カテゴリー「無駄話」の記事

2009/11/06

■がんばっている人がいたら応援しないといけません

最近また時評が書けなくなりました。
マスコミの取り上げる話題は瑣末な話ばかりです。
国会の議論も、どうしようもないほどに瑣末です。
自民党の若手議員の質問を見ていると哀しくなります。
若さの特質である「志」が全く感じられません。
そうした瑣末な話題に一喜一憂し、時評しているなどというのは、さらに瑣末なことです。
そんな瑣末なことをしているくらいなら、何もしないほうがいいのではないかと思いたくなります。

昨日も夜まであるNPOの話し合いがありました。
帰りは、その事務局長と一緒だったのですが、本当はこんなことをやりたくないし、Fさん(事務局長)にも会いたくなんかないんだと、話してしまいました。
そのNPOの立ち上げは、私もコアメンバーで、その事務局長をお願いしたのも私なのですから、Fさんがムッとするような発言です。
事実、そういう話をするといつもFさんはムッとします。
しかし事実なのだから仕方がありません。
できるならば、社会のことなど関わることなく、空でも見ていたいです。

こんな活動をしようとしまいと、朝になれば太陽は上がってくるし、夕方には沈んでいく。
時期がきたら人は死んでいく。
今やっていることは、余計なことなのではないか。
まあ、時々そんな気になるのです。

今日、あるNPOのメンバーと大企業の人たちとの出会いの場をつくりました。
まあ、上記の流れでいえば、瑣末な、しかも余計なお世話かもしれません。
しかし、そのNPOの代表の人がこんなようなことをいいました。
仲間にがんばっている人がいると、その人を応援するのが私たちのやり方なんです。
その方は、私も尊敬する高名な方です。
その言葉を聞いて、ハッとしました。

私もそういう生き方をすると10年前に決めたはずなのに、歳のせいか、最近は楽をしようとしがちです。
瑣末なことかもしれませんが、やはり空だけではなく、しっかりと現実をみるようにしましょう。
明日からまた時評を毎日書きます。
たぶん。。

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2009/10/21

■国家が破産しないのはなぜなのでしょうか

ちょっと疲れたので、無意味な無駄話です。はい。

予算編成に関連して、景気対策か財政の健全化という問題がまた浮上しています。
私自身は将来世代の資源を使い込むような財政赤字制作は反対ですし、借金をしてまで楽をしようなどと思わない生き方をしていますので、赤字国債を発行する発想には賛成できません。

しかし、景気対策にも賛成できません。
このブログの経済時評の基調には、景気対策発想から抜け出ようという、経済に対する私の考えがあることを読んでくださっている人には伝わっているかと思います。
お金で測定する景気には全く興味がありません。

一応、そういうことを前提にして読んでもらえればうれしいのですが、最近、財政赤字は何で悪いのだろうか、わからなくなってきました。

財政赤字と景気対策とは対立するものでないことはいうまでもありません。
企業で考えれば簡単にわかります。
業績が停滞していた企業が、銀行から巨額な資金を借金して、業績を建て直して、それによって借金を返済していくことは、よくある話です。
赤字埋め合わせの国債ではなく、もっと積極的な国債を出したらどうでしょうか。
銀行券をどんどん印刷して、国民にばらまいたらどうでしょうか。
1万円程度の給付金ではなく、国民一人当たり3億円ずつ配ったらどうなるのでしょうか。
要するに国民全員が当たる3億円ジャンボを発行するわけです。
とんでもないインフレになるのでしょうか。
でもその前に、みんなとても幸せでうれしい気分を味わえるでしょう。
3億円も当たったら、もうお金などほしいと思わずに、ついつい隣人に大盤振る舞いをしたくなるでしょう。
意外とインフレにならないのではないか。
ただお金に対する信仰が消えるだけかもしれません。
でもまあ、とんでもないハイパーインフレの悪夢で混乱するかもしれませんね。

代わりに全ての借金を返済無用にしたらどうでしょうか。
亀井さんの案どころではなく、全ての借金を返さなくても良くするのです。
国家の赤字も自治体の赤字も帳消しです。
だれがこまるのでしょうか。
銀行やローン会社が困りますか。
でもまあそれらはこれまで異常に儲けてきたのですからもういいでしょう。
それでもそこでまじめに働いている人はどうなるのか。
やはりこの案もだめそうですね。

しかし私は不思議に思うのです。
これほど巨額な赤字を生み出しながら、国家はなぜ破産しないのか。
そいえば、巨額な借金をしたカエサルはローマを豊かにしたのです。
なぜでしょうか。
お金の活かし方を、つまり使い方を、私たちは間違っているのではないか。
最近、そんな気がしてならないのです。

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2009/10/15

■もっと前向きの捉え方はできないのかという反省

新聞を読んでいると、新政権に関連して、相変わらず小沢さんや鳩山さんの個人的なあら捜し記事が多くて、いやになります。
もう少し新政権の取り組みを支援するような記事は書けないものかと思いますが、どうも足を引っ張る記事が多くて、気分が沈みます。

と思って、私のこの時評のことを間がたら、この時評もどうも否定的な内容が多いですね。
結局、人間は自分がやっていることを他社に反映して、批判しているのかもしれません。
そう思うと、ますます気が沈みます。

そういえば、以前も読者の方から、もう少し明るい内容にできないものかといわれたことがあります。
どうも私の性格や心境がくらいのかもしれません。
困ったものです。

さて元気が出るようなものはないでしょうか。
そう思って新聞を読んだりネットニュースを探したりしましたが、読めば読むほど、調べれば調べるほど、明るい気分にはなれません。

それで、こんど新しいカテゴリーとして「元気時評」を設けることにしました。
その第1号を書ける日が早くきてほしいです。

しかし「元気が出るような明るいニュース」を探していれば、きっと見つかるでしょう。
みなさんも、なにか元気が出そうな話があったら教えてください。

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2009/10/08

■忙しいと暇になれる

最近、時評が書けていません。
心に余裕がないと、時評も書けないことがわかってきました。
最強の支配原理は、忙しい状況をつくればいいことがよくわかります。
昨今の日本は、いたるところで、忙しさが蔓延していますが、それはこうしたことと無縁ではないでしょう。

最近、私自身もかなり忙しくなっているのです。
恥ずかしい限りです。
忙しさを口にするのは恥ずかしいことです。
しかし、忙しい人は、「心を失っています」から恥ずかしいなどとは思わないようです。
私にはまだ恥ずかしいという気が残っていますが。

忙しいとどうなるか。
なにか気になることがあっても、まあいいかということになります。
なにしろ忙しいのですから、考えている暇はありません。
そうして無関心の世界が増えていきます。
そして、いろんなことが気にならなくなります。
余計なことを考えなくてすみますので、忙しさも緩和されます。
なにしろただ目の前の与えられたことだけをやっていればいいのですから。
自分であれこれ考える必要はありません。
つまり「忙しい」と「暇」になれるのです。
「忙しいと暇になる」
これは目からうろこが落ちるほどの大発見です。
そう思いませんか。

要するに、忙しい人はみんな暇だということです。
こんなことを書いているお前はよほど暇だなと怒られそうですが、
それがまさにこの大発見が正しいということなのです。

久しぶりの時評がこれでは困ったものです。
でもまあ、この数日、暇だった、いや忙しかったものですから。
読んでいるみなさんもきっと暇ですよね、いや忙しいですよね。
なにしろ忙しい時代ですから。

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2009/09/27

■ソクラテスは毒を飲みたかったのです

今日、地元の友人たちの集まりからの帰りに歩いていて、突然思いついたのですが、ソクラテスが逃げることなく「悪法もまた法だ」と言って、毒杯を飲んで死を選んだ理由がわかりました。
これまでいろいろと考えたことはあるのですが、なかなか理解できませんでした。
その気になれば逃げられたのに、なぜ自ら死を選んだのか。
ソクラテスの警告に関して、書いたことがありますが、その時も実は「逃げるべきだったのではないか」と思っていました。
なぜソクラテスは逃げなかったのか。
中学校以来のその謎が解けたのです。

理由はただ「飲みたかった」のです。
難しく考えることはない、ただ飲みたかったのです。
なぜか、その気分が急にわかったのです。
もし私が同じ立場だったら、やはり飲むだろうなと思いました。
3年前であれば、飲まずに逃げましたが。

50年考え続けてきた謎が解けたのですから、私には大発見です。
まじめに読んでくださっている人には怒られそうですが、私もとても真面目に書いています。
人生が変わってしまうほどの大発見なのです。私にとっては。

ソクラテスの毒杯問題だけではありません。
最近、子どもの頃からの難問が次々と解け出したのです。
小気味よいほどに社会が見えてきたのです。
少し危ないのではないかと思うほどです。

今日、友人の武田さんから電話がありました。
武田さんは私の「脳機能」をけっこう高く評価してくれています。
ところが最近、佐藤さんの脳はどこか配線がおかしいのではないかと言い出しました。
たしかにおかしいでしょう。
論理が大きく飛躍してしまっていて説得力がないのでしょう。
しかし、見えてしまうと論理など瑣末なのです。
なにしろ「見える」のですから。

世界が見えてくると、「もういいか」という気になってきます。
なにしろ見えてしまうのですから、もういいかとしか言いようがない。
人は、こうして毒を飲む準備を進めていくのだと気づいたのです。

ソクラテスは幸せだったに違いありません。
最近、自らの不幸さを嘆きたくなります。
わけのわからないものになってしまいましたが、まあそのうちきっと、皆さんも「見えてきます」。
もう見えている人もいるかもしれませんが。

明日はもう少しまともな記事を書きます。
見えるものに目をつぶりながら。

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2009/09/26

■新しい頼母子講「みんなの貯金箱」の提案

頼母子講の話の続きです。
頼母子講がダメになりそうであれば、ますますやる価値があります。

たとえばこんなのはどうでしょうか。
毎月1万円ずつを2年間出資する仲間を募ります。
24人集まると毎月24万円集まります。
出資した人は2年間に1回だけ、そのお金を購入する権利を持ちます。
そして毎月集まった24万円の買い手を募ります。
おかしな言い方ですが、24万円をいくらで買うかの入札をします。
一番安い価格で購入する申し出をした人が購入します。
但し、一度、購入した人は以後購入権を履行できません。
つまり、2年間で24万円出資した分を2年間に1回だけ取り戻せるというわけです。

急いでまとまったお金が欲しい人は、1万円の出資で24万円近いお金を入手できます。
但しその後、毎月、1万円ずつ返却することになります。
24万円を買う時の対価は24万円以下になりますが、その差額はいわゆる手形割引のようなものです。
もし買う人がいない時はどうするか。
これはさまざまな仕組みが考えられます。
2年後の満期時にはどうするか。
これもいろいろ考えられるでしょう。

こんな仕組みをぜひ実現したいと思っています。
興味のある方はご連絡ください。
信頼関係がないといささか不安がありますので、発足は1年後です。
1年間、付き合えば信頼関係は育つでしょうから。
毎月の出資額や参加人員数によって、金額規模は変わります。
困った時の、みんなの貯金箱のような話です。
どうですか、やってみませんか。

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2009/09/19

■オードリーの「春日」のファンです

オードリーというお笑いコンビがありますが、私はその一人の春日のファンです。私はあんまりお笑いコンビが好きではないのですが、春日は最初見た時からなんとなくホッとする感じになったのです。
その理由がわかったのは、しばらくたってからです。
春日さんは生まれてこの方、怒ったことがないというのです。
怒りやすい私としては、驚嘆しますが、たぶん「怒ったことのない人生」のなかで育ってきたオーラが、私を引き寄せたのでしょう。

もうひとり、おそらく怒ったことがない人がいることに気づきました。
娘の友人のSMさんです。
この人も怒ったことがないようです。
娘によれば、あまりに「天然」なので怒るということを知らないのだそうです。
しかし、これまた娘によれば、だから周りの人は大変で怒りたくなってしまうのだそうです。
もしそれが事実なら、いうまでもなく怒りたくなる周りの人が悪いです。

天然であるかどうかはともかく、「怒ること」を知らない人というのは凄いです。
そういう人ばかりだと、世界は平和になるでしょうね。
私もこれまで何回か、「怒るのをやめよう」と決意したことがあります。
しかしせいぜい1週間しか続きませんでした。
人間ができていないというか、自信がないというか、ともかく思うようにならないと怒ってしまうのです。
その理由は、後で考えると実に瑣末なことです。
他の人がそんなことで怒っていることをしったら何とまあ未熟な人だと笑いたくなるようなことが原因で怒ってしまっているのです。
春日さんをみて、学ばなければいけません。

そういえば、鳩山新首相ももしかしたら「怒る」ことをあまり知らないのかもしれませんね。
そんなオーラを感じます。
もしそうであれば、私たちはいい人を首相に選んだと思います。

蛇足ですが、オードリーの芸は私にはあんまり面白くありません。
ただ春日から出ているオーラが好きなのです。
ああいう人が近くにいると元気が出るでしょうね。
もっとも娘は、元気が吸い取られているようですが。
テレビで見ているのがいいのかもしれません。

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2009/09/07

■庭の沢蟹

このブログに以前何回か沢蟹のことを書いた関係で、今でも「沢蟹」の検索ワードでアクセスしてくれる人がいす。
しかしおそらくそうした人たちに役立つ情報はこれまで全くありませんでした。
なぜなら池に放した途端に、蟹はいなくなるからです。
念のために言えば、我が家の庭の池はとても小さいのですが、周辺はそれなりの草薮になっているので、探しようがないのです。

先日、敦賀の姉夫婦が法事で来てくれたのですが、蟹を持ってきてくれました。
敦賀は越前ガニの産地で、時々、送ってくれるのですが、私は越前ガニよりも沢蟹の方が格段にうれしいのです。
そんなわけで、今回は6匹の蟹が先日、庭の池に放されました。
これまでは未練がましく、水槽に入れてしばらく室内で飼っていましたが、今回はすぐに池に放しました。

その池の通路にある石の下に1匹の蟹が棲みつきだしました。
棲みにくそうなところなので、場所を変えてやりたいのですが、以前、転居させたらどこかに行ってしまったことがあるので、今回はそのままにしています。
さてうまくそこに棲みついてくれるでしょうか。
その場所は、わずかばかり水がたまっている石の下です。
3日もたつのに場所を変えずにいます。

池とその周りには、蟹が身を隠すうとろはたくさんあります。
餌をどうするかが問題ですが、池には金魚やメダカがいますので、まあ小さなビオトープとして循環構造はそれなりにできていると思います。
時々、蟹のえさとして売っていたものを蟹が来そうなところに置いていますが、食べた跡はありません。
ともかく自然がいいような気がしてきました。

他の5匹はその後、再開していませんが、また出会ったら書くようにします。
沢蟹の生態が、今回は少し学べるかもしれません。

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2009/08/13

■気候が文化をつくるというのは真実ですね

すごい湿度でした。
クーラーのない私の仕事部屋の湿度計は95%を超えていました。
除湿機がほしいです。
とても何かをしようという気にはなりません。
それにこのところ、どうも疲労が蓄積です。

お盆で女房は戻ってきているのですが、これでは彼岸に帰りたくなっているかもしれません。

いろいろと時評したい話題は多いのですが、それどころではありません。
気候が文化をつくるというのは真実ですね。
快適で、季節の変化のある日本で生活する立場で世界を見ていては間違うかもしれません。
そう思い続けた1日でした。

今日は湿度に負けてしまいました。

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2009/08/09

■休日の都心での白昼夢

今日は日曜日です。
午後からNPO関係の打ち合わせがあるので、湯島のオフィスに出てきました。
地下鉄の駅を降りて表に出ると人の気配が全くなく、いつもとは違った風景です。
「アイ アム レジェンド」という、地球に最後に生き残った男の映画がありましたが、まさにあんな風景です。
休日にオフィスに出てくることは時々なのですが、今日は暑いのと夏休みなのでとりわけ人気がないのかもしれません。

とても不思議な気分です。
大通りに自動車も通っていないのです。
もちろんいつもは開いている店も閉じています。
こんな雰囲気は初めてです。

歩いているうちに、人が向こうからやってきました。
いつもは閉まっているシャッターの閉まったお店までから、たぶんお店をやっていないような高齢な方まで出てきました。
この廃屋にまだ人が住んでいたのかと思いました。
しかも事務所に近づいたらいろんな人に出会いました。
ちょっと安堵しましたが、少し残念でした。

私が地球最後の男になれたら、いろんなことができたのになと思ったわけです。
やりたいことは、それなりにあるのです。はい。

まあ誰にも合わなかったのはたぶん1分ほどでしょうが、私にはとても新鮮な、そして長い時間でした。
まあ、しかし、それだけの話です。
読んでいただくほどのことではないのですが、暇にあかして書いてしまいました。
ちょっと早目にオフィスに着いてしまったものですから。
そろそろ集まりのメンバーがやってきそうな時間になりました。
まだ誰も来ません。遅いですね。
そういえば、今もオフィスの外の音がしませんね。
やはり地球は滅んでしまったのでしょうか。
そういえば、オフィスのビルに入る時にすれ違った2人づれは見たこともなく、宇宙人とも思える風貌でした。
いやはや。

疲れているので、冷蔵庫にあるリポビタンゴールドを飲むことにします。
暑さのせいでちょっと思考の配線がずれてしまっているのかもしれません。
困ったものです。

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2009/07/30

■人はなぜ集まるのか

昨日、支え合いをテーマにして続けているサロンをやりました。
ある程度のテーマを決めて、予め頼んだ人に最初に話題提供をしてもらいますが、あとは自由に話し合うだけの、気楽なサロンです。
会費も500円もとられてしまいます。
まあ、払える人だけでいいのですが、忘れてしまう人は別にして、みんな払ってくれます。
なかにはビールまで持ってくる人もいます。
昨日は15人も集まりました。

私はサロンが好きですから、この20年、こういう集まりをいろいろやっていますが、時々、ふと思うことがあります。
みんなどうして集まってくるのだろうか、と。

まあ、こんなことを言うと、実も蓋もなくなってしまいますが、これが私の昔からの疑問です。
一時期、サロンをやめていた時期がありますが、いろんな人から再開の希望が伝わってきました。
なぜ人は集まりたがるのか、いや、集まるのか。

ホスト役の私も、時々、思うことがあります。
なんでこんなサロンをわざわざ開くのだろうか、と。
準備もそれなりにしないといけませんし、一応、ホスト役だと気遣いもあります。
果たしてどういう意味があるのかなと思うこともあります。
もうやりたくないなと思うこともしばしばですが、気がついてみると、またサロンを呼びかけているのです。
意味もなく集まって、意味もなく話すのが、もしかしたら人の習性かもしれません。

今日はこれから福井まで、まあサロンの延長ではないかとも思われる集まりに出かけます。
しかも、夜行の自動車で行くのです。
この歳で夜行の自動車は疲れるのでやめたほうがいいとみんなから言われましたが、明日、新幹線で一人で行くよりは、同行者がいるほうが楽しいかなと、ついつい思ってしまったのです。
しかし、同行者は、このブログの読者であれば、知る人ぞ知るミスターdaxです。
彼の運転で行くのです。
福井に辿りつくかどうか心配です。
天気もあまりよくありません。

私は自分の運転でない自動車の長旅は好きではありません。
自分の生命を預けることになるからです。
私自身、運転をやめてから10年以上たちますが、自分の生命を預ける他者の運転の自動車の長旅は好きではありません。
例外は女房と娘で、彼らであれば、自分の生命を預けても何の不安はありません。
今回は、生まれて初めての例外です。
しかし、初めて生命を預けるのがミスターdaxとは、これまた奇妙な話です。
付き合いも長いわけではありません。
なぜミスターdaxの誘いを受けたのか、自分でもわかりません。
わかっているのは、結局は、1人より2人、2人より大勢のほうが楽しい、ということだけです。
ミスターdaxとの旅は楽しいでしょうか。
もしかしたら、これでこのブログは最後かもしれません。
長いこと読んでいただき、ありがとうございました。
このブログが今日で終わっていたら、それはミスターdaxの責任です。
いやはや遺書めいてきましたね。
困ったものです。
そろそろ出かけます。

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2009/07/23

■人の悪口を言う人に良い人はいない

今回のタイトルは私の生活基準のひとつです。
この奥には、もう一つ大きな基準があります。
それは「人は自分が持っているものしか気がつかない」というものです。
ここから出てくる、いくつかの系(下位命題)があるのですが、タイトルはその一つです。
同じ類のものに、「他者に対する批判はほとんどが自分に対する批判としても当てはまる」というのがあります。
だから、誰かの批判をしている人がいたら、それはその人(批判している本人)のことだと思うとだいたいに納得できるのです。
これらは、私が子どもの頃から感じていたもので、そのおかげで私は誰でも好きになれるようになったように思います。
どんな人にも、自分を見つけられるからです。

とても辛くて残念なのですが、この私の基準からすると、このブログで他者を結構口汚くののしっているのは、実は私自身に対するものということになります。
つまり、私もまた「良い人」ではないということであり、無責任で無道徳で、厚顔無恥で強欲で、無能で犯罪者で、・・・・いやはや嫌になりますね。
しかし、私の60年を超える人生体験からも、これは否定できない事実なのです。

とまあ、断った上で、今日はまた人の悪口を書きます。

日本の政界の話です。
どうしてみんな、こうも悪口ばかり言い合うのでしょうか。
謙信ではないですが、敵に塩を送るような政治家はいないのでしょうか。
私自身が、悪口を言っているのですから、こんなことを言うのはおかしいのですが、成熟社会における政治では「対立」ではなく「相互支援の共創」が望ましいです。
そろそろ「対立の政治」の概念から解放されてもいいような気がします。

日本人の文化から言っても、たぶん敵をけなすのではなく、たたえたほうが共感を得るかもしれませんし、第一、友愛を標榜しているのであれば、相手を許し、応援して当然です。
自信のある人や無私の人は悪口など言わないでしょう。
私がこのブログで悪口を言うのは、自らに自信がないのと私欲が強いからでしょう。
最近つくづくそう思います。

というわけで、このブログではこれからはできるだけ人の悪口を言わないようにしようと決意しました。
さて本当にできるでしょうか。
こえはたぶん「表現力」の問題です。
内容のない相手を褒めることは、最高の悪口に通じますので。

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2009/07/07

■首相への背任罪告訴はできないものでしょうか

麻生首相への背任罪告訴はできないものでしょうか。
小泉元首相も国民の財産(有形無形含めて)に大きな損失を与えたという点で告訴できるものなら告訴したいですが、まあ彼を支持したのもまた多くの国民ですから、それは難しいでしょうが、最近の麻生首相の首相権限の乱用は目にあまります。
彼のおかげでどれだけの財産が浪費され壊されたことでしょうか。
告訴したい気分です。

ナチスの高官も戦前の日本政府の高官も、戦後、処罰されました。
なぜ彼らは処罰され(死刑にもなっています)、麻生首相は裁かれないのか、納得できませんが、現職だからなのでしょうか。
韓国のように、人気終了後、告訴される仕組みは日本にはあるのでしょうか。

国王の処刑でも書きましたが、処刑できない支配者をつくってしまう仕組みは、どう考えても主権在民とはいえません。

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2009/03/18

■アサリに共棲しているカニ

暖かくなりました。
昨年、わが家の庭に話した沢蟹が年を越して土の中から出てくるのではないかと楽しみにしています。
子どものカニがカマキリの子どもたちのように山のように溢れ出てくるかもしれません。

先週、福岡の蔵田さんが春を告げる恒例のアサリを送ってきてくれました。
ご自分で海から採ってきて、毎年、送ってくれるのです。
今年のアサリは大きくて立派でした。
そのアサリの中に、体長2~3ミリの小さな蟹が含まれていました。
まだ生きているのを3匹拾い上げて、飼ってみることにしました。
5日ほど立ちますが、みんな元気そうです。
今年の秋になれば、大きくなって食べられるかもしれないと思って、飼い方をネットで調べてみました。
どうもこの蟹は、アサリとの共棲蟹のようで、大きくはならないようです。
食べられません。ホッとしました。

私は大きなカニは好きではありませんが、小さいカニは大好きなのです。
前世がカニだったのかも知れません。
そういえば、カニのように少しひねくれていますし。

カニとアサリを育てようと思います。
うまく育つといいのですが。


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2008/12/18

■疲れる毎日

今週はどうもハードな話との出会いが多く、気が沈みがちです。
ブログもなかなか書けずにいます。

久しく会っていない友人を訪問しました。
経営が大変だというのです。
オフィスのあるビルの前に若い人が立っていて、ビルに入ろうとしている私を観察しているような雰囲気です。
あとで聞いたら、友人のオフィスの隣の会社の再建取立ての人なのだそうです。
隣の会社の社長は行方不明で、オフィスにはもう誰もいないようですが。
そうした人に会うのは初めてなのですが、一見する限り、その人も普通のビジネスマンです。
きっとその人の会社も、苦境に立たされているのでしょう。

彼の会社も仕事が急減し、今の社員の人件費をとても負担できなくなっているようです。
でも小さな会社なので、社員の顔を毎日見ていますので、とても解雇などとはいい出せないのだそうです。
大企業の経営者がいとも簡単に大量解雇発表するのとは大違いです。

そうかと思うと行政の景気浮揚策での無駄遣いの話もいろいろと入ってきます。
こんなにもらっていいのかと思うと言っている友人がいますが(まあ、額は知れていますが、きっと誰かがもっと大きな利益を得ているのでしょう)、別の友人に聴いたら、どうも全国的な話のようです。
景気浮揚のためのお金の使い方の仕組みがあまり効果的でないような気がします。

私が取り組んでいるコムケア活動の仲間の分野でもいろいろとあります。
孤独死や自殺の問題もあります。
DV問題もあれば、メンタルヘルスの問題もあります。
活動を再開したら、急にドッと問題が流れ込んできましたが、たぶんそれは時代状況のせいなのでしょう。
どの問題に、どこまで関わるか、悩ましい話です。
それに私自身にまつわる問題もそれなりにあるのです。

最近、ちょっと落ち込んでしまい、時評を書く気力が萎えています。
元気づけてくれる伴侶がいないので、なかなか元気が出てきません。
困ったものです。

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2008/10/16

■沢蟹の話3

久しぶりに沢蟹の話です。
沢蟹関連はむしろCWSコモンズのほうの話題なのですが、沢蟹という検索ワードでこのブログにアクセスしている人が毎日数名います。
それでここにも書く気になりました。

ホームページの方で報告しているのですが、9月に滋賀の石道寺から、また8匹の沢蟹を連れてきました。
今その沢蟹を庭の池の周辺に放しています。
2匹は勝手に水槽から抜け出して、庭に脱出してしまったのですが。
わが家の庭の池は小さいのですが、周辺に草木があり、周辺には蟹にとっての隠れ場所がたくさんありますから、放した数分後にはみんな姿が見えなくなりました。
毎日、暇があれば探していますが、見つかりません。
ところが先日、娘が見つけたのです。
なんと池の中に棲んでいました。
私は池の中だと呼吸が続かないのではないかと勘違いして、池の周辺に水路を作ったりしていたのですが、蟹たちにとっては水中のほうが居心地がよかったのです。
考えてみると水槽の水の中に蟹たちは飼われていましたね。
とんでもない勘違いでした。

餌は蟹の餌を買ってきました。
水槽での観察によれば、それよりも蟹たちはご飯や小魚のクズが好きなようでした。

池の周りを半分囲いましたが、半分はオープンにしています。
蟹の棲息習慣に関する知識が無いのですが、完全に閉じ込めるのはかわいそうです。
隣の奥さんから逃げませんかと訊かれましたので、なついているから大丈夫ですと応えましたが、全く自信はありません。
なぜなら今まで放してから姿を見せた蟹はいないからです。

水槽で飼えばいいと娘は言いますが、やはり蟹にも自由が必要です。
わが家の小さな庭のどこかに沢蟹が棲んでいると思うだけでわくわくします。
そしていつか、「あれ、こんなところを蟹が歩いている」と来客を感動させたいわけです。
水槽では誰も感動しません。
それに私も水槽の蟹をみるよりも、姿は見えないけれど、どこかに蟹がいると思うほうが気持ちが豊かになります。
最近、わが家の狭い庭や小さな池が、とても自然豊かな素晴らしいものに思えています。


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2008/07/31

■ムペンバ効果

今日の朝日新聞に、『「湯は水より早く凍る」現象議論沸く』という記事が出ていました。
記事の一部を引用させてもらいます。

水よりもお湯の方が早く凍ることがある――。NHKの番組「ためしてガッテン」で紹介された不思議な現象が話題になっている。科学的には未解明で、物理学者の大槻義彦・早稲田大名誉教授がブログで「実に馬鹿馬鹿もの」と批判している一方、雪氷学者らは「条件次第では起きる。まじめに研究しては」という。
7月9日放送の「今年も猛暑!お宅の『氷』激ウマ大革命」。「常識逆転!お湯は水より早く凍る」として、37.2度と66.5度の水を60グラムずつ零下25度の冷凍庫に入れ、高温の方が早く凍ったという実験などを紹介した。
私自身はその番組を見ませんでしたが、放送後、かなりの反響があったようで、賛否両論の議論で盛り上がっているそうです。
この現象は「ムペンバ効果」として知られていることなのだそうです。
ウィキペディアに詳しく紹介されています。

「湯は水より早く凍る」のが正しいのかどうかはわかりませんが、私にはとても刺激的な話です。
そんなバカなことはないというのは、明らかにリニア発想の近代科学者だと思いますが、私たちのほとんどが、無意識の中にそうした発想を持っています。
だからこそ、この現象が「不思議な現象」とされるわけです。
以前、書いたように「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」と考えれば、素直に納得できます。
おそらく様々な条件が組み合わさって、そうした結果が起こったり起こらなかったりするのでしょう。
そうでなければ、実験可能な現象に関して論争など起こりようがありません。

「湯は水より早く凍る」
じっくりと見ていると実に示唆に富む言葉です。
社会的な問題も、そこにたくさん含意されているような気がします。
これまで蓄積してきた知識体系が壊れていくような快さを感じませんか。
私たちもそろそろ、中途半端な「科学的思考」の呪縛から抜けでたほうがいいのかもしれません。

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2008/07/17

■「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」

仕事で福島に行くため、上野から新幹線に乗りました。
予定より30分も早く上野駅に着いたので、1本早い新幹線に乗りました。
福島駅でゆっくり珈琲でも飲もうと考えたのです。
ところがです。
乗車して車内放送を聞いたら、20分早く出発するのですが、福島駅にはむしろ15分遅く着くことがわかりました。
各駅停車の新幹線だったのです。
慌てて次の大宮駅で降りて、20分後に来る予定していた新幹線に乗り換えました。

早く出発するんだから早く到着する。
これは完全に思い込みです。
まあ、今回の私の思い込みは、新幹線もいろいろとあることに関する知識不足、注意不足でしかありませんが、おそらくこうした「思い込み」による失敗を私たちはたくさんしているのでしょう。

今日は、福島県の自治研修センターでの講演でした。
今回の講演の主旨のひとつは、発想が硬くなっている自治体職員のみなさんの固定観念を壊すことです。
その話をする自分が、こんな思い込みの失敗をしてしまっているとは恥ずかしい限りです。

2年ほど前に光文社新書で「99.9%は仮説」と言う本が出ました。
思いこみ、常識、前例、先入観、固定観念……そういったものにしばられて、身動きがとれなくなっている人が多いが、「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」というようなことが書かれている本のようです。
私自身も「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」という発想の持ち主ですので、まあ読むまでもないかなと思って、まだ読んでいません。

私の今日の体験と、この話は違うような気もしますが、たぶんつながっています。
もちろん仮説を一々検証しながら、生きていたら身が持ちません。
仮説とか常識は、そうした生きるための膨大な作業を縮減するためのものですから、否定する必要はありません。
それに「世の中ぜんぶ仮説」ならば、その真偽を検証する必要もありません。

私は、太陽は絶対に東から出るとは思っていません。
時に西から出てくることがあるかもしれないと思っています。
カフカの小説ではありませんが、明日目が覚めたら、私が大きな毛虫になっている可能性もゼロだとは思っていません。
世の中に絶対、確実のものなどあろうはずがありません。

これまでの67年間の人生において、私はいつも目覚めると人間のままですが、だからと言って明日の朝もそうだとは限りません。
何をバカなことを書いているのかと思うかもしれませんが、昔読んだ本に「ヒヨコの悲劇」という話がありました。
毎日、決まった時間に餌をもらえて平和に過ごしていたヒヨコが、ある日、突然ブロイラーにされてしまうという話です。
昨日までがそうだったからと言って、今日も同じだとは限らないわけです。
その話も、ちょっと違うんじゃないかといわれそうです。
しかし、最近の世界は、そういう断絶的なことが頻発しているのです。
これまでの発想で未来を考えていては、間違いかねません。

新幹線を乗り違えた腹いせに、何かわけのわからないことを書いてしまったような気もしますが、いろいろと発想の転換が求められています。
「99.9%は仮説」を読んでみようかという気になってきました。

「99.9%は仮説」と「0.1%は真実」という命題は、同じものでしょうか。
こういう話を最近しなくなったことに気づきました。
そういえば、昔は女房とよくこういう話をしていました。
こんな馬鹿げた話に付き合ってくれたのは女房だけでした。
その女房は、もういません。
しかし、それもまたもしかしたら、思い込みかもしれません。
明日になったら、ヒョコっと顔を出すかもしれません。

あれ、いつの間にか「挽歌編」になってしまいました。
すみません。

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2008/07/08

■「ハンマーカンマーの法則」

数日前に書いた「ハンマーカンマー」はお目にとまったでしょうか。
私の思いをこめた自信作の時評(まあ年に数回はあるのですが)への反応はあまりないのですが、この非自信作への反響は予想外に多いのです。
それにヤフー検索を通してのアクセスも結構ありました。
これって、喜ぶべきことでしょうか。
いささか不満もあります。いやはや。

許可なく私信メールを掲載すると問題もあるのですが、まあ、いいでしょう。
なにしろ「ハンマーカンマー!」ですから。
最近、「法則の法則」という本を書いた一条さんからのメールです。

「ハンマーカンマー!」と叫ぶと笑えて元気になれるというのは、「佐藤さんの法則」ですね。
ぜひ、この素敵な「法則」が世の中に広まりますように。
みんなが笑って、みんなが元気になれますように!
ハンマーカンマー!
私もついに、法則の発見者です。
ニュートンの法則に比べると、やや見劣りがする気もしますが、勝手に自称したものではなく、法則の権威者の命名ですから、価値があります。
ノーベル平和賞をもらったような気分です。
でも一条さん、世の中に広まって大丈夫でしょうか。
ちょっと、いや、かなり心配ですね。
それよりも、一条さんまでが、ハンマーカンマー!と書いて大丈夫でしょうか。
まったくハンマーカンマーの威力は底知れません。はい。

次は、元気をなくしている私に、笑いの効用を説いてくれているNKさんからのメールはこうです。

この所「笑の効用」が得られなかったものでしたので、何か無いかな~!と思っていたところです。
昨夕「先生のHP」にお邪魔致しまして、「ハンマーカンマー!」を、拝見いたしまして、お腹の皮が痛くなるほど“笑わせて”頂きました。
今までは、“畏敬の念”はいつも感じて居りましたが、今回の!イヤ~ッ!先生の“笑のセンス”に、「ジタジタ」。イヤ!失礼しました。「タジタジ」が正解です。

>みなさん、もし今まわりに誰もいいなければ、ちょっと「ハンマーカンマー!」といってみて下さい。
>どうですか笑えませんか。
>笑えない?
>ではもう一度。はい、「ハンマーカンマー!」
>・・・・
先程、この箇所を「プリントアウト」致しまして、私も “バカ笑い”致しております。
エエッ!「プリントアウト」するなんて「著作権」に“抵触する”ですか?
そこは、“恩になるばかりの私”ですが、“なが~い”お付き合いと言う・・・。
ごようしゃ下さいますよう。
なお、このメールに関しては、「返信」は「不要」になさって下さい。
なぜか?
「ハンマーカンマー!」だからです。(*^_^*)
「ハンマーカンマー!」のおかげで、私の評価は「畏敬」から「バカ笑い」に変化したわけです。
喜ぶべきでしょうか。嘆くべきでしょうか。

前後の記事との落差が大きすぎるという声もありますが、
それがいいと、今日は田辺さんがコメントを書き込んでくれました。
いやはや、ハンマーカンマー効果はすごいですね。

洞爺湖サミットの動きに、いろいろ時評すべきでしょうに、
こんなハンマーカンマー騒ぎをしていていいのでしょうか。
でもまあ、それがハンマーカンマーなのかもしれませんね。
いやはや。明日は少し硬派の時評を書かないといけませんね。
頭が痛いです。はい。

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2008/07/05

■「ハンマーカンマー!」

最近、テレビ番組はどうしようもないほど「アホ化」していますが、一発芸的なナンセンス芸がはやっているようです。
流行語にまでなっているものも少なくありませんが、私にはみんな退屈です。
ところが、時々、ついつい引きずり込まれてしまうようなものに出くわします。
昨夜、大西ライオンという芸人が、サイレント芸をやっていました。
1分のうちに3人を笑わさないといけないというゲームです。
見ていない人には説明のしようがないのですが、
私が笑い転げてしまったのは、ライオンキングのかつらの向きを変えるという、ただそれだけの行為です。
そのどこが面白いのかですって。
だから見ていないとわからないといったのです。
まあ、そんなのに笑っているんじゃ、ほかのタレントの一発芸に笑っているのと同じじゃないかといわれそうですね。

ところがその前日、もっと面白いものを見てしまったのです。
これもご存じない方が多いでしょうが、
ハリウッドザコシショウという、デビュー以来全く何の賞ももらったことのない芸人の古畑任三郎のものまねです。
その物まね芸は面白くないのですが、なぜか「ハンマーカンマー!」という全く無意味な言葉を乱発するのです。
最初は何の面白味もないのですが、繰り返し乱発しているのを見ているうちに、なぜか笑いこけてしまうようになります。

やはりテレビを観ないとわからないでしょうか。
いやそんなことはないでしょう。
ものは試しです。
みなさん、もし今まわりに誰もいなければ、ちょっと「ハンマーカンマー!」と言ってみてください。
どうですか笑えませんか。
笑えない?
ではもう一度。はい、「ハンマーカンマー!」
やはり笑えないでしょうか。
もし笑えないとすると問題です。
もう一度やってみましょう。
「ハンマーカンマー!」
面白いでしょう。おなかの皮がよじれますよね。
これを書きながら、笑いがとまりません。
なぜなら、「ハンマーカンマー!」だからです。
だから「ハンマーカンマー!」なのです。

呪文のような言葉に、「欧米か」とか「かんけいねえ」とかいろいろありますが、
「ハンマーカンマー!」には勝てないでしょう。
なにしろ「ハンマーカンマー!」ですからね。
これは絶対に流行ると娘に言ったら、絶対に流行らないよといわれました。
ちなみに娘は大西ライオンを一度見て、無駄に声がいいので好きになったようです。
彼女の勧めでサイレント芸を見たのですが、まあ「ハンマーカンマー!」に比べれば、「ハンマーカンマー!」です。

明日、誰かに会ったら「ハンマーカンマー!」と言ってみましょう。
きっと1日が明るくなります。
「ハンマーカンマー!」をお忘れなく。
今年の流行語大賞間違いなしです。

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2008/05/30

■過去の記録を消す

今日は私の67歳の誕生日です。

私はたくさんのものに囲まれて生きています。
「本来無一物」に共感しながらも、捨てられずにいます。
すべて捨てたらどんなにすっきりするだろうかと思いながらも、いざ捨てる段になると、いつも未練が出てきます。
所詮は、私も物欲のかたまりなのかもしれません。

時々、パソコンのデータをすべて消去したら気分がすっきりするだろうなと思います。
パソコンデータの消去は実に簡単ですので、その衝動に見舞われることもあります。
しかし消去できないばかりか、実際にパソコンが故障し、それまでのデータの大半を失いそうになった時などはあわててしまいました。
そのため、最近はこまめにバックアップしているのが実状です。
どうも私は自分の思いとは反対に、過去にしがみついているのかもしれません。

メールの記録もなかなか削除できず、3000件ほどの受発信記録が残っています。
ちまじました話ですが、今日、今年の4月以前のメールを削除することにしました。
66歳までのメール記録はほとんどなくなりました。
削除をクリックした時の気分は爽快でした。
この程度で爽快になれるのですから、私も幸せなものです。

人間の思考や情念も、こんな感じで意図的に削除できるともっと生きやすくなるでしょうね。
しかし、意図的に削除しなくても、私も徐々に記憶を思い出せなくなるでしょう。
今でも人の名前がなかなか出てこなくなりました。
思い出せなくなるのは、きっと意味があるのでしょう。
パソコンが定期的にクラッシュするのも意味のあることかもしれません。
そうであれば、パソコンの情報やデータも、徐々に消去していくのがいいのかもしれません。

そんなわけで、これを皮切りに、いろいろものやことを捨てていくことにしました。
もしかしたらいろいろと不都合が出てくる恐れもないわけではありませんが、お許しください。

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2007/08/03

■いのちの大切さと学びの面白さ

わが家の庭の南東の角にアズキナシの樹があります。そこはわが家の狭い庭では一番目に付く場所です。
植えてから5年、大きく育ったのですが、毎年アブラムシがたくさんつくのです。
アブラムシが樹液を吸ったアブラムシが出す甘い排液にアリが集まり、またアリの排液で樹木のみならず、周辺が真っ黒になります。鉢などもあつまってきます。時にカミキリなども来ます。そうして周辺の草木は大きな被害を受けて元気を無くします。
これが自然の流れなのでしょうが、庭木としては選定を間違ったようです。
大胆に剪定したり、防虫剤を使ったり、まわりの草花の種類を変えたり、女房と娘はいろいろ工夫して、何とか問題を解決しようと取り組んできました。
しかしうまくいきません。
植え替えも考えたのですが、樹が大きくなっているため場所がありません。
昨年、庭の花や樹木の手入れをしている娘からついに伐採の提案がありました。
しかし、私は生きた樹を切るのはしのびなく、たとえ1本の樹であろうと生きている樹は切りたくないと主張したのですが、現場を管理している娘はアズキナシ1本を犠牲にすれば、たくさんの草花が生き生きしてくるのだから、私の考えこそ、いのちを大切にしていないというのです。
女房も娘も、枯れかかった花でも大事の育てて元気にします。
彼女たちの手にかかると、廃棄寸前の処分品がわが家では大きく育っていきます。そのおかげで、わが家の庭にはたくさんの花があります。
その2人からの2回目の提案なので今回は私も賛同しました。
2年間、アズキナシを守る努力をしてきましたので、アズキナシもゆるしてくれるだろうと女房が言いました。
それで、今日、塩で清めてお祈りし、アズキナシを伐採させてもらいました。
庭木1本伐るだけでも本当に心が痛みます。
こうした思いは、しばらく前までは日本人であれば、だれでもが持っていた感情だったように思います。
そうした文化や「いのち」への畏敬の念は自然とのふれあいの中で、私たち世代は学んできました。
私が勉強好きになったのは、小学4年の春に学外授業で学校からかなり離れたところにある沼に自然観察にいったおかげです。そこでいのちのすばらしさを学んだからです。今でも勉強は大好きです。新しい気づきにはわくわくします。
私にとっての勉強は教室で先生から教わるものではありません。
自然とのふれあい、情報(書物)とのふれあいのなかで、自分で気づいていくものでした。
いまの学校教育がうまくいかないのは、教室に閉じ込めてしまい、教師が教える仕組みだからではないかと思います。
自然や社会のなかで学ぶ仕組みをつくれば、学ぶことは面白く魅力的になります。
それに、学びはいのちや暮らしにつながっていないと面白くはありません。
考古学も天文学も、すべて私たちの日々の暮らしやいのちにつながっているのです。

今日、アズキナシに感謝をしながら伐採して、子どものころのわくわくするような学びを思い出しました。
ちなみにわが家には沢蟹もカブトムシも放し飼いにしています。
もっとも放した後、見かけることはないので、いまはどこかに出かけているかもしれないのですが。

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2006/08/21

■沢蟹のこと

このブログは、アクセス解析機能がついています。
ですからどの項目にいつどれだけアクセスがあったかがわかります。
実は昨日それに気づきました。
それを今見ていたら、意外なことがわかりました。
「沢蟹騒動」へのアクセスが多いのです。
この4ヶ月の間になんと163人のアクセスがありました。
この記事は2004年5月3日の記事です。
普通は見つけられないはずですから、ネットで探した人が見てくれたのです。
おそらく読んだ人は失望したでしょうが、沢蟹への関心の高さがわかります。
沢蟹好きは私だけではないようです。

ネットでの情報発信の場合は、見出しのつけ方やアクセスさせる仕組みが重要なことがよくわかりました。
実に面白いテーマですし、実際に工夫しだすと底なしの面白さでしょうね。
実際にビジネスとしても成り立っているわけですが。

これから毎回、沢蟹という表題をつけるとアクセス数が増えるかもしれません。
まあ、それでは詐欺になりかねませんが、この記事へのアクセスがどうなるか興味があります。
たわいのない話のようですが、現代の情報環境を示唆する興味深い話です。

最後に少しは沢蟹のことを書かなければいけませんね。
実はわが庭のビオトープに放した沢蟹たちは相変わらず姿を見せません。
困ったものです。
奥深くに隠れてしまったようです。
今でもいろいろとの所に出かけた際には寸暇を惜しんで沢蟹探しをしていますが、見つかりません。
ペットショップに行きましたが、なぜか最近は売っていません。
そう思っていたら、今日、ネットでうれしい記事を発見しました。
食用の生きた沢蟹を購入して、それを育て上げた人のサイトです。
私も一度挑戦しましたが、もう一度挑戦することにしました。
問題は生きた食用沢蟹を見つけなければいけないことです。
見つかるといいのですが。

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2006/04/05

■元気をもらえた2週間

この2週間、ばたばたしていて、ブログを休んでしまいました。
その間、CWSコモンズに活動報告を書くだけで精一杯でしたが、少し余裕ができましたので、ブログも少しずつ再開します。
この2週間、住民活動・市民活動をしているたくさんの人に出会いました。マスコミに接していると未来への希望を失いそうになりますが、現場での活動を垣間見るだけでも元気は戻ってきます。各地で、本当に多彩な活動が、地道に取り組まれているのです。テレビや新聞からでは、それがなかなか見えてきません。
現場で活躍している人と話していると、キラキラするような言葉にたくさん出会います。たとえば、2日に大阪で福祉活動に取り組んでいる若者たちの柔らかなネットワーク活動をしている清田さんに会いました。彼から出てくる言葉のパワーに圧倒されました。言葉の輝き具合で、その人の生き方が見えてきます。
2つの会社の経営者とも接点を持たせてもらいました。いずれもとてもいい会社です。いい会社にはいい経営者がいます。いや、きちんとした経営者が本当の「経営」をしている会社は、決しておかしくはならないのかもしれません。
昨今の大企業は、ほぼ例外なく、品格のない経済競争に陥っていますが、しっかりした企業文化を堅持しながら、業績もまた堅持している会社があることを知って、とてもうれしい思いでした。こうした会社がしっかりと社会を支えていることもまた、テレビや新聞だけではなかなか確信がもてません。
いずれもマスコミに出てくる企業経営者とは全く違った人たちであり、会社です。そうした経営者にお会いすると元気になれます。
そうした輝いている人に、この2週間、たくさんで出会えました。
そんなわけで、時間破産ではありましたが、とても元気になれる2週間でした。
幸いなことに、時間破産のおかげでテレビを見る時間が少なかったのもよかったのかもしれません。
むかし、「元気が出るテレビ」というのがありましたが、最近のテレビは元気を削ぐことが多いです。テレビの製作現場が、きっと荒れているのでしょう。
元気がもらえた勢いで、また明日からブログを書かせてもらいます。

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2005/01/02

■象徴的な年の変わり目  

象徴的な年の変わり目でした。
ものすごく寒い大晦日が一変して、温かな元日でした。
しかも、厚い雲に遮られて、初日の出は見えなかったのですが、
未練がましく空を見ていたら、40分後に晴れてきて、雲の合間から太陽が見えたのです。そして、一挙に雰囲気が変わったのです。
実に象徴的な年明けでした。
もっとも、これは私の住んでいる千葉県我孫子市の話ですが。

今年はあたたかな年になりそうです。
いや、そうしなければいけません。
昨年のこのブログは、いささか口汚く、品位に欠けていました。
イワン老人の教えに反しました。
今年は少しポジティブに書いていくつもりです。
そして当事者的な視点を少し強める予定です。
CWSコモンズでの呼びかけとも連動させます。

みなさんもぜひ気楽にコメントしてください。
またCWSコモンズの案内にもぜひご参加ください。

4日から書きだす予定です。
明日はいただいた年賀状と年賀メールに返事を書かなくてはいけませんので。
今年もよろしくお願いいたします。

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2004/07/13

■沢蟹に最近会えません 

私の還暦の祝いに、家族がミニミニビオトープをつくってくれました。
3年もたつと、それらしい雰囲気も出てきました。
そのビオトープのどこかに、沢蟹と赤手蟹が住んでいるはずです。
といっても、この1か月、会ったことがありません、
放し飼いにしたときは、きちんと住処を作ったのですが、
毎朝、覗きに行っているうちに、いつの間にかいなくなってしまいました。
過干渉だったのです。
しかし、まあどこかに生息しているとかたく信じて、時々餌を与えています。

見えないところに、私の蟹が住んでいるというのはちょっと楽しい気分です。
もっとも、我が家の庭には他にもモグラと土蛙もいるようです。
彼らに食べられてしまったのではないかと家族はいいます。
庭から出て行ってしまったのではないかという意見もあります。
そう言えば、今まで蟹が定着したことがないのです。

しかし、今回は必ずどこかに棲んでいると確信しています。
何か彼らの気を感じるのです。
来春、沢蟹の子どもが庭にあふれてくることを期待しています。

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2004/05/15

■沢蟹の定住 

気持ちのいい朝です。

沢蟹ですが、庭の人工的なビオトープもどき(還暦の祝いに家族みんなで手作りしてくれました)に、うろとをつくり、そこに放しました。心配したのですが、ほぼ1週間たちますが、どうやら住みついてくれたようです。
広島の折口さんの近くの蟹とはちがい、極めて狭い住居ですが、
定着してもらえるとうれしいです。

しかし、やはりお店から購入した蟹は弱くて、
放す前に1匹は死んでしまいました。
沢蟹の飼い方に詳しい方がいたら教えてください。

今日はCWSコモンズのホームページの更新です。
夕方までには書き込みます。
面白い話題があります。
ぜひお読みください。
http://homepage2,nifty.com/CWS/

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2004/05/03

沢蟹騒動

私が好きな動物のひとつが、沢蟹です。
私の夢は(とても小さいのですが)、自宅の庭に、沢蟹と蛍がいることです。
なにせ小さな庭なので、絶望的な夢なのですが。

沢蟹を近くのお店から2匹買ってきました。
520円でした。
本当は買わずに、自然の山沢から見つけてきたかったのですが、
最近はなかなか見つける機会がありません。
友人にも頼んでいるのですが、誰も送ってきてくれません。
そこで、心ならずも、購入してしまったのです。
お店で売っている沢蟹は、あんまり強くないのです。

すぐに庭の池に放すと家出してしまいます。
今までも何回か体験していますので、まずは水槽で飼うことにしました。
ところが、今朝、起きてみると、1人がいないのです。
慌てて部屋中を探しました。
あんまり広くない部屋だったのですが、
そこに我が家の息子が同居していますので、彼に食べられたのではないかと不安になりました。
ちなみに、息子は犬なのです。

幸いに散らかった物品の中に、まぎれているのが見つかりました。
ホッとしましたが、同時にムッとしました。
せっかく居心地のいい生活環境を整いてやったのに、
蟹ですら、ホームレス願望があるようです。

そういえば、昔、湯島のオフィスで、10匹以上の沢蟹を購入して、放し飼いにしたことがあります。
この時は大変でした。
結局、全員が2日で死亡しました。水場がなかったためです。
一応彼らのためにオフィスに一角に水のみ場を用意したのですが、私の善意は伝わりませんでした。
コミュニケーションとは難しいものです。

とまあ、今日はたいした話題ではないのですが、なにやら、イラクや北朝鮮の話につながるような要素があるような気もしないではありません。

今日は一日、仕事です。

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2004/04/29

CWSプライベートがスタートしました

CWSコモンズをマネジメントしている佐藤修です。
CWSコモンズはリゾーミックで共創的な世界を目指していますが、
そのサブシステムとして、新たにこの、CWSプライベートをつくることにしました。

CWSコモンズは、いくつかの仕組みで構成されていますが、
その重要なメディアの一つが、CWSコモンズ(コミュニケーションのホームページです。
http://homepage2.nifty.com/CWS/

これ自体が、リゾーミックな複雑なホームページなのですが、
さらにメーリングリストやディベートコーナーなど、
いくつかの試みをしてきました。
しかし、なかなかうまく成長しません。
まあリゾーミックな仕組みとはそんなものですが、
今度はちょっと見える形でのサブシステムをつくってみました。

それがこのウェブログです。
誰でも書きこめますので、こちらのほうが、むしろコモンズになっていく可能性もあります。
しかし、これまでの経験で、たぶんそうはならないでしょう。
そうわかっているのに、このプログラムを開始しました。

これまでのホームページも無防備でしたが、
このウェブログはもっと無防備です。

もしお時間があれば、
私の15年前の雑文をお読みください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/jikoshoukaibunn.htm

このウェブログも、この小論のビジョンの延長にあります。
私は一応、言行一致を信条にしています。


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