法体験中は、もちろん、効果があると信じながらの取り組みですが、その自分を見ている3番目の自分は、中立的でした。さらに4番目はむしろ懐疑的。

『患者よ、がんと闘うな』というベストセラーで話題になった近藤誠さんは、標準医療だけでなく、代替医療(民間医療)にも否定的でした。
実際にがん患者になった人の気持ちを横に置くならば、近藤さんのメッセージはわからないわけではないのですが、患者やその家族にとっては、近藤さんのメッセージも受け入れがたいように思います。
少なくとも私には受け入れられません。
やはり何か信ずるものが欲しいのです。たとえそれが「イワシの頭」でも。

近藤さんや安保さんが問うているのは、「病いとは何か」「医療とは何か」ということでしょうが、実際の当事者は、そんな悠長なことは言っていられないのです。
私も手術を勧められながら先延ばしにしましたが、それなりのリスクは自覚しています。
もしかしたら、それこそ「手遅れ」になってしまうかもしれないのです。

でも人は明日何が起こるかわからない。
としたら、ずっと疑問に思っていたことに取り組んでみるほうが、いい人生につながるのではないか。そう思っただけです。
まあ人の一生はやり直しができませんから、その都度、ベストと思った選択をするのがいい。明日のために、今日を生きる生き方は、とりわけ私のような高齢になると選びたくはないのです。

40日、民間療法に取り組んでいて、要は日々の生活が最も大切だということ、自らの自己治癒力や免疫を高めることが、結局はできることの限界であること。そして、何よりも人のつながりこそが最高の薬であることを改めて思い知らされました。
この40日は、ちょっと疲れましたが、実に楽しく刺激的であるとともに、とても瞑想的で思考が深まる日々でした。いい出会いもいい体験もたくさんありました。

だからといって、がんになってよかったなどとは全く思ってはいません。
できれば、この40日は、別のことに向けたかった気もします。
こんなことを言うと、実も蓋もなくなってしまうかもしれませんが。

結果はどうなるかわかりませんが、いずれにしろその結果で、民間療法が効果ありとか効果なしとか短絡的に考えるつもりはありません。
それに、この体験を読んでくださった方には、私がいまたどり着いた最高の民間療法、あるいは養生的生き方が伝わっているかもしれません。

今日は、朝からいつものルーチンに取り組んでいます。
実は娘から、朝、あったかい白湯をゆっくり飲むことを勧めてもらったので、3日前から、メニューにそれを加えました。
この数日、ちょっとリズムがくるってしまっていましたが。
最後の2日間は、その分を取り戻すためにも療法に専念しようかと思っています。

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2023/11/03

■がん民間療法体験43:笑うこと・歌うこと

免疫学者の安保徹さんは、「玄米を主食にして、野菜、魚、納豆などを食べて、深呼吸や体操や入浴などで血行をよくする。 あとは鏡を見て一日3回笑うこと。 笑顔のおかげで顔色がよくなって、玄米のおかげで便がいい臭いになってくれば、ガンはもう大丈夫ですよ」と言っていたそうです。

私にも、笑うことを勧めてくれる人が多いです。
ラフターヨガをやっている人たちが、時々、湯島にも来てくださるのですが、ラフターヨガの集まりにいつでも歓迎だと言われています。でも、これもどうも私向きではないのです。

昨日、ある会でラフターヨガの人たちに会いました。
ラフターヨガは、ヨガの呼吸法に「笑い」を取り入れた「笑いの健康法」といわれるもので、世界中に広がっているようです。声を出して笑うことで新しい酸素を体内に取り入れる。笑っていると自然と楽しくなり元気になるのは間違いありません。
ラフターヨガをやっている人は、いつも元気で明るいです。
だから「笑うことの効用」は私も共感しています。

でも以前も書きましたが、私は4人の自分を自覚しているのですが、みんな平等に位置づけているので、できるだけ身体の自分を意識の自分から自由にさせておきたいのです。
この感覚はなかなかわかってもらえないでしょうが。
そして、むしろ身体が自然と笑えるような生き方の心がけているのです。

いまも私の生活には笑いは少なくありません。
ラフターヨガの人たちのような「大笑い」とは言えませんが、よく笑います。
日ごろの笑いがなくなったら、もしかしたら、ラフターヨガのお世話になるかもしれません。

昨日もお会いしたラフターヨガの先生から、いつでもどうぞと言ってもらいました。
その人は、ほめ言葉遊びというゲームも開発していて、私もそれを一度、体験させてもらいました。昨日もほめてもらいました。
でもこれも私は苦手なのです。ほめられるのが、とても苦手なのです。
そのうえ、人をほめるのもとても苦手です。いつも心の中では、他者への敬意を忘れたことはないので、私にはほめることができないのです。これもなかなか分かってもらえないようですが。

笑うこともいいですが、もしかしたら「ほめること」も病気に効果があるかもしれません。これはふといま気づいたことですが
隣に病気で元気をなくしている人がいたら、ほめるのもいいかもしれません。

ところで昨日は、湯島で急遽、サロンをやりました。
思っていた以上にいろんな人が来てくれました。
気兼ねない友人たちと会って話すことも、大きな効用だなと思いました。
気遣ってくれる友がいることに、感謝しなければいけません。
人と会うのも、健康法かもしれません。
街中のベンチで座っているのも「療法」だなと気づきました。でも最近は、街中のベンチは少なくなってしまった。でも公園にはベンチがあります。今日、座りに行ってみようと思います。誰かに会えるかもしれません。

サロンで、歌を歌うのがいいとある人が言い出しました。
そして私にも歌うといい、というのです。
即座に私は、歌いませんと返していましました。それには理由があるのですが、歌を歌うのはとてもいい「療法」「養生策」だと思います。

笑う・ほめる・歌う。
ともかく心を身体の外に出していく。そういう生き方を心がける。
これなら療法や養生策を日常化できます。

結局、大切なのは日頃の生き方なのでしょう。
がんにかかってしまったのは、もしかしたら私の生活にどこか乱れがあったのでしょう。
困ったものです。
でも今からでも遅くない。

何が悪かったのか、考えるのもまた新しい楽しみかもしれません。
もちろん、何がよかったのかも考えながら。

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