カテゴリー「医療時評」の記事

2018/09/15

■「発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年」をお薦めします

豊かに生きたいと思っている、すべての人に読んでほしい本のご紹介です。
「発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年」(松永正訓 中央公論新社 1600円)です。

「トリソミーの子」「呼吸器の子」と、これまで難病の子どもと母親との関係を軸に、人間の素晴らしさと危うさを、深く優しく問いかけてきた松永正訓さん(小児外科医)が、今回は知的障害児とその母親を取り上げました。

本書の帯には、「幼児教育のプロとして活躍する母が、自閉症児を授かり、世間一般の「理想の子育て」から自由になって行く奇跡を描いた渾身のルポルタージュ」とありますが、知的遅れのある自閉症の男の子(勇太君)の17年間を母親からの聞き取りをもとに、松永さんがまとめたものです。
松永さんは「あとがき」で、「ノンフィクションを書く上で重要なのは、筆者の取材力と表現する力であるが、それ以上に大事なのは、取材を受ける人間の語る力かもしれない」と書いています。
私は、それ以上に大切なのは、「筆者と語る人の信頼関係」ではないかと思っています。

本書では、主役である「母」の思いや言葉が、実に素直に、剥き出しのまま書かれていて、驚くほどです。
そこには取り繕った「言葉」はありませんし、へんに遠慮した筆者の思いこみで包まれた「言葉」もない。
発している言葉が、実に生々しく、とんがっている言葉なのに抵抗なく心に入ってくる。
その一方で「母」に向けられた周囲の声が、まるで自分に向けられたように、心に突き刺さり、うれしくなったり悲しくなったりするのです。
本書のいたるところで、「母」と筆者の信頼関係を感じます。
実に安心して読めるだけではなく、読んでいる自分も、違和感なくその世界で一緒に生きているような気になるのは、筆者の立ち位置が単なる観察者ではないからでしょう。
だから、読んでいるほうまでも、「母」と「同期」してしまって涙が出てしまう。
私は本書を電車の中で読んでいたのですが、3回ほど、涙がこらえられませんでした。
本に出てくる情景が、あまり生々しく、まるで自分のことのように感じたからです。
「母」の思いに筆者が同期し、さらに読者まで同期してしまう。

今回も松永さんの大きな関心は、「受容」です。
人を受容するとはどういうことか。
しかも評論的にではなく、これまでの作品と同じように、松永さんはいつもそこに「自分」を置いて考えています。
今回もそれがよくわかります。
さらに今回は、そこにもう一つの視点が加わりました。
「普通」という呪縛です。
松永さんは、本書を通じて、自閉症の世界の一端を明らかにし、私たちの日常を縛る「普通」という価値基準の意味を問い直したいと書いています。
「普通」という呪縛から解放されると、世界は豊かに輝いてきます。
「受容」は「普通」からの解放に深くつながっています。

そのことが本書には、具体的に語られています。
たとえば、ちょっと長いですが引用させてもらいます(文章を少し変えています)。

知り合いの母親に、勇ちゃんの保育園での写真を見せた。健常児が横一列にきれいに整列して歌を歌っている。勇ちゃんは後ろの方の床で絵本を広げでいる。「こんなふうに、うちの子はみんなと一緒に歌ったり、集団行動が取れないのよ」。母は嘆くように相談を持ちかけた。実はその母親は、自身がアスペルガー症候群(知能が正常な自閉症)だった。従って勇ちゃんの気持ちが分かる。分かってそれを言葉で伝えてくれる。「この一列に並んでいる子たち、本当に不思議ねえ。どうして同じ格好をして歌っているのかしら? 後ろで本を読んでいる方がよっぽど楽しいのに」。この言葉も母には衝撃だった。そうか、自分は健常者の視点でしか、我が子の世界を見ていなかったのか。

発達障害の二次障害という、衝撃的な話も出てきます。
無理に「普通」に合わせようとする結果、うつ病や自律神経失調症などの精神障害を発症してしまうことがあります。
それを頭では知っていても、親はわが子を何とかしてやりたくて、無理をさせてしまう。
しかし、それは子どもためにはならない。
それが時にどういう結果になるか。
母がそれに心底気付いたのは、たまたま入院病棟で垣間見た病室の風景でした。
その場面は、読んでいて、私の心は凍りつきました。
読後も決して忘れられないほど、強烈なイメージが残りました。

受容とは普通の呪縛からの自由になって、お互いを信頼し合うことなのです。
それは、「発達障害の世界」に限った話ではない。
それに気づくと、世界は違って見えてくる。

読みだしたら、引き込まれて一気に読んでしまう本です。
勇太君と母との17年間は、たくさんの気づきと生きる力を、読む人に与えてくれる。
この本は書名の通り、発達障害児と母との物語です。
しかし、読みようによっては、誰にでもあてはまる示唆がたくさん散りばめられている。
人とどう関わるか、信頼するとはどういうことか、幸せとは何なのか、生きるとはどういうことか。
自らの問題として、そこから何を学ぶかという視点で読むと、山のようなヒントがもらえるはずです。
書名の「発達障害」という言葉にとらわれずにすべての人に、読んでほしいと思う由縁です。

ちなみに、10月6日に、湯島で松永さんにサロンをしてもらいます。
松永さんの人柄に触れると、さらに本書のメッセージを深く受け止められるでしょう。
ご関心のある人はご参加ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/03/26

■書籍「社会保障切り捨て日本への処方せん」のお薦め

医療制度改革に精力的に取り組んでいる本田宏さんが、とてもわかりやすい本を書いてくれました。
「社会保障切り捨て日本への処方せん」(本田宏 自治体研究社 1100円)です。
ぜひ一人でも多くの人に読んでほしい本です。
本田さんは、情熱の人です。
いささか思いが強すぎて、話についていけない人もいないわけではありませんが、きちんとお話を聞けば、みんな共感するはずだと私は思っています。
本田さんの思いを、ぜひ多くの人に知ってほしくて、何かできることはないかと考えていたのですが、この本を広めていくことに、まずは尽力したいと思います。

本田さんは、外科医として医療に取り組むむかたわら、日本の医療制度や社会保障制度を国民の視点から改革していくための活動に取り組まれてきています。
一時期は、テレビなどでもかなり発言されていましたので、ご存知の方も少なくないと思います。
そうした活動を進めるうちに、本田さんの思いは、医療や社会保障にとどまらず、教育問題や政治問題、つまり社会そのもののあり方を変えていかなければという思いにまで広がり、還暦を契機に、社会活動に専念すべき、外科医を引退したのです。
以来、医療と日本再生のための講演や執筆などの情報発信に加えて、幅広い市民の連帯を目指して多くの市民活動への参加に全力を投じてきています。

湯島のサロンでもお話していただいていますが、もっと時間をかけて、多くの人に聞いてほしいといつも思っていました。
ですから本書が出版されたことは、とてもうれしいことです。
本書では、本田さんが伝えたいことの一部だとは思いますが、本田さんがなぜ人生を変えてまでこの活動に取り組んでいるのか、そして本田さんが一番伝えたいことは何か、がとても誠実にわかりやすく書かれています。
思いはこもっていますが、単に「思い」だけで語っているのではありません。
医療現場での体験と広い視野からのデータに基づいて、日本のどこが問題で何を変えれば医療や社会保障が充実するのかを、広い視野と深い洞察のもとに展開しているのです。

具体的な内容は、本書を読んでいただきたいのですが、本田さんが、なぜこうした活動を続けられてきたのかの理由を紹介させてもらいます。
それは、「諦めずに明らめる」ように努めてきたからだと、本田さんは言います。
そして、問題の本質を明らめるための4つの視点として、「全体像を把握せよ」「ショック・ドクトリンに騙されるな」「歴史に学べ」「 グローバルスタンダードと比較する」をあげています。
これは、最近、私たちがともすれば失いがちな姿勢ではないかと思います。
そしてそうした4つの視点を活かすためには、考える基盤になる情報がポイントになるので、情報に振り回されないメディア・リテラシーを高めなければいけないと呼びかけます。

それに関連して、本田さんは、「日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出している」という、鈴木傾城さんという人のブログを紹介し、次のように書いています。
ちょっと長いですが引用させてもらいます。

「多くの日本人は勘違いしているが、覚えると考えるは別である」と鈴木氏は強調し、「日本では国民の8割がサラリーマンのため学校の重要な使命は上司の言うことをよく聞いて、口答えせず、言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先するように規格化すること」と日本の教育を一刀両断にしています。確かに教育こそが国家にとって都合のよい人間を生産できるシステムです。振り返れば医療費抑制の国策の結果の先進国最少の医師数の中で、家庭を犠牲にしてまで黙々と働いてきた私も、「言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」という、考えない教育の賜物だったのです。

「終わりに」で本田さんが書いていることにも心から共感しますので、これもちょっと長いですが引用させてもらいます。

政治が良くならなければ医療はもちろん社会保障や教育も良くならない、その一念で纏めたのが本書です。今後も日本を「国民第二に考える民主国家として子や孫の世代にバトンタッチできるよう、明日からも「考えて政治に関心を持つ人」を増やすことを目標に講演や市民活動に邁進したいと思います。

このメッセージを、私はしっかりと受け止めようと思います。
私も、生活とは実は政治そのもんだと思って、サロンを毎週開催しています。

本書は本田さんが続けてきている講演のエッセンスがベースになっていますので、とても読みやすいので、ぜひ読んでほしいです。
そして共感したら、まわりに人にもぜひ紹介してください。
また本田さんはいろんなところで講演もしていますので、機会があれば是非お聞きください。
本田さんは、何人か集まれば話に行ってもいいとまでおっしゃっています。
本書には出てこない、時にはちょっと滑ってしまうような、心和む楽しいジョークや横道話もたくさんあるので、書籍で読むのとは違った面白さと示唆があります。

いろんな意味で多くの人に読んでいただきたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/01/21

■カフェサロン「病院の歴史から日本の医療を考える」報告

16人の参加者があり、最近では一番長いロングランのサロンになりました。
それでも残念ながら、話し手にとっても聞き手にとっても、時間不足だったと思います。

話題提供者の福永さんは、著書の「日本病院史」のダイジェスト版の小冊子(なんと51頁)まで用意して下さり、そのエッセンスを話してくださいました。
最初に総論的な話をしていただき、それを踏まえて参加者の関心事を出してもらいました。
テーマがテーマだけに論点も多く、福永さんは大変だったと思いますが、参加者の関心に重点をおいた通史を話してくださった後、今の医療やこれからの医療が抱える問題、たとえば病床数の削減や地域医療構想、地域包括ケアシステムなどについて、いくつかの論点を出してくださいました。
話の内容や話し合いのやりとりは、とても要約できませんが、ぜひ福永さんの著書「日本病院史」(ピラールプレス社)をお読みください。
いろんな気付きをもらえるはずです。

ちなみに、福永さんの通史の紹介で印象的だったのは、単なる文献調査だけではなく、関連した場所を福永さんは実際に歩いて、いろんなことを気づき、発見されています。
写真なども見せてもらいながら、その話を聞かせてくださいましたが、それが実に面白かったです。

いつものように、私の主観的な報告を少しだけ書きます。

最初の総論の話は、とても示唆に富んでいました。
たとえば、江戸時代までの日本の医療は基本的に往診スタイルであり、病院ができたのはたかだか156年前というお話がありました。
医療のあり方、病気との付き合い方に関する根本的な考え方が、そこにあるように思います。

福永さんは、日本に西洋医学を紹介したオランダは、日本に「病院」を教えなかったと話されましたが、これはとても興味深いことでした。
教えなかったこともありますが、当時の日本人は、そういう発想がなかったのかもしれません。

日本最初の本格的西洋式病院は幕府が創立した「養生所」だという話も、私には興味深い話です。
私は、なぜ「ホスピタル」を「病院」と訳したのかにずっと違和感を持っているのですが、養生の思想と医療の思想は、まったく違うのではないかと思います。
つまり、病気観や治療観が違うような気がします。
日本の病院は外来と入院のハイブリッド型に特徴があるという話も、これにつながっているような気がします。

明治以降の近代病院に宗教の基盤・背景が薄いという福永さんの話も、私にはとても重要な意味があると思いました。
日本では宗教というと教団宗教と受け取られますが、宗教を人が生きる意味での精神的な拠りどころと捉えると、それはまさに健康や病につながっていきます。
日本は、世界的にみても、精神医療の隔離傾向が強いように思いますが、これもこのことと無縁ではない気がします。
私には、これは、これからの医療を考える上で、とても大切なポイントだと思えます。

日本の病院数は民間病院が多いこと、にもかかわらず、国家による規制があって、病院の病床増床を病院が自由に決定できないなど、経営の自由度が少ないことも、日本における医療政策の基本にかかわることです。
この辺りも、ていねいに本書を読むといろいろと気づかされることは多いです。
今回のサロンでは、そのあたりを深掘りすることはできませんでしたが、いつかテーマに取り上げたいと思っています。

地域包括ケアシステムに関する話も、とても示唆に富むものでした。
福永さんは、医療での「地域」という言葉には注意しなければいけないと話してくれました。
そして、「地域」は地理的な「場所」(ローカルやリージョナル)ではなく、(人のつながりを軸にした)「コミュニティ」を指していると考えると、地域医療を進めて行くときの概念が明解になると話してくれました。
とても共感できます。
地域は、統治概念ではなく、生活概念で捉える必要があると私も思っています。
そして、豊川市の事例も踏まえながら、地域包括ケアシステムの話をしてくれました。
関連して、参加者から「我が事・丸ごと地域共生社会」構想の話も出ましたが、ここでもだれが主役になるかで全く違ったものになる可能性があります。

他にも紹介したい話はいくつもありますが、ぜひ「日本病院史」をお読みください。

案内でも書きましたが、病院や医療を通して、社会のさまざまな問題、が見えてきます。そしてそれは、私たち一人ひとりの生き方の問題にもつながってきます。
参加者のひとりが、結局、私たち一人ひとりが最後をどう迎えるかという看取りの問題につながっていると発言されました。
私もそう思いますが、まだまだ医療を受動的に捉えている人が多いように思います。

最後に、私も一言、中途半端な話をさせてもらいました。
コミュニティや地域社会の大切さが言われだしているが、それらは「どこかにある」のではなく、「自分の生き方で創りだしていく」ものだと考えることが大切ではないか。

話し合いで異論がぶつかりあった点もありますが、医療問題はやはり言葉の応酬ではなく、問題をしっかりと理解していくために、総論を踏まえて、自分事を踏まえて、個別テーマごとに連続で話し合う場を持たないといけないと改めて感じました。
そういうことができるように、少し考えてみたいと思います。

福永さん
そして参加してくださったみなさん
ありがとうございました。

Byouin01


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/31

■カフェサロン「医療・社会保障崩壊のルーツは明治維新」報告

長年、医師の立場から、日本の医療制度の問題点を指摘しつづけているNPO法人医療制度研究会の本田さんのサロンは、台風直前の雨にもかかわらず、15人のサロンになりました。

本田さんは外科医でしたが、還暦を機に外科医を引退し、世直し活動に取り組みだしています。
医療制度改革に取り組む過程で、明治維新にまでさかのぼって調べ出したら、日本の医療制度を変えていくには、日本の国家のあり方まで考えないといけないことに気づいてしまったのです。
そこで今回のテーマは、「医療・社会保障崩壊のルーツは明治維新」となったわけです。

テーマは大きいですが、話は本田さんのとても身近な話から始まりました。
そして、密度の濃い内容の話を、聞き手を飽きさせることなく、常に笑いを起こしながら、1時間半、ぴっちりと話してくれました。
その内容を要約すると、明治維新は薩長の下級武士が大英帝国の阿片マネーを背景に、皇室を錦の御旗に政治利用して徳川から政権を奪取したクーデターだった。そして彼らによるクレプトクラシー(収奪・盗賊政治)は敗戦後70年以上経過した現在も続いている。そしてそれこそが医療や社会保障の崩壊の根因である。
とまあこれが大筋ですが、医師不足や病院経営の実態についても数字でしっかりと論証してくれました。
しかし、メディアが伝える医療の話は、医療事故や医療費増加への危機感をあおるような話ばかりです。
世界的に見て国民人口あたりの医師がいかに少ないか、そして、医師の過労死や自殺の問題、医療面での国家負担の低さ、などはなかなか報道されません。

本田さんの話の内容をきちんとお伝えするのは難しいですが、サロンで使ったパワーポイントを本田さんが提供してくださったので、興味のある人はぜひじっくりとそれを見てください。https://www.dropbox.com/s/41kjan3lrrc2349/2017.10.29%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%AE%8F.pptx?dl=0
併せて、本田さんが今年初めに雑誌に寄稿した論考も読んでみてください。
これもとても興味深いです。
https://www.dropbox.com/s/okqbp3k4q7x0isn/%E6%9C%88%E5%88%8A%E4%BF%9D%E9%99%BA%E8%A8%BA%E7%99%82%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0.PDF?dl=0

私が本田さんと出会ったのは15年ほど前ですが、その時に、日本の医師が(意図的に)ますます不足する方向にあることを知って驚きました。
その後、本田さんは盛んにテレビに出られていましたが、最近は見かけることがなくなりました。
それが気になっていましたが、その理由も今回よくわかりました。
現場からの情報発信は政策決定者には疎まれるようです。
日本人はマスコミを信じすぎるという話の中で、参加者から学校で「教科書」依存を植え付けられた日本人にとってマスメディアは大人の「教科書」だという「教科書幻想」の話も出ましたが、マスコミまで「国家検定」が行なわる方向にあるのかもしれません。
ちなみに、日本の医師不足はいまなお世界水準に比較して絶対的に少なく、医師が地域的に偏在しているという問題ではないことを本田さんはデータで示してくれました。

本田さんが活動に大きくコミットしていった契機は、日本から病院が消えるのではないかといち早く警告を発していた長崎大学名誉教授の高岡善人さんからの1通のファックスだったそうです。
高岡さんとの出会いから本田さんは渋沢栄一を学びだし、明治維新にまでたどりついたのですが、高岡さんの遺志を引き継ぎながら、その思いを広げるために活動しているのです。
そのあたりのお話もパワーポイントに書かれています。

本田さんは、ドイツの医師、ルードルフ・フィルヒョウの「医療はすべて政治」という言葉も紹介してくれました。
この言葉にとても共感しますが、私は「福祉はすべて政治」だと思っています。
にもかかわらず日本の福祉に取り組むNPOが政治に概して無関心で、受け身的なことをいつも残念に思っています。
政治に関心を持たずに市民活動などできるはずはありません。

ちなみに、最近の日本では、自助・自立・相互扶助の動きを強め、公的な社会保障や医療が後退し、市場化される傾向にありますが、こうした動きの意味を、私たちはもっとしっかりと考えなければいけません。

本田さんは、最後にネルソン・マンデラの言葉を紹介してくれました。

何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧を抗議せず、それで自分たちにとっての良い社会、良い暮らしを求めることは不可能です

心に響きます。
これこそが私が考える政治意識であり、社会性です。

本田さんは、「気づいた者」の責任として活動を続けていますが、「気づかない者」の責任も罪深い。
であれば、いろんなことに気づく場としてのサロンをさらに広げていくことが大切だと改めて思いました。

医療シリーズは引き続き継続します。
医療関係者にもぜひ参加してほしいです。


Honda20171029


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/01

■カフェサロン「呼吸器の子・重い障害を生きる意味」の報告

15人のサロンになりました。
医療関係者の参加が少なかったのが残念でしたが、さまざまな話題が出て、たくさんの気づきをもらえたサロンでした。
松永さんは60枚にもわたるパワーポイントをつかって、在宅で人工呼吸器をつけている凌雅くんとその家族の生活ぶりを紹介してくれました。

物語の始まりは、凌雅くんのお母さんが発した「在宅人工呼吸器の今の生活が楽しい」という一言への松永さんのひっかかりからでした。
寝たきりの最重症、介護疲れ、不自由不便、自宅での孤立… なぜ「楽しい」と言えるのか?
それが松永さんの疑問だったそうです。
そうして、凌雅くん一家との交流が始まり、松永さんは自分の思い込みの間違いに気づいていくのです。
今回のサロンに参加した人も、松永さんのお話を聞いて、たぶん納得、というよりも、共感できたのではないかと思います。

凌雅くんは生後5か月の時に、ゴーシェ病と診断されました。
患者数は日本で10~20人しかいないという病気で、余命は2歳までと言われていました。
それを知った時、凌雅くんのお母さんは、「障害児として生きるのであれば、受け入れることができるが、短命ということには耐えられない」と思ったそうです。
そして、「何のために生まれてきたのか? 早く死ぬために生まれてきたのか? 残りの命はあと1年しかない。生きる意味は何なのか?」と、地獄の底に落ちた心境だったと言います。

凌雅くんは、1歳半の時に自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器を装着することになりました。
そこで家族は選択を迫られます。
一生を病院で過ごすか、それとも自宅で呼吸器をつけて暮らすか。
家族は迷うことなく後者を選択します。
病院は病人を治療する場所。これから生きていくには、その場所が病院でいいはずがないと考えたのです。

そこから家族の生き方が変わっていきます。
凌雅くんの世界も大きく広がっていきます。
そしてまわりのたくさんの人たちに喜びや幸せを広げていくのです。
その話は、ぜひ松永さんの書いた「呼吸器の子」(現代書館)をお読みください。
とてもここでは紹介しきれませんし、正確に伝えられる自信もありません。
凌雅くんはいま中学校に通っています。

最後に松永さんは、「私が学んだこと」と言って3つのことを話してくれました。
3つ目だけを紹介します。
不自由なこと、不幸なことはイコールではない。
なぜならば、人間とは、人間とは何かをつねに決定する存在だ。

パワーポイントの最後は、凌雅くん一家がアクアパーク品川に行った時の写真でした。
両親と凌雅くんの姉、みんなとても幸せそうな笑顔でした。
この笑顔を見れば、今の生活が楽しいというお母さんの言葉に納得できるでしょう。
私は、こんなに素晴らしい笑顔の家族はそう多くないかもしれないとさえ思いました。
同時に、この家族を幸せにしているのは、まさに凌雅くんだと確信しました。
長年、身近で接してきた松永さんは、そのことをもっと強く実感しているでしょう。

松永さんは、凌雅くんの看護師の言葉を紹介してくれました。
「苦しみの中にちょっとした楽しさや前向きの気持ちを見つけて、それにすがって生きていかざるを得ない。楽しさを見つけてキャッチする、障害児の母はそういう能力を自ら開発している」。
とても考えさせられる言葉だと思います。
私たちが忘れてしまっていることかもしれません。

話し合いは、いつものようにさまざまな話題が出ました。

凌雅くんは他者とどういうコミュニケーションをしているだろうかという話から、凌雅くんの生活を支えるためのいろいろな人たちを元気にし、言語ではないコミュニケーションをしているという話が出ました。
松永さんは、みんなも凌雅くんに支えられているとも話してくれました。
まさにケアの本質がそこにあります。

凌雅くん家族は、余命2歳の「医療界の常識」を否定しましたが、そうした事実によって、その後、障害児医療はどう変わったのでしょうか。
医師たちの考え方は変わったのでしょうか。
残念ながら大きく変わった事実はないようでした。
たぶん凌雅くん家族のことを知っているかどうかで、医師の考え方は変わるのではないか。
だからこそ、松永さんは本書を医療関係者に読んでほしいと思っているのです。
医療関係者だけではありません。
凌雅くん家族の幸せは社会を変えていく大きな力を持っているように思います。
医療を変えるのは、医療関係者だけではありません。
一番の当事者である患者、つまり私たち生活者もまた、医療を変えていく存在なのです。
それに、障害者のとらえ方も変わってくるでしょう。
そうした話から、医療のあり方や医師教育のあり方にも話は広がりました。

ちなみに、なぜ凌雅くんは余命2年の常識を変えられたのか。
ここに私は医療の本質が示唆されているように思います。
いつか、そんなテーマのサロンを企画したいです。

出生前診断の話も出ました。
これに関しては賛否ありますが、それを考えるうえでも凌雅くん家族の話は大きなヒントになるでしょう。

凌雅くん家族はすごいのかという話も出ました。
たしかにそうかもしれませんし、恵まれていたのかもしれません。
でも、そうしたくても、そうできなかった家族はどう思うでしょうか。
松永さんは、本の中ではそうしたことに関してとても誠実に心配りしていますが、だれもが凌雅くん家族のようにできるわけでも、なるわけでもありません。
でも大切なのは、どんな場合にも、それには十分の意味があると思うことかもしれません。

電車の中などで、障害者を見てしまうことも話題になりました。
その時に、「可哀そう」だと思うことの意味も話題になりました。
凌雅くんの父親は、「見られるのは当たり前。だって呼吸器を付けているのだから。これも人生」と言っているそうです。
実に自然体で、誠実に生きていることが伝わってきます。

障害児の自立についての父親の考えはとても共感できます。
「児童が好きなものを見つけていく。好きなものが見つかれば、仲間ができる。仲間が増えれば、その児童は幸福になれる。夢・目標に向かっていく姿勢を自立と呼びたい」。
私も、はっと気づかされた言葉です。

医療費は限られているのだから、重度障害児治療よりも、もっと大勢の子どもたちのための治療に向けたほうがいいのではないかという発想から、重度障害児治療に消極的な人も多いそうです。
これは大きな、そして実に悩ましい問題です。
それに関して、「海外での心臓移植治療のための巨額な費用の募金活動の呼びかけを受けた時に、ほかの同じような子供のことを考えると募金すべきかどうか迷ってしまった」という発言がありました。
つながっている話だと思いますが、書き出すときりがないので、今回はそうした話も出たことだけを報告しておきます。
いろんな視点に気づかされるのが、湯島のサロンの魅力なのです。

身体的ではないが、精神的な障害で、今日、このサロンに来るのもやっとだったという参加者の発言もありました。
彼女も、凌雅くんからたくさんの気付きをもらったようです。
精神障害は身体障害と違って、外からは見えにくいこともありますが、だからこそ大変な面もあります。
今回、松永さんのお話を聞いていて、私は改めて、障害観に関する大きな示唆をもらった気がします。

生きるとは何か、幸せとは何かを、考えさせられるサロンでした。
いろんな気付きがあって、この報告がなかなか書けず、夜になってようやく書く気力が出てきたため、遅くなってしまいました。
長くなったのですが、書き足りない報告になっています。

サロンの映像記録を近藤さんに撮ってもらいましたので、もしかしたら公開させてもらえるかもしれません。
その場合は、またご案内しますが、ぜひ松永さんの著書「呼吸器の子」(現代書館)を読んでもらえればうれしいです。
松永さんは特に医療関係者に読んでほしいと言っていますが、すべての人に読んでほしい本です。
松永さんはその本の最後に、「本書は、私たちの中に潜む差別思想に対するカウンターブローにしたい」と書いていますが、間違いなくそうなるでしょう。
だからこそたくさんの人に読んでほしいのです。
残念ながら本書はまだ重版に至っていません。
ぜひみんなで購入して重版に持っていきたいです。
社会をもっと住みやすくしていくためにも。

なお、「呼吸器の子」は、私のサイトに少しだけ紹介しています。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#170709

Matsunaga1709


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/09/19

■カフェサロン「医療・社会保障崩壊のルーツは明治維新」のご案内

高齢社会の到来で、日本における医療のあり方への関心は高まっており、さまざまな新しい試みも広がりだしています。
湯島のサロンでも、時々、医療制度の話題がでますが、なかなか取り組めないでいるテーマです。
しかし、私たちの生活にとって、医療制度や医療政策のあり方はとても大きな影響をもっています。
9月には、「呼吸器の子」をテーマにしたサロンも開催する予定ですが(9月30日)、そうした問題を考えていくためにも、「医療制度・医療政策」や「病院」の問題もこれから取り上げていきたいと思っています。


そこで、まずは長年、医師の立場で、日本の医療制度改革に取り組んできている本田宏さんに、日本の医療や社会保障が置かれている状況に関する基本的なお話をしていただくことにしました。


本田さんは、36年間外科医としてのお仕事をされるかたわら、NPO法人医療制度研究会の副理事長として、マスコミなどでも積極的に発言してきましたが、還暦を迎えたのを機に一昨年、外科医を引退し、医療再生のための活動に加えて、さまざまな市民活動に積極的に参加し、もっと住みよい社会に向けての幅広い連帯を目指す活動に専念されだしています。
その思いは、このままだと日本の医療は崩壊してしまう、それを阻止するためには、日本そのものを真の民主国家に転化をしなければという危機感です。


本田さんの視野は、長く深く広いので、普通はなかなか見えてこない問題を明らかにしてくれるものと思います。
今回もそんなことを感じさせるタイトルです。


本田さんからは、次のようなメッセージをもらっています。


医師不足に疑問を抱き、十数年以上医療や社会保障再生を目指して活動した外科医がたどり着いたのは明治維新だった。
明治維新は薩長の下級武士が大英帝国のアヘンマネーを背景に、皇室を錦の御旗に政治利用して徳川から政権を奪取したクーデターだった。そして彼らによるクレプトクラシー(収奪・盗賊政治)は敗戦後70年以上経過した現在も続いている。

ちょっと話が大きすぎて腰が引ける人もいるかもしれませんが、生々しい医療の現場で活動してきた本田さんのお話は具体的でわかりやすいですから、ぜひとも多くの人に聞いていただきたいと思います。
話はたぶん医療制度を超えて、社会のあり方や私たちの生き方につながっていくはずです。
本田さんがいま取り組んでいる活動やそのビジョンも話してもらえると思います。
とにかくエネルギッシュな人ですので、話に圧倒されるかもしれませんが、それに負けずに積極的な異論反論が飛び交うサロンにしたいと思っています。
もちろん、しっかりとお話を聞いて勉強したいという方も、大歓迎です。


まわりの方もぜひお誘いください。

○日時:2017年10月29日(日曜日)午後2時~4時(1時半開場)
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○問題提起者:本田宏さん(医療制度研究会副理事長)
○テーマ:「医療・社会保障崩壊のルーツは明治維新」
○会費:500円。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/06

■国民医療の発想

連休で2冊の本を読みました。
いずれも読もうと思ったまま、数か月、読みだせなかった本です。
1冊は石垣千秋さんの「医療制度改革の比較政治」(ミネルヴァ書房)。
もう1冊は「日本病院史」(ピラールプレス)です。
いずれも分厚い本なので躊躇していたのですが、読みだしたら面白くてあっという間に読み終えました。
それでもっとハードな本を読もうと、今度は「負債論」(以文社)に取り組むことにしました。
明日から読み始めます。
700頁ほどの本なので、今度は少し手こずるかもしれません。
しかし、昨年末に眼瞼下垂の手術をしたおかげで、読書のスピードが倍増しました。
手術してくださった高久先生に感謝しなければいけません。
高久さんは、この連休もお仕事でしょうが。

ところで、読んだ2冊の本の感想などはホームページに掲載しますが、この2冊を読んだおかげ、日本の医療の問題をかなり整理することができました。
私の認識では、いまの日本の医療は明治期の発想を超えていないように思います。
つまり「国民医療」の発想です。
これでは何のことかわからないと思いますが、いつか少し私見を書きます。

今日は湯島で2時から「教育勅語」をテーマにしたサロンです。
これもまさに「国民教育」の発想に基づくものです。
そうしたことに私たちはもっと想像力をもたなければいけないと思っています。
もしお時間があれば、ぜひご参加ください。
誰でも歓迎です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/02/26

■コムケアサロン「豊かな高齢期をいきることの素晴らしさ」報告

昨年から始まった「看取り文化シリーズ」の第2回目は、小田原福祉会の潤生園の時田佳代子さんの話題提供をお願いしました。
申込者が20名を超すことになってしまい、会場を変えようかと思ったほどでしたが、何とか湯島で開催することができました。
関心の高さを知り、正直少しホッとしました。
葬儀不要論が広がる最近の風潮には大きな懸念を持っています。


時田さんは、小田原での長年の取り組みについて紹介してくれました。
潤生園では、「医療の死」とは違う「福祉の死」に長年取り組んできています。
医療や行政の「常識」にとらわれることなく、しかし、しっかりとした取り組みで、生きること、死ぬことに誠実に取り組んできているのです。
生活に立脚すれば、ある意味では当然のことながら、24時間365日、在宅での生活ケアが基本になりますし、生きるための基本は食になります。
医療技術の活用の仕方も変われば、食事のあり方も変わってくる。
しかも、それをきちんとデータを取りながら進めているのです。


時田さんの話は録音しておけばよかったのですが、あまりに引き込まれてしまい、記録も何もとりませんでした。
しかし多くの人たちに聞いてほしいと思いましたので、いつかまた講演会のようなものを開きたいと思います。
参加者のみなさんも、いろいろと思うことがあったと思います。
小田原に転居できるものなら転居したいと思った人もいるでしょう。

潤生園の取り組みや理念はホームページをご覧ください。
http://junseien.jp/corporate/
ホームページに書かれている次の文章に、潤生園の姿勢が感じられます。

潤生園が提供する「みんなの家」は、24時間365日地域での暮らしを丸ごとサポートいたします。「介護の安心」はもとより、「医療の安心」や「生活の安心」もおまかせ下さい。「みんなの家」は施設を利用される方だけでなく、地域で暮らす方々にとっても「安心」を提供したいと考えています。お困りのことがあれば「みんなの家」をお訪ね下さい。地域の方々の暮らしの拠り所として、みなさまのお役に立ちたいと考えています。

この文章だけだと、よくあるビジネスメッセージにしか聞こえないかもしれませんが、時田さんの話を直接聞けば、たぶん真意が伝わってきます。
ちなみに、潤生園の職員は「潤生園の原点」という小冊子をそれぞれが持っているようです。
昨日、時田さんから私も1冊もらいました。
潤生園を創設するに当たって、時田純さん(時田さんのお父上)は、戦中戦後の自らの体験を踏まえて、理念を掲げました。

人は人として存在するだけで尊い。真の福祉は、人のいのちの尊さを知り、個人の人格を心から敬愛するところからはじまる。
この理念を核に活動を展開しているのです。


昨日のサロンの内容報告にはなっていませんね。
すみません。
しかしたくさんの、しかもさまざまな立場の人が参加してくださったおかげで、話し合いからもたくさんの気付きをもらいました。
潤生園が目指していることは、これからの社会や福祉のあり方を考える大きなヒントが含まれています。
最近の福祉政策は方向を間違えていると感じている私にとっては、大きな元気をもらえるサロンになりました。
だれもが安心して暮らせる社会に向けて、個人でもできることはたくさんある。
改めてそのことにも気づかせてもらいました。


時田さんはじめ、参加して下さったみなさんに感謝しています。


長くなりますが、もう一つ感じたことを書きます。
時田さんの話の誘発されるように、両親を見送った時の自分の体験を話してくれた人が何人かいます。
看取りを語り合う、さらには伝え合うサロンがあるといいなと思いました。
考えたいと思います。
Tokita1


Tokita2_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/02/02

■TCH(Tooth Contacting Habit)

今日はまた歯医者さんでひとつ教えてもらいました。
マウスピースを使いだしたのですが、寝ている時には自然と歯はかみ合っているのが普通ですか、と歯医者さんに質問しました。
何事も疑問に思ったことは質問するのが私の性癖です。
そうしたら、リラックスしている時、上下の歯は軽く接していると思いますか? と訊かれました。
接触していないのだそうです。
たしかに意識してみると、接触していません。
しかし、それは重力の法則に合わないので、進化の間違いではないか、類人猿もそうですか、と歯医者さんに場違いな質問をしたのですが、そうしたらTCHの話をしてくれました。
TCHとは、“Tooth Contacting Habit”(歯列接触癖)の略で、上下の歯を“持続的に”接触させる癖のことだそうです。

帰宅して、早速、調べてみました。
類人の話ではなく、TCHのことをです。
そこで知ったことを紹介します。

上下の歯は何もしていない時は接触しておらず、離れており、会話や食事をする際に接触する時間を含めても、接触しているのは1日20分程度が正常だと言われています。
上下の歯の接触時間が長くなると、筋肉の緊張や疲労、顎関節への負担が増え、起床時症状(顎の疲労感,歯の違和感,口が開きにくいなど)や顎関節症、様々な不定愁訴に関わっている可能性が考えられています。

マウスピースの効用がよくわかりました。
歯ぎしりはストレスが起こすと言われますが、歯ぎしりがストレスを起こす面もあるということです。
マウスピースは歯の寿命を延ばすだけではなく、人生を明るくするのです。
みなさんもいかがですか。
我孫子市のいしど歯科クリニックは、行くたびに何かを学べる楽しい歯医者さんです。
今日は血圧で、少しまた注意されましたが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/10/18

■みんなの認知症予防ゲーム実践者交流の報告

第2回みんなの認知症予防ゲーム実践者交流会は、首都圏で活動されている人たちが集まってくれました。
みんなそれぞれの場所で、いろんな活動をしている方ばかりです。
なぜか私だけが、まったくの部外者です。
今回は、京都のNPO法人認知症予防ネット理事長の高林さんも参加してくれました。
高林さんと実践者の、ざっくばらんな交流も、わずかながらできたかと思います。

この活動は、高林さんの熱意とご尽力で、ここまで広がってきましたが、広がっているわりには、組織的に世の中に情報発信されておらず、活動もばらばらの感があります。
そのためか、マスメディアでもあまり取り上げられることもありません。
横からずっと見ている者としては、それがどうにももどかしく、余計なお世話とは思いながら、今回また呼びかけさせてもらったわけです。
できれば、ゆるやかな組織へと向かうお手伝いをしたいと思っていますが、活動を持続していくためには「事業性」と「社会性」のいずれもが必要です。
しかも組織に関わるみんなにとって、意味のある組織でなくてはいけません。
なにしろ「みんなの認知症予防ゲーム」と称しているのですから。
そうなるためには、まずはメンバーの間に信頼関係が育たなくてはいけません。
「みんなの組織」は、創るのではなく、生まれるのでなければいけません。

横からささやかに関わらせてもらっているおかげで、いろんなことに気づかせられます。
実践者でもない私の役割も、少しはあるようです。
実践者であればこそ、見えてこないこともありますから。
実践の現場から見えてくる日本の福祉思想の実相や限界も垣間見えてきて、実践者のお話は私にはいつも刺激的です。

ちなみに、私は「認知症」という概念そのものが、基本的に間違っていると思っています。
そういう考えにもかかわらず、なぜ「みんなの認知症予防ゲーム」に関わっているのかと問われると困るのですが、それはたぶん、このゲームの実践者が、みんないい人だからでしょう。
今日も10人集まりましたが、例外なくみんないい人です。
ご多用のなか、参加してくださった人たちに感謝いたします。
ぜひ「みんなの組織」を育てていければと思っています。


20161018


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧