カテゴリー「無駄話」の記事

2023/08/27

■『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』がついに終わりまし■

10年以上続いた英国テレビドラマ『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』がついに終わりました。
https://www.wowow.co.jp/detail/189210

毎年、3~6話ずつ放映されてきましたが、今回で最終回。
今日は時間があったので、最後の3本(4時間半)を続けてみました。
最後まで暗いままで終わりました。
おかげで私も暗い気分です。

これは2013年に始まったイギリスのテレビドラマです。
最初は面白かったのですが、だんだんその暗い内容に何回も見るのを止めようと思ったのですが、結局、10年間見続けてしまったわけです。
最後は明るい終わり方を望んでいましたが、最後まで暗かったのです。
何しろ暗い時代のイギリスの話ですから。
でも最初は嫌な性格だと思っていたブライト署長の生き方がとてもよかった。それが唯一の救いです。

このドラマの大きなテーマの一つは、家族とは何かです。
その点ではいろいろと考えさせられました。
こういうドラマは日本では作られないでしょうね。

最近の日本のドラマは明るすぎて、見ていても何も残らない。
最近、好きなドラマは「ハヤブサ消防団」です。
実にいい。でもああいう文化は日本でもどんどんなくなっているのでしょうね。ああいうところで最後の時間を過ごせたら最高ですね。
https://www.tv-asahi.co.jp/hayabusa-syobodan/

| | コメント (0)

2023/07/26

■新羅と秦族と六郷満山文化

まったくの無駄話です。
リフォームで、私の書庫がなくなってしまい、蔵書はいま未整理のまま、7つの書棚と段ボール数箱に、詰め込まれて、必要な本を見つけるのが大変な状況のまま、2~3年たっています。

時々、思い出して、本を探すことがあるのですが、そんな時、別の懐かしい本に出合うことがあります。昨日も懐かしい本に出合いました。
「邪馬台国は秦族に征服された」という安藤輝国さんの本です。1983年発行となっていますので、40年前の本です。
帯に「高木彬光氏推薦」と書いてあったので、気になってパラパラと読んでみました。

私は小学生のころから、横溝正史よりも高木彬光が好きだったのです。
高木彬光には、邪馬台国の論考もありますし、邪馬台国を題材にしたベッド・ディテクティヴものの小説もありました。

ページをめくると、さらに興味を掻き立てる文字が目に入りました。
「六郷満山文化」
ずっと気になりながら、調べたこともない、私には魅惑的な「話題」です。
20年ほど前に、大分県の国見町に行ったときに、友人に案内してもらったことがありますが、その時は、私はほぼ夢遊病者のような精神状況にあり、ただ現地を少し歩いただけで終わりました。でもその時の風景は今も時々思い出します。

そんなこともあるので、改めてこの本を読みなおしました。
ユダヤ・秦の始皇帝・新羅・応神・神功・磐井の乱・宇佐・天武というつながった物語が語られていました。だんだん思い出してきましたが、古代豊国も魅惑的です。

宇佐も気になりながら拒否されてきたところです。
30年ほど前にワクワクしながら宇佐に初めて行ったのですが、なぜか拒否された思いが残っています。宇佐に行ったのに、私には宇佐がほとんど見えなかったのです。行くまでにもいろいろとあったような気がしますが。
まあ時々そういう不思議なことが起こっていました。

いま語られている日本の古代史は、たぶん30年後にはまったく違ったものになっているような気がしています。
その歴史に触れられないのが残念です。

 

| | コメント (0)

2023/07/11

■邪馬台国のもやもやが解決しました

卑弥呼と邪馬台国にようやく解が得られました
もちろん、私にとって、という話ですが。

最近はあまり流行りませんが、私が若いころには「邪馬台国論争」というのが話題でした。
作家の松本清張や高木彬光なども論争に参加し、ある種の知的ゲームの感がありました。
当時私は古代史が大好きだったのでかなりはまっていました。

その後、今度は「邪馬台国はなかった」という古田武彦さんの論が新しい論争を起こしてくれました。これがまた魅力的で、それにもはまってしまいました。

その後、考古学での新たな発見が相次ぎ、さらに話は盛り上がってきましたが、その頃から逆に私自身は興味を失っていました。夢を感じなくなってきたのです。
でも卑弥呼が何者で、邪馬台国はどこだったのかには、関心がありました。

先週、図書館から寺沢薫さんの「卑弥呼とヤマト王朝」という本を借りてきていました。
「卑弥呼」にではなく、「ヤマト」に惹かれたのです。
昨日から読み出しました。
半分専門的な本なので、しっかり読んだら大変ですが、私の読み方だと、つまり関心のあるところだけの拾い読みだとどんな厚い本も2日もあれば十分です。
夕方には読み終えました。
それで長年の私の中での「邪馬台国論争」は解決しました。

著者も書いていますが、寺沢さんの考えは異端だそうです。
でもとても私には説得力があります。それに書き方がフェアなのです。
卑弥呼や邪馬台国でもやもやしている人は、読むといいです。
すっきりします。たぶん、ですが。

とても共感できるのは、視野が広く話題も広いことです。
司馬懿も公孫淵も出てきますし、マルクスもエンゲルスも出てくる。

邪馬台国問題ですっきりしない人にお薦めです。
国家とは何かを考えたい人にも。

| | コメント (0)

2023/04/25

■畑作業もどき記録20230425

今日は9時過ぎに畑に行きました。
先日整理していたら出てきた昔はいていたジーパンで作業です。
久しぶりのジーパンです。全く似合わない。

30分で帰宅する予定が、気がついたら11時。
畑作業をしていると時間を忘れます。
今日はまた畑面積を拡大し、さらに夏大根と葉ねぎを播く準備の畝をつくりました。
加えてかなり広い畑候補地も作りました。ここにはモロヘイヤやニンジンを予定。すでに植えているキュウリやナスもいささか危ういので、これも植え直そうと思います。
着々と収穫農業に向けて準備が進んでいます。

ところで、笹の生い茂っていたところを開墾するのは大変なのです。
その一部を写真に撮りました。かなり太い根っこがわかると思いますが、こうした根っこが地中に張り巡っているのです。
それと開墾作業をしていると、光合成に陽光は不要なのではないかなどという非常識の考えが生まれます。土中に青い葉を見つけることがあるからです。
まあ書籍で学んだ知識にはこだわりませんので、面白い発見がたくさんあるのです。

上から見ると空き地の緑が茶色に代わってきています。
これがまた緑になると畑作業も成果があったということです。
同じ色でも意味合いは全く違うのです。
茶色で覆われだしている日本の社会も、なんとか新しい緑の社会に代えたいものです。

 

| | コメント (0)

2023/03/13

■以前話題になったSF「三体」を読みました

今年は中国の人たちのことを知りたいと思い、湯島で現代中国に関するサロンを継続開催することにしました。
それもあって、少しずつ中国に関する書籍も読もうと思い、まずは以前話題になったSF小説の『三体』を読みました。

1部の「沈黙の春」は、1967年の文化大革命期の中国から始まります。あまりにリアルな展開に、これがSFかと思ってしまいましたが、第2部「三体」になると、VRゲームの話も出てきて、だんだん訳が分からなくなってきました。面白い話題はふんだんに出てくるのですが、そのほとんどが無駄に浪費されている感じで、いつになっても期待している展開になりません。

読むのをやめようかと思ったのですが、念のため訳者あとがきを読んだら、そのうちに、山田正紀の「神狩り」やJ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」のようなワクワク感が出てくるはずと書いてあったので、改めて期待して読み続けました。
しかし、結局は「神狩り」や「星を継ぐもの」の時のようなワクワク感は味わえませんでした。

私の理解力や想像力の劣化のせいかもしれないと思い、SF評論家でもある岡和田さんにどう評価すればいいかを聞いてみたら、期待通りの的確なコメントをもらいました。
ちょっと安心しました。

それにしてもこんな作品がいまやヒューゴー賞を受賞するとは。
ちなみに私は1980年代までしかSFは読んでいませんが、いい時代にSFを読んでいたと改めて思いました。いまはもう現実科学や想像世界がSFを超えてしまっていて、SFのSが一体何なのかがわかりにくくなってしまっているような気がします。
まあこんなことを言うと、岡和田さんからはまた笑われそうですが。

『三体』はその後も3作品が出版されていますが、もう読むのはやめました。
でも久し振りに、「神狩り」を読んでみようかと思います。
果たして今の私にSFを読む感性と知性が残っているかですが。

| | コメント (0)

2023/02/03

■細い血管がつながりました?

今日は脳神経外科の定期検査です。
脳の細い血管が2本消えかかっていたのが数年前に確認され、以來、薬を飲みながら、定期的にいろいろと検査を受けています。
今日は半年ぶりのMRI検査でしたが、なんとこれまで画像では繋がっていなかった血管に細い繋がりがみえるようになっていました。医師も薬では回復しないのだがというのですが、間違いなく前回の状況とは違います。次回はもっと太くなっているでしょうか。病院に来るのが楽しみになりました。

つづいて膵臓炎のフォローで外科へ。
血液検査結果ではもう異状はなく、薬も不要とのこと。
まあそう思って、こちらの薬は自発的にほとんどやめていましたが、正解でした。

この病院の外科の医師は4人いますが、毎回違う医師が対応してくれ、しかも言うことが違います。だから病院を変えたかったのですが、幸か不幸か、もう来なくてもいいし、薬も飲まなくていいそうです。解放されたようでホッとしました。

胆嚢の摘出も個人判断とのことで、「お薦め」はありませんでした。患者の相談に乗るのが医師の仕事だと私は思っていたのですが、最近は事実を知らせるのが医師の仕事のようです。医師とは気楽な商売になったものだと思います。たぶん医師の仕事はまもなくAIに代わっていくでしょう。

いずれにしろ、2月に胆嚢摘出手術をしようかと思っていましたが、やめました。胆嚢の胆石を持ったまま天寿を全うする人もいると今日の医師は言いましたが、私の場合は、死ぬときが天寿を全うする時ですので、手術することもないかなと思いだしています。特に、この病院では手術はしたくありません。そういう場合、どうすればいいのか。かかりつけのお医者さんに頼んだのですが、最近は病院の紹介も難しいようです。

私は近くの慈恵医大の病院で精密検査と手術をしたいのですが、どうやって行けばいいかまだ分からないので、少し様子見することにしました。まあ、もう少し天寿は残っているでしょうから。

そんなわけで、もうしばらくみなさんのお世話になりそうです。

 

| | コメント (0)

2022/12/19

■箸技ゲームの普及に加担することにしました

西川口にある国際箸会館に行きました。

国際箸学会が箸技ゲームをこれから世界に広げていきたいというので、その思いに共感して、ささやかながら応援することにしたのです。
なにやら思いは伝わるようで、箸会館で話し合いをしているまさにその時、京都のNPO認知症予防ネットの原さんから箸技ゲームの注文の電話があり、それで私がここにいることを知った高林實結樹さん(みんなの認知症予防ゲームを日本中に広げた人です)から電話がありました。高林さんと電話で話すのは久しぶりですが、まったく以前と変わらないお元気な声でした。

ところが、そこで高林さんが箸ピーゲームをやっている時の呼吸が、自分がかつて学んでいた呼吸法と同じだという話をしてくれました。
「呼吸法」。今日も駅から箸会館まで、深呼吸歩きをしてきたのですが、「呼吸」と聞いたら聞き流すわけにはいきません。
年が明けたら京都に行ってもいいかなと思いました。
また新しい物語が生まれるかもしれません。

ついでに、国際箸学会会長の小宮山栄さんの会社のコミーにも立ち寄らせてもらいました。
小宮山さんは、今年、社長を退き、いまは次の世代にバトンタッチしています。
コミーはミラーの会社ですが、これまで開発した面白いミラーが展示されている部屋があります。私はそこを見るのが好きなのですが、そこに「自分と握手できるミラー」があります。久しぶりに、そこで自分と握手してきました。写真でそれがわかるでしょうか。

Dsc_0064000

コミーには面白い展示がたくさんありますが、どこまで公開していいかわからないので写真を載せるのは差し控えます。

訪問した時に、社員みんなで箸技ゲームを行う時間と重なりましたので、私も久しぶりに小宮山さんと一緒にやってみました。今日は、箸ぴーゲームと箸の上にピーナツを乗せる直立不動ゲームでした。右手でのゲームは時々やっていましたが、左手は久しぶりでしたので、予想以上に苦戦しました。直立不動ゲームはたった2つだけ。

社員はみんな社内ネットで画面をシェアしながらゲームを楽しんでいるのです。
そういう風景を見ていると、社内コミュニケーション支援や気分転換とか、あるいはもっと創造的な面でも、企業でもいろんな使い方がありそうです。

国際箸学会に出向したスタッフが中心になって、いま箸技ゲーム(ゲームを遊ぶとともにゲームを創案するゲームもあります)を拡げるべく活動しています。
湯島でも毎月、箸技サロンもやっています。

ぜひ一度、試しに遊びにお越しください。
病みつきになるかもしれません。あるいは、いつもとは違うところが刺激されて、人生が変わりだすかもしれません。残念ながら、保証はできませんが。

 

| | コメント (0)

2022/09/09

■ドラマ「始皇帝」

昨日、中国ドラマ「三国志」について書いたのですが、思っていた以上に観ている人が多く、コメントもいただきました。なかには、三国志をテーマにサロンをやったらという提案までありました。
それで、ついでに同時に観ていた「始皇帝」についても一言。
これも78話という長編でした。

制作に14年かかったそうですが、ドラマとしては無声時代の映画を観ているようでかなり前の制作作品だと思います。「三国志」と比べると時代の変化を強く感じますが、内容を通底する精神(文化)は同じです。
忠孝思想が強く流れています。
中国が共産主義や社会主義国家などとはとても思えません。

私の関心事は、なぜ始皇帝は焚書坑儒というような「蛮行」を行ったのか。
それと彼の出生の秘密や名前だけしか知らなかった李斯のことを知りたかったのが、観始めた理由です。
焚書坑儒に関しては、納得できました。
異文化を統合して平和を実現するためには、当時の状況ではまだ多様性は許されなかったのです。
いわゆるゼロベースからのグレートリセットのためには、多様な知識や文字は邪魔になったわけです。言葉自体が未熟だった当時の状況では、それは合理的だったのだと思います。
しかし、20世紀の中国の文化大革命やカンボジヤでの蛮行は、合理的とは言えないでしょう。

また、「三国志」でもそうですが、重要な会話は、決められた表現が使われています。古書古伝に残された「言葉」を子どもの頃から学んで、それを駆使して会話が成り立つのです。つまり、当時の言葉は、個人の言葉というよりも「神の言葉」だったような気がします。これも改めて確信できました。
これは、湯島での万葉集サロンのテーマのひとつでもありますが、日本でも同じことが起こっていたのです。教養とは、神の言葉、古人の言葉を記憶することだったわけです。

知のあり方がいまとは全く違っていたようにも思いますが、よく考えてみると、いまもまだ同じかもしれません。
昨日の湯島の集まりでも、ある人が、言葉の数(ヴォキャブラリー)が少ないと話についていけないことがあるというようなことを指摘していました。
しかし、言葉を媒介とした知には限界がある。いやむしろ知を阻害するのではないかと私は思っていますが、しかしその一方で、言葉は知らない世界への入り口になりえるとも思っています。

「始皇帝」から話が離れていますね。
中国ドラマの「始皇帝」は史実を丁寧に追ったもののようですが、悪名高い呂不韋に関してはかなり好意的に描かれていました。
しかし始皇帝が呂不韋の子どもかもしれないということはかなり明確に示唆されていました。

一説では呂不韋はユダヤ系の人だと言われていて、もしそうなら始皇帝にはユダヤ人の血が入っていますが、さらに秦が滅びた後、秦の王家は華南に移り、朝鮮半島を経て、日本列島に来たと言われていますから、日本ユダヤ同祖説につながっていきます。
古代日本の秦一族はユダヤ系かもしれませんし、私が好感を持っている天武天皇は新羅系(ユダヤ系?)とも言われていますので、もしかしたらユダヤ系かもしれません。

また本題から外れました。
「始皇帝」では、統一前の七国それぞれを支配する人たちは、婚姻関係でみんなつながっています。ヨーロッパの近世と同じです。そこでは支配層と生活層が分離していたわけです。国家は、生活者にとっては迷惑な制度だったと思います。
昨今のグローバルな世界は、1%の富裕層と99%の生活者層とに分かれだしていますが、まあそのモデルが秦の時代にあったわけです。

もう一つ現代と通ずると感じたのは、李斯や韓非のような「参謀」や「知識人」が大きな力を持っていたことです。
これは三国志における司馬懿や諸葛孔明にもつながっていくわけですが、参謀の役割はたぶんいまや終わったように思います。これからその役割を果たすのはAIでしょうが、AIを支えるのは生活者たちのビッグデータです。
つまり集団(社会・国家)の統治の視座が全く変わってしまっているのです。
もはや李斯や司馬懿の時代は終わったのです。

しかし、参謀が地位を得たはじまりの頃の話として、「始皇帝」は興味深かったです。
同時に、最近の日本の政治や経済の世界で、「参謀」や「人脈利用者」が私腹を肥えさせているのが、いささか悲しいです。まだそんなことをやっているのか、と。

このドラマにはたくさんの人が出てきますが、私にはほとんど名前も知らない人ばかりでした。しかし78話も見てしまうと、無機質だった秦の話が私の中では生き生きとしてきました。始皇帝はやはり好きになれませんでしたが。

今度はアニメ「キングダム」を見てみようと思います。
これも長編ですので、大変そうですが。

| | コメント (0)

2022/05/09

■歴史は謀で成っている

最近、2つの中国のテレビドラマを観ています。
「三国志 司馬懿 軍師連盟」と「始皇帝 天下統一」です。

https://www.hulu.jp/the-advisors-alliance/?cmp=10902&waad=rkcgO9Bw&gclid=Cj0KCQjw1N2TBhCOARIsAGVHQc5SxyEV5b0gRfidYkX3pkdIOhtvOFOCDdPWEZWu

https://www.wowow.co.jp/detail/173882

いずれも最初は司馬懿と李斯に興味があっただけなのですが、物語自体に興味を持つようになってきました。
三国志は86話、始皇帝は78話もあるので、両方ともまだ先が長いのですが、面白くなってきました。

「始皇帝」は、焚書の意味がわかったことで、始皇帝の評価が一変しました。
「三国志」は、毎回教えられることが少なくありません。
「陰謀」(いい意味での謀ですが)の大切さを改めて教えられています。
特に今日は、荀彧と崔琰の「陰謀」に感動しました。
私がこれまで知っていた話とは全く違っているのでいつも新鮮なのですが、今日はふたりの意図を読み解けなかった自分にがっかりしました。いずれも2人に対する先入観のせいかもしれません。

「陰謀論」などと言って「陰謀」を揶揄する現代の中途半端な知識人の愚かさや、自らの命を捨てての謀をしなくなったリーダーの多さにいつもがっかりしているのですが、そうした気分を払しょくさせてくれるのも、今回の「三国志」の魅力の一つです。

今日の「三国志」で、人の真実は歴史には伝わらないと誰かが言っていました。
たしかにそうなのでしょう。
これからは、プーチンやゼレンスキーを軽々に非難するのは自重しようと思います。

「始皇帝 天下統一」はお薦めしませんが(筋書きがあまりに安直)、「三国志 司馬懿 軍師連盟」はお薦めのドラマです。学ぶことがたくさんあります。長いので、よほどお暇な方向きではありますが。

| | コメント (0)

2022/02/28

■私憤と公憤

昨日と今日、私の精神状態はあまりよくありません。
いや、あまりどころではなく、怒りを抑えるのが難しいほどです。

昨日は湯島のサロンに関わるちょっとした「事件」が起こりました。
昨日湯島で行った集まりにある人が参加することを知った人(その人もサロンに参加することのある人です)が、勝手に湯島の部屋に入って来たのです。以前からその人の言動には不快感を持っていたのですが、昨日はさすがに怒りを感じました。その人のおかげで、その集まりもいささかおかしな雰囲気で始まることになりました。
さすがに私も、その人に向かって、出て行ってよといいましたが、後になって、怒りの感情が強まってきました。その人に責められた友人のことを思うと、ますます怒りを感じます。他の人には真似できないほど、誠心誠意、善意の活動をしている人なのです。

しかし、それはまあ私の「私憤」でしかありません。私の料簡が狭いのかもしれません。
ところが今日は、「公憤」を感じました。
私が住んでいる我孫子市の「公務」に関してあることを耳にしました。
私が実際に見聞したことではなく誤報かもしれませんので、内容は書けませんが、私のこれまでの体験から考えて、私には事実と思えるような話です。
話を聞いた時には、さほどではなかったのですが、時間が経つほどに怒りが湧いてきました。これは「公憤」といってもいいでしょう。

ウクライナの状況にも「憤慨」しますが、どうも最近、怒りを感ずることが少なくありません。長年生きてきて、大概のことは許せるようにはなっているのですが、この2日間、怒りにつつまれてしまっています。
気を静めるために、今日は7杯もコーヒーを飲んだのですが、気が鎮まりません。
困ったものです。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧