カテゴリー「医療時評」の記事

2020/07/26

■ALS患者の言葉に深く耳を傾けたい

昨夜は4時に目が覚めてしまいました。
そして、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者が薬物を投与されて殺害されたとされる事件のことが浮かんできて、もう眠られなくなってしまいました。
私には、実に簡単な事件のように思いますが(「殺人事件」です)、なぜかテレビの報道に接して以来、頭から離れません。

今朝、朝日新聞のトップにALS患者の増田さんのメールが紹介されていました。
何度も読み返しました。
そして、林優里さんのご冥福を祈りました。

増田さんのメッセージをぜひ皆さんにも読んでいただきたいです。
私が、一番共感したのは、次の文章です。

誤解して欲しくないのは、彼女の意思表明は、
生きたいと思ったからこそのものであること、
そして事実生きていたということです。

書きたいことは山のようにあります。
できれば湯島のサロンでも取り上げたいと思います。
でも今はまだその元気がでません。

ともかく、多くの人に増田さんのメールを読んでもらい、考えてもらいたいです。
退屈な「言葉」の問題にはしないでほしいですが。

Img188

| | コメント (0)

2020/07/20

■医療関係者のストライキのメッセージをきちんと受け止めたい

今日は娘の手術の立ち会いで、大学病院で半日過ごしました。
手術は2時間でしたが、その前後、併せて5時間以上、病院にいました。

いろんなことが見えてきます。
コロナ騒ぎで、病院は大きな負担を強いられているのがよくわかります。
しかし、看護師もスタッフも、もちろん医師も、非常に誠実です。
医師は昼食を食べる暇なく、仕事をしているようです。
さすがにナースステーションは昼食時少し人数が減っていましたが、患者担当の人は昼食もなく頑張っていました。私も昼食を食べずに待合室にいたので、それが実感できました。

そのうえ、みんなとても気遣い合う姿勢が強く、看護師だけでなく、たとえばストレッチャーを運ぶスタッフや待合室の掃除に来る人など、みんな実に親切です。
エレベーター内では声をかけないようにと掲示が出ていましたので、私も声掛けは最小限にしましたが、それなりに声をかけてもらえましたし、それなりに声をかけさせてもらいました。もっとも、みんな私よりも疲れているはずなので。私にはお礼を言うしかできませんでしたが。

帰宅してテレビを見ていたら、病院の看護師のストライキが報道されていました。
コロナ騒ぎで病院が収益悪化し、ボーナスが削減されたりしているようです。
これを見て唖然としました。

たぶん金銭的な問題ではないでしょう。
医療関係者への評価や、もしかしたら私たち患者や患者家族の姿勢が問題なのかもしれません。社会の目も、問題かもしれません。
もし本当に新型コロナが心配なのであれば、そして医療崩壊を本当に心配するのであれば、病院の経営収益の問題などにしてはいけないはずです。

コロナ対策特別税として、全国民が毎月一定額を負担するようにしたらどうでしょうか。
経済が回らなくては困るとみんないいますが、病院はどうなのか。
昨今のバブルに近いような消費の報道には、私は違和感があります。
まずは医療関係者に温泉に行って休んでもらいたい気分です。

病院のスタッフ業務には、資格がなくてもできる活動も少なくありません。
そういう活動をするボランティアを受け入れるのもいいでしょう。
私にも入り口で体温を計ったり、消毒をしてもらうようなことなら、週10時間くらいであれば、引き受けられそうです。

ニュースで医療関係者のストライキが、ボーナスとの関係で報道されているのに、やりきれない気がします。
報道関係者はもう少ししっかりと現実を見てほしいです。
そこまで報道はお金に毒されてしまっているのでしょうか。

今日、お世話になった慈恵医大柏病院の守衛さんをはじめとした、すべてのみなさんに感謝します。

 

| | コメント (0)

2020/06/02

■磯野真穂さんの「医療者が語る答えなき世界」をお薦めします

ぜひお薦めしたい本に出合いました。

磯野真穂さんの「医療者が語る答えなき世界」(ちくま新書)です。
先日、新型コロナに関連した朝日新聞のインタビューで、磯野さんが「人と人が直接会って交流できないことは、社会の死を意味する」と話されていたことに誘い込まれて、磯野さんのこの新書を読んでみました。感激しました。読み終えたのは先月ですが、多くの人に読んでほしいと思い、紹介させてもらうことにしました。

朝日新聞の記事では、磯野さんは「医療人類学者」と肩書きされていました。医療人類学という言葉も私は初めて知ったのですが、本書を読んでとても納得できました。
そして、私たちの生活のすぐ近くに、「文化人類学」のフィールドがたくさんあることに気づきました。社会は豊かさに満ち溢れているのです。
同時に、私たちにも「文化人類学者」的な生き方ができる事にも気づかされました。磯野さんは、「文化人類学は他者の生を通じて自分を知る学問」だと書いています。そう捉えれば、私もささやかに「文化人類学」的な生き方をしているように思います。

それはともかく、磯野さんは、こう書いているのです。

身体の異常を元通りに治すとか、心身の不調をすっかり取り去るとか、字句通りの「治す」からはいっけん離れたところにある医療行為が現場にはたくさんあり、それらの行為こそがまさしく医療なのではないかと思わせる場面が存在する。

そして、「「治す、治さない」という二項対立的な基準を持ち込まずに医療者の仕事をとらえる方法はないだろうか」と問い、「医療者の仕事は医学を医療に変換すること」だというのです。
現在の医療に違和感を持っていた私には、とても腑に落ちる言い方です。

磯野さんは、そうしたことをわかりやすい8つの医療者の物語を通して、ていねいに説明してくれます。「8つの物語が、読者のこれまでの人生と何らかの形で共鳴することを願ってこの本を書いた」と磯野さんは書いていますが、私の場合、たくさんの共鳴がありました。共鳴だけではなく、感動もあり、納得もあり、気づきもありました。

紹介したいこともたくさんあるのですが、生半可な紹介よりも、ぜひ本書を読んでほしいので、内容の紹介はやめておきます。
読み終えた後、磯野さんがインタビューで「人と人が直接会って交流できないことは、社会の死を意味する」と言っていたことの思いが、さらに深く伝わってきました。

新型コロナ対策で、社会が死なないように、ぜひ多くの人に読んでいただき、自分の生き方を考える時間を持ってもらえればと思います。
気楽に読める新書です。

413pbcmal

| | コメント (0)

2020/05/17

■「感染者に会わなければ感染しない」わけはありません

新型コロナに関する専門家のテレビ発言はできるだけ聞くようにしています。
そのおかげで、新型コロナのことがかなりわかってきたような気がしますが、いわゆる専門家のほうがわかっていないのではないのかと思うことも少なくありません。
まあ私の聞き違いや理解不足の可能性も大きいですが。
しかし、専門家の発言こそ、注意して聞かねばいけないというのが私の人生体験の一つです。

たとえば、「感染者に会わなければ感染しない」ということが、ともかく家にいた方がいいという呼びかけの理由とする専門家が少なくありません。
「感染者に会わなければ感染しない」と言われると、そうだなとつい思いがちですが、そんなことはまったくありません。もし、そうならドアノブや公園の遊具を消毒したりすることは全く不要です。
物質に付着したウイルスは感染力を持っているわけですから、感染者に会わなければ感染しないなどというのは全くの嘘です。こういう嘘を重ねていくと、事実は見えなくなっていきます。たぶんそういっているうちに専門家自身もおかしくなっていくのでしょう。
嘘をついているといつの間にかその嘘に自分も騙されてしまいかねません。

専門家に限りませんが、テレビでよく言われていることや新しい生活様式なども、おかしなことは少なくありません。自宅の部屋も換気をしろと言われますが、すでにコロナウイルスが自分の家にも蔓延しているということでしょうか。
ソーシャルディスタンス2メートルなどというと、いかにも科学的で根拠がありそうな気もしますし、もっともらしく説明されていますが、専門家たちはどう思っているのでしょうか。

相手は自由に飛びまわるウイルスですから、人間が勝手に決めた行政区画に制約されて動いているわけではありません。最近の人間は、ウイルスよりも従順で、行政区域に呪縛されるようですが、ウイルスは生きている以上、そんなことにはお構いなでしょう。かれらが生きてるのは武漢の研究所の実験室の中ではなく、広い宇宙空間なのです。

揚げ足取りと言われそうですが、ともかくわけのわからない思いつきのルールや予防策が、それこそ世間に蔓延しているような気がします。
私は、そんなわけで世間に流布されているルールは参考にはしますが、自分なりに吟味して、まじめに感染予防に取り組んでいます。
オウム返しのように「ホームステイ」などと有名人が呼びかけている動画も不快でしかありません。

自分の生活をかけて感染予防に取り組んでくれる人が増えてくることを願っています。

| | コメント (0)

2020/04/27

■西浦さんのグラフに私がおかしいと思った点

西浦さんのグラフに、私がおかしいと思った点は2つです。

まず、「接触8割減」になると1か月ほどで、新規感染者がゼロになるということです。
次に、そのあとのことが何も示唆されていないことです。

つまり、政策検討の材料にはなっても、政策の根拠や説明にはならないと思います。
数理モデルは、これまでも往々にして、政策の正当化のために利用されてきました。
その典型例だと思ったのです。

しかもそれは、安倍政権の脅迫的自粛政策に加担し国民を委縮させました。
この図を毎日見せられて、みんな「外出自粛合唱」を始めました。
サーファーやパチンコ愛好者は、社会の敵にされてしまった。
そしていつの間にか、感染予防が接触予防となり、人々の間にソーシャルディスタンス、つまり不信感を生むことになった。
私はそう考えています。

西浦さんの数理モデルを否定しているわけではなく、そこにもっともらしい数字を当てはめ、ウイルス禍は一過性であるという印象を与える政策に格好の道具を与えたことに、学者としての良識を疑ったということです。
もっとも、あのグラフによって、自粛姿勢が強まり感染が収まったではないかといわれるかもしれませんが、それは否定はしません。しかし、それによって失ったものを考えてほしいです。

新規感染がゼロになるということはあり得ませんし、既存感染者の中にウイルスは残っていますから、このグラフは実は次々と重なっていくはずです。
実験室でのウイルス拡散の1シーンに関しては、これは成り立つでしょう。実験室のモデルを、きちんとした説明もせずに現実世界に安直に当てはめないでほしいと思います。
実際には、このグラフが何枚も重なって。現実を構成してくはずです。
それをベースに政策は考えられているはずですが、それは一切見えてこない。

ほかにも疑惑はたくさんあります。
感染者の8割はウイルスを感染しないなどということがどうしてわかるのか。
検査者数を示しもしないで、感染者数を発表することの意味は何なのか。
PCR検査能力は議論されても、実際の検査数は話題にしないのはなぜなのか。
要するに、みんな西浦さんと同じように、数字の遊びをしているだけではないか。
そういう気がしてならないのです。

今回のウイルス対策は、最初から事実を把握しようという姿勢があまり感じられませんでしたが、いまもって事実を把握しようという動きが出てこない。
なぜマスクがまだ不足なのか、医療用具がなぜ不足なのか。
致死率はどのくらいなのか、個人としての感染予防と感染後をどうしたらいいのか。
恐怖は広がっていますが、むしろそのために、個人として身を守る術をそれぞれが考える風潮が出てこないでいるような気さえしてしまいます。

いささか言いすぎていることは、重々承知していますが、この数か月に少なくないコラテラルダメッジが生まれているような恐ろしさを感じています。

 

| | コメント (0)

2020/04/26

■西浦モデルへの疑問

先日、フェイスブックに、コロナ鎮静化と接触率のグラフに関して、あれほどひどい「まがい物」はないのではないかというようなことを書きました。
言い過ぎではないかと叱られました。

しかし、政府も東京都知事も、これをよりどころにして、「外出自粛」を呼びかけていて、日本国中、「外出自粛」風潮に覆われています。あのグラフに日本国中が振り回されているように思えます。
それほどの影響を与えている西浦グラフは、ちょっと素直に考えたら、いかにおかしいものであるか気づくはずです。私には、あれは「詐欺師のモデル」としか思えません。

西浦さんの属するチームの取り組む「クラスター発想」も、私にはひどいものだと思い、コロナが話題になりだしたころから疑問を呈してきましたが、いまもってまだ、クラスター追跡などをやっているのは、私はコロナをはやらせたいのかと疑いたく思うほどです。

それにしてもまだ西浦モデルがテレビで活躍しています。
医療関係者にはまともな批判をしている人はいないのかと思って、先ほどネットで調べてみました。
そうしたらいろいろと情報発信している人がいる事がわかりました。

一番説得力があったのは、藤井聡さんの次のユーチューブです。
https://www.youtube.com/watch?v=Vu3EbKx_uU4

ぜひみなさんにも見ていただきたいです。

| | コメント (0)

2020/04/17

■ウイルスともなかよくやれないものでしょうか

新型ウイルスがますます「悪者」になってきています。

昨日、ふと中村桂子さんの生命誌マンダラのことを思い出しました。
1年ほど前だと思いますが、Eテレの「こころの時代」でマンダラを取り上げていました。
その最終回に、中村桂子さんが登場し、生命誌マンダラについて話していたのを思い出しました。

中村さんは、「自然の中の人間」という立脚点から、「生命誌」ということを提唱し、活動されてきていますが、生命の歴史を視覚化した生命誌マンダラをつくっています。
そこにはもちろんウイルスも然りと描かれています。

ウイルスは、生物の進化に大きな役割を果たしてきました。
1週間ほど前の朝日新聞にもそのことがイラストでわかりやすく書かれていました。
中村さんは人類にとってもウイルスが親子をつなぐ重要な役割をはたしていることを、たしかその番組で語っていました。
ウイルスも私たちの仲間なのです。

Img139

新型コロナウイルスが、あまりにもひどく扱われていることに、ずっと違和感を持っています。
彼らは、ただ単にまだ人との付き合い方がわかっていないのではないか。
物事を、「差別」とか「いじめ」とか「居場所」とかという視点で考えてしまうようになってしまっている私には、どうも気持ちが悪いまま、今日まで来ています。
戦争と同じだなどという発言には、気分が悪くなります。
「戦争」などという言葉をそう簡単に使ってほしくありません。
そういう言葉を使っていると、自己洗脳におかされてしまい、事実が見えなくなってしまいます。

ところで、ウイルスと人間についてこれまでも語ってきている人はいます。
そのひとりが、栗本慎一郎さんですが、その著書に「パンツを捨てるサル」があります。
その本で、栗本さんは、レトロウイルスと進化、人類史について語っていますが、いまは絶版になっていて、古書も高いのでそう簡単には手に入りません。
私も持っていますが、転居予定先に送ってしまっているので、手元にはありません。
ちなみに、「パンツ」とは「おかね」のことです。

柴崎明さんはいまこそ、この本を再読する価値があるのではないかと思い立って、読み上げる動画を少しずつ配信しています。
https://www.youtube.com/watch?v=TcPul17jjrY&feature=youtu.be
できれば、彼にサロンで話してもらうのがいいのですが、この状況だとサロンも開きにくいので、関心のある方は彼のユーチューブで毎日聞いてください。
聴きやすさは保証しませんが。
なにしろ柴崎さんですから。

 

 

| | コメント (0)

2020/04/01

■大切なのは今のような状況での生活設計をしっかりと考えることだと思います。

新型ウイルスは、すでに国内に蔓延していて、しかもかなり長期的にいまのような状況は続くだろうと思っています。

2月中ごろに抱いたその思いは今も変わりません。
クラスターでウイルスが留まるはずはありません。
それにそんなに短期間で終息するはずもありません。

ですからこの2週間が重要だというように、問題を矮小化する方法には違和感がありました。
休校するなら半年先まで考えて仕組みを検討すべきです。
医療崩壊が問題であれば、そうならないように制度改善に努めるべきです。

しかし、問題を時空間的に矮小化したために、対策もとても短視眼的なものになってしまっているように思います。
何やらマスク不足が緊急の課題のようにさえ見えてしまいます。
今日になって、全世帯にマスクを2枚届けるなどというばかげたことが発表される現状を見れば、政府がまじめに考えているとは到底思えません。
それだけのマスクがあるのであれば、国民にではなく、医療や福祉関係の施設に今すぐにでも配布すべきです。
政府が医療制度崩壊など考えていないことが感じられます。
そんなことをやっている時ではないでしょう。

新たに法律を立案するときでもない。
まずは現場でできること、やるべきことをやることが必要です。
そうしたことは、2月の末くらいからかなり現場から指摘されていますし、テレビでも現場で仕事をしている人たちから要請されていました。
私のようにテレビでしか状況を推測できない立場でも、しっかりとみていれば、だれが誠実に発言しているかはわかります。

それにいま毎日発表されている感染者数は、私にはまったく理解できません。
そもそもベースになる検査対象者数が発表されていませんから、感染率はまったくわかりません。
関係者がその気になればいくらでもつくり出せる数字です。
ただただ不安をあおっているだけのようにも思います。
統計はいかようにも物語を生みだせるのです。

大切なのは実際に何が起こっているかです。
不要不急の外出など、そもそもそんなにしている人はいないでしょう。
みんなそんなにいい加減に生きているわけではありません。

明日に延ばせることは明日にしろというのであればわかりますが、明日ならいいのかということになります。
その理由にはほとんど根拠はないように思います。

このウイルス騒ぎが1週間や2週間で収まるはずはないでしょう。
むしろ今の状況は問題を先延ばしし㎡複雑にしているようにも思えます。
何が一番大切なのかがきちんと考えられていないような気がします。
不安をあおるような状況は避けなければいけません。
それこそが、感染を広げ、混乱を起こしかねません。

みんないまの「自粛生活」を3か月もつづけるのでしょうか。
それに「自粛」もいいですが、いまの状況でもできることはたくさんあります。
そういう視点で考えないと長期的な生活設計はできません。

私は、自らの健康を守るとともに、生活をしっかりと維持していきたいと思っています。
それが一番大切なことだと思うからです。

昨今のグローバルした状況では、このウイルス感染症が1年以内に終息するとはとても思えません。
そういう視点で、私は生活しています。
決して一過性の災厄ではありません。
緊急事態ではあると思いますが、その先も考えて、自らの生き方をしっかりと考えたいと、私は思っています。

今月を乗り越えればいいわけでは決してありません。
生活はずっと続いていくのですから。

 

 

| | コメント (0)

2019/08/22

■病院に6時間いました

昨日、娘の付き添いで大学病院に6時間いました。

娘がちょっと無理がたたって近くの病院に昨日逝ったのですが、専門医に診てもらうように大学病院を紹介されました。
昨夜は大変そうで、娘もほとんど寝ていないようなのです。
横になれないので、この数日あまり寝ていないそうです。
娘がそうなった理由の一因が私にあることもあって、娘からは断られましたが、ちょっと無理やり付き合ったのです。
最近体調があまりすぐれない私にとっての、ミニリトリートも兼ねていました。

紹介状を持って朝早くいったのですが、まず初診受付で40分ほどかかりました。
総合病院ですから、まあいろんな患者が多いのです。
次に内科受付に行って、ここでまた1時間ほど待たされました。
まあ、そのくらいは覚悟していました。

しかし、待合室にいるといろんな人がいます。
眠れないからという人もいれば、糖尿病かもしれないという人もいます。
待合室で待つ時間のおしゃべりを楽しんでいるように見える人もいます。
そういう中で、娘の苦しそうな様子を見ていて、こういう場でも「トリアージ」方式が取れないものかとつい思ってしまいました。

しかし、これはいかにも勝手な考えで、だれもが自分が一番大変だと思うでしょうから、フェアなトリアージ仕分けをするのは至難なことでしょう。
外見では娘が一番苦しそうだなと感じましたが、それはあくまでも贔屓目の外見でしかありません。

それに今日も実際にあったのですが、病状はたいした様子ではなかったのですが、午後から用事があるので急いでもらえないかという人がいました。
そうした個人事情を認めだしたらきりがないと言われそうですが、その人はきっと時間のない合間に来たのでしょう。
そう思うと優先させてやってほしいなとついつい思ってしまう。

もっとも今日も、娘は少し優先してもらったかもしれません。
スタッフの方が気にかけてくださったような気配を感じました。
お医者さんも、娘に処方後、薬が合わなくてあまり効果が出ないときには、救急窓口に来てくださいと言われたそうです。
昨日は娘からは救急車など大げさだと一蹴されましたが。

長々と書きましたが、先日の「分け合う経済」サロンに通ずるように思います。
「分け合う」文化は「譲り合う文化」でもあります。
譲り合う生き方に向かうことが、私にとっての前進です。

しかし、残念ながら今の社会は譲り合いどころか奪い合いに向かっている。
その根底にある「競争」の文化を「共創」へと向けていければ社会も個人も幸せになるはずです。
譲り合うことがどんなに気持ちの良いことか。
それを体験することがなかったがゆえに、あおり運転のようなことをやってしまう人たちに、ぜひとも「譲り合い」の喜びを体験してほしいです。

 今日、病院で感じたことです。

 

| | コメント (0)

2018/10/07

■カフェサロン「自閉症児を受容し親になる」報告

松永さんのサロンも、今回で3回目です。
今回のテーマは、これまでの難病の子どもと違って「自閉症児」。
松永さんの世界は、どんどん広くなり深くなり、メッセージの普遍性が強まってきています。
今回は、最近出版した「発達障害に生まれて - 自閉症児と母の17年」の勇太君母子のことを中心に、これまでの2作品にも言及されながら、そしてご自身の思いも込められながら、お話をしてくださいました。
キーワードは「受容」と「普通」。
松永さんのお話は映像記録していますので、関心のある人はご連絡ください。

「受容」に関しては、キューブラー・ロスの「死の受容の5段階」に即しながら、「受容」のプロセスとその過程でどういうことが創発されるのかを話してくれました。
そして、「死」ではなく「生」の場合は、最後の段階の「受容」こそが、始まりなのだとして、「生の受容の5段階」(私の勝手な命名です)松永モデルを紹介してくれました。
このモデルは、これからきっと松永さんによって深化していくでしょうが、とても示唆に富んでいます。

「普通」に関しては、具体的なエピソードによって「普通という呪縛」を気づかせてくれました。
もしかしたら、「普通呪縛」によって、私たちは「発達障害」などの「異常化」を進めているのかもしれません。
今の時代は、「ちょっと変わった子ども」はいなくなってしまっているのかもしれません。
実は昨日、別のサロンで、引きこもり問題に関わっている人から、最近は不登校の子供が薬を飲まされて薬害が問題になっているという恐ろしい話も聞きました。
「普通呪縛」からどうしたら自由になれるのか。
松永さんのお話には、健常者の脳を捨てることが大切という指摘もありましたが、健常であることと普通であることとは同じなのか、そしてそういう言葉に果たして実体はあるのだろうかというようなことを思いました。

松永さんは、障害者が幸福に生きる条件を2つあげました。
「居場所をつくること」と「自立と共生」です。
居場所は物理的な場所というよりも、人との出会い、社会に関わっていくこと。
自立と共生とは、お互いに支え合っている言葉であることを理解すること。
とても示唆に富んでいる指摘だと思います。
ちなみに、イヴァン・イリイチという人は「コンヴィヴィアリティ」という言葉で、以前から「自立共生」をワンセットで捉えています。

ほかにも、心に残った言葉はたくさんあります。
いくつかを羅列します。
子どもにとって親の存在が安全基地になる。
人に助けを求めることが社会とのつながりを育ていく。
会話が成り立たなくとも信頼関係や愛は育てられる。
条件なしの愛と条件付きの愛の話も紹介したいですが、書きだしたらこれまたきりがなさそうです。

最後に、これは松永さんが以前から話されていることですが、「不幸を最小化する」社会にも言及されました。
「不幸を最小化する」社会を実現するためには、「最も弱い者(高齢者、新生児、障害者など)を守り、多様性を認め、共生することが大切だが、しかし現実は…」といって、勇太君の母親のブログに書きこまれたあるコメントを紹介してくれました。
それはこんなコメントです。
「やはり知的障害者の教育に我々の血税を費やすよりも本当に勉強したくても経済的事由で学校に行けない健常者にその税金を回すべきです」
とても哀しいコメントです。
このコメントを紹介した後、松永さんは、オスプレイの写真を見せながら、「血税」ってなんだと強い口調(激しい怒りの気持ちを感じました)で問いかけました。
1機100億円のオスプレイで、どれだけの人の生が支えられるのか。
その事実を、私たちはもっと知る必要があります。

参加者は14人でしたが、いろんな話が出ました。
発達障害のある家族がいる人や自分にも思い当たる人などもいて、話し合いはとても心に響くものが多かったです。

最初に出たのは「障害者」と「健常者」という言葉(概念)への違和感でした。
しかし、「障害者」という概念によって、そう言う人たちへの支援制度や社会の理解も進むという指摘もありました。

「仕事」とは何かというような話も出ました。
お金をもらう(あるいは「稼ぐ」)ことだけが仕事ではないのではないか。
仕事にはもっと大きな意味があるのではないかという話です。
自立とか就労支援ということの捉え方を、そろそろ変えないといけないのではないかと私は思っていますが、そのヒントもたくさんあったように思います。

書きだしたらきりがないので、これももしかしたらユーチューブで公開しますので、それを見てください。

最後に私の感想を話させてもらいました。
一つは「二次障害」の問題。
もしかしたら私自身が「普通呪縛」によって、子どもたち(あるいは周囲の人たちに)に二次障害を引き起こしてきたのではないかということに気づかせてもらったこと。
もうひとつは、勇太君の母親がいまとても幸せであるように、「自分にとっての勇太」を見つけることが、誰にでもできる、そして誰にとっても必要な、幸せになる条件だということに気づかせてもらったこと。
おかげで、私もちょっと生き方を正せるような気がします。

長い報告になってしまいましたが、まだ「発達障害に生まれて - 自閉症児と母の17年」(中央公論新社)をお読みでない方は、ぜひお読みください。
いろんな意味で、心が洗われ、世界が広くなると思います。

松永さんと参加者にとても感謝していました。
報告が遅れてすみませんでした。
Matsunaga181006


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧