カテゴリー「無駄話」の記事

2025/11/04

■困ったことに気が沈んだ2日を過ごしています

最近いささか気に沿わないことが続き、機嫌がよくありません。
こんなに天気がいいのにまだ気がすっきりしません。
困ったものです。

昨日は、娘に頼んで、新しいスーパーに連れて行ってもらいました。
私はいろんなスーパーを見るのが好きなのです。別に買い物が目的ではありません。
わが家から20分で行けるスーパーはもうほとんど行きました。10数件あります。
でさらに10分延ばして、少し遠くまで行くことにしました。

何とか娘を説得して、昨日は車で30分ほどの増尾のライフに行きました。
買うものは、私にはありませんでしたが、とても懐かしい感じのお店でした。
娘が、何も買わないのにどうして遠くのスーパーまで行かなくてはいけないのかと言いますが、新しいお店の表情に触れるのが好きなのです。それにスーパーの表情は、その地域社会を象徴していると思うのです。

文化心理学という分野があります。
私は西欧文化のパラダイムに沿った心理学が好きではありませんが、今もなお日本人は西欧起源の心理学を信奉しています。
そういう議論が湯島のサロンでは飛び交います。
そういう「本の知識」に興味がないわけではありませんが、しかし、「土の知識」があってこその「本の知識」です。
昔は、現場によく行きましたが、最近はもうフットワークが悪くなりました。
時々気が滅入るのはそのせいでしょう。

今日もまだ気分がすっきりしません。
今日は、さすがに娘は付き合ってくれないので、さてどうして気分をすっきりさせるかです。自動車免許も返却した身には、遠出は無理です。
まだ畑に行く気は起こってきません。今日は散歩の気分でもない。

今日中には気を取り直して、宿題をこなしていきたいのです。
さてどうするか。

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2025/10/13

■“我々はどこから来たのか、どこへ行くのか”

昨夜からダン・ブラウンの『オリジン』を読んでいました。娘が読んでいたので、急に私も読みたくなって、借りたのです。
来月また新作が出るのだそうです。ダン・ブラウンの作品は『インフェルノ』までは読んでいたのですが、10年ほど前から小説が読めなくなって、年にせいぜい数冊という状況になってしまい、ダン・ブラウンはリストから外れてしまっていたのです。
それにまあ少し飽きてきてもいたのですが。

久しぶりのダン・ブラウンはやはり面白く一気に読み終えました。映画化された作品は、それぞれ数回観ていますので、そのおかげで、この小説も映像を観ているような感じで速読ができます。
文庫本では3冊に分かれていますが、上巻と中巻は一気に読めました。しかし、下巻の半分ほどまできたとたんにそうした映像的な読み方はできなくなってしまいました。なにやら文字を追わないとわからなくなってしまったのです。

でもまあ何とか読み終えました。
ただ謎解きは見事に失敗しました。関心が、別のところに行ってしまっていたためです。終わり近くなってようやく、その「問い」を思い出しました。問いがわかれば答はすぐに出てきます。しかし正直あまりに退屈な答えで、正直、ちょっとがっかりでした。どうせなら、もう少しひねってほしかった気がします。
でもまあ、ダン・ブラウンの作品はいつもこうなのです。肩透かしにあった感じですが、その先の肝心の「物語」は、読者それぞれに考えさせるのがダン・ブラウンなのでしょう。その意味では、いつも「壮大なプロローグ」なのです。

『オリジン』のテーマは、科学と宗教、言い換えれば、AIと人間の問題です。具体的には、有名な「我々はどこから来たのか、どこへ行くのか」の答えが、物語を引っ張っていきます。舞台はスペイン。

「我々はどこから来たのか、どこへ行くのか」はよく問われる問いです。この問いのために、私は謎解きをすっかり忘れてしまったのですが、その答えに、いささか期待しすぎたようです。こちらも退屈。私の理解不足かもしれませんが。
ちなみに私は、むしろ「我々はどこにいるのか」の問いこそが大切だと、以前から話したり、ブログに書いたりしています。湯島のサロンの根本にあるテーマも、「我々はどこにいるのか」なのです。久しぶりに、このテーマのサロンをやるのも面白いかもしれません。

ダン・ブラウンの作品では「デセプション・ポイント」が好きなのですが、この作品は映画化されていません。『ロスト・シンボル』はテレビドラマ化されていますが、私には退屈でした。
『オリジン』はなぜ映画化されなかったのでしょうか。
小説ではなく、映像で観たい作品です。

今日は、ダン・ブラウンで1日終わりました。

 

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2025/06/23

■何とか無事、1週間を超えられました

まだ確実ではないのですが、いろいろと詰まっていた1週間を越えられました。
身心不調なうえに、予期せぬ事件が起こり、みなさんにはご心配をかけました。
湯島には出かけないようにというアドバイスもしばしば受けましたが、1回だけは欠席させてもらいましたが、あとは何とか参加できました。
ただ参加者の一部からはサロンでの発言が少なかったとか、粗雑な発言が多かったとか、という指摘も受けましたが、まあ倒れずに1週間を超えられましたので許してください。
おかげさまで体調は何とか低調ながら回復し、まあ湯島に行く途中で倒れる可能性もかなり低くなりました。
今日もサロンですが、これを終えると空白の1週間を迎えられます。
この1週間で、リズムを取り戻し、いろいろと滞っていることを解消できると思います。
というわけで、もう1週間だけお待ちください。
きちんと動き出しますので。

 

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2025/02/12

■愚痴もたまには書きたいので

今日は愚痴を吐き出して気分をすっきりしたいと思います。
まあ無理でしょうが。

言葉や文字を通した付き合いは実にめんどくさい。
そもそも言葉や文字で、自分の言いたいことが相手に伝わるはずがない、と若いころからずっと思っています。

だから私は、直接会うのが好きなのです。
会って話していると、言葉さえもがきちんと伝わる気がするからです。
文字にすると真反対な言葉が、直接会って話していると伝わってくることもある。

ところが昨今のようなネット時代には、文字でのメッセージが簡単に届きます。
なかには簡単な1行で、私が書いた文字文章の意味を訊いてくる人もいる。
自分の意見を付けて質問してくるならいいのですが、禅問答のような問いに答えるのは結構大変なのです。

昨日FBに「悪口が嫌い」と書いたら、それを読んだかどうかわかりませんが、湯島のサロンの「悪口」を長々と書いてきた人がいる。大体においてそういう人はあまりサロンには参加せずに、自分が参加した数少ないサロンの様子でサロン全体を評価するのです。
まあ無視もできないので、きちんと文字で返答しましたが、これが結構大変で、いやな気分を引きずってしまうこともある。

もちろんサロンなどで直接会って話していても、めんどくさいことは起こります。
でもその時に対処できるし、それで終わることもできます。
最近実は、私が疲れているのか、毎回サロンや体験会では感情的な発言をついついしてしまっています。発言した後、いやな気分になりますが、私はどうも感情を抑えられない時がある。
とりわけ権威を振りかざして他者を評価する発言には、私は切れがちなのです。昨日も少し切れてしまった、恥ずかしい限りです。

昨日はそれで落ち込んでいたら、今朝は今度はまためんどくさいメールが届いていた。
人と付き合うのは疲れます。
ソローのような生活を目指すべきなのかもしれません。

とまあ、講師手口を履いても気分はやはりすっきりしないですね。
困ったものだ。
さて何か楽しいメールは来ないものでしょうか。

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2025/01/03

■どうも元気が出ない年明けです

いつもなら、元日の陽光を浴びた後、新年への思いなどを少し書いて投稿していた気がしますが、今年はそんな気分ではなく、ともかく家族みんな何とかほどほどの元気で新年を迎えたことだけで、前に向かって思考する気力が出てきませんでした。
前向きの思いを投稿したいと思いながらも、今年はどうもその気になりません。

年末、娘が高熱で寝込んでいたので、おせち料理も今年は無し。
食材の一部は買ってあったので、数の子やかまぼこなどのおせちの材料で済ませました。
でも食欲もなく、華やかな膳もなく、運悪くお菓子類も果物も好みのものが全くない。
極めて地味な正月膳でした。

昨年、心境の変化が起こりました。
年末近くまでは、生きる意欲が高まっていたのです。
実のところ、この18年、現生への魅力はほとんどなく、生への執着はほとんどなくなっていたのですが、昨年、生きる意味を改めて感じて、100歳まで生きようと決意したのです。
もちろん、ここで「生きる」とは生命を維持するという意味では全くありません。我が意のままに生きるということです。そのために遅まきながら体力づくりからはじめようと思ったのです。

しかし、年末の久しぶりに風邪で、気分が一変してしまいました。
なんだか「もういいか」という気分に戻ってしまったのです。
だらしない話です。困ったものです。

朝からずっと箱根駅伝を観ていますが、どうも元気が出ません。
今日は太陽が顔を出してくれないからかもしれません。
5日には湯島に行く予定です。
よかったら元気を分けに来てください。

 

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2024/12/31

■今年はこれでおしまい

今年は最後の最後で風邪をひいてしまい、年末の予定がすべて狂ってしまいました。
そのうえ、娘がインフルエンザになってしまい、生活力のとぼしい私としてはもうパニックでした。

幸いに私はほぼ回復し、娘も熱が下がりました。
でも残念ながら感染予防のため、元日はひっそりと、娘が何とか早目に買っておいたおせちの材料の一部でのささやかな祝い膳です。
お節料理は、今年は皆無になりそうです。いやお雑煮もないかもしれません。
なにしろ私にはつくる気はありませんから。

生け花は何とか下の娘が活けてくれました。
玄関のしめ飾りは、孫が創ってくれました。
Photo_20241231192801
ちょっと違うような気もしないではないのですが、来年は孫との関係を一挙に高めるために素直に受け入れました。

明日の初日は例年通り拝む予定ですが、調子がよければ、孫と初詣にも行けそうです。

今年は私にとっては、少し生き方を変えた年ですので、年末に一年を振り返り、来年に向けて少しまともなことを書こうと思っていましたが、年末の風邪のせいか、ちょっと自信がなくなってしまいました。

FBでお付き合いいただいたみなさんには感謝しています。
1
年間、ありがとうございました。

 

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2024/06/17

■養生宣言

もう聞き飽きたかと思いますが、昨日、完全ダウンしてしまいました。
この2日間、正直、湯島に行くのが辛くて、着いたとたんにいつもソファで寝ていましたが、なにしろ湯島は「来る者は拒まず」空間なので、一人でゆっくりできることはあまり期待できません。寝た途端に誰かがやってくる。

昨日も何とかサロンを終了したのですが、帰りの電車でまた胃痛に襲われました。
無事我孫子につけるか心配でしたが、何とか、到着。娘に駅まで迎えに来てもらい帰宅したのですが、そこですべての緊張が解けたのか、完全ダウン。お昼も食べていなかったので、野菜粥をつくってもらって食べたのがさらなる失策で、胃痛どころか消化器系が完全に停止したような感じで、もうじっとしていられない気分です。

娘は病院も薦めたのですが、こんなときにいったら、2年前と同じく、また「即入院」になりかねない。ともかく耐えることにしました。
でもこんなつらさが毎日つづいたら、生きる意欲も失うだろうなと痛感しました。

ロキソニンも飲んで、4時間ほど、苦悶していたら、ようやく症状は反転の兆しを見せました。それから1時間後に眠れたのです。時計を見たら2時半。連続で2時間以上寝たのは今年に入って初めてかもしれません。胃の痛みはかなり収まり、消化器系というか、私の身体が動き出しているのが実感できるようになっていました。いろんなところで身体が音を出しているのです。
それから寝たり起きたりで、6時半までベッドにいました。

胃の痛みはほぼ消えていますが、昨日の痛み体験の成果、身体全体がまだ痛い気がします。もちろん違和感は残っている。
でも思考力は出てきました。パソコンを開く気になった。
お腹もすいているような気もしますが、怖くて何も口にいれられない。

こんなことを繰り返していたら、本当に回復不能になりかねない。
甘く考えていました。
いろいろと気遣いいただいた人たちのアドバイスを、受け流していたことも反省です。
もう3年ほど、現世で活動することに決めたのですから、これからは自分の身体の養生を優先に生きようと思います。
これまでも不義理を重ねていますが、これまで以上に不義理をするかもしれませんが、お許しください。

さて今日はどうなりますか。
まったく困ったものです。

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2024/04/05

■シャーロックにはなれそうもありません

もう20年ほど前ですが、たぶん誰かの紹介で面識のない人が湯島に何か相談に来ました。
お話を聞いたうえで、まず私が問うたのは、「ところでエジプトはどうでしたか?」でした。
相談とは全く無縁の問いでしたので、相手は驚いた様子で、どうして私がエジプトに行っていたことを知っているのですか、と訊いてきました。
理由は簡単で、彼女がエジプトツアーに行くと必ず買わされるであろうアクセサリーをしていたからです。このやり取りで、その後の展開はとてもうまくいきました。
これが私のシャーロックゲームの一番の経験です。

 子どもの頃はシャーロキアンにあこがれていましたし、新しい人に会うと、ついついプロファイルしてしまうのです。それでこういうことはいまも少なくありません。

 いま病院で毎日それを楽しんでいますが、昨日、それが見事にピント外れだったことが判明しました。例の「バトミントンK」さんです。
実は前に書いた後も、推測を重ね、推測をかなり修正しました。高校の先生で、病院にはUSVで来ていること。だから春休みを利用しての通院であること。などなど。
そして思い切って、昨日、確認の問いかけをしたのです。
テニスはお仕事ですか、仕事場は柏駅近くですか、と質問しました。
そこから話が弾みだしました。仕事はテニスだけではなく、ギターと空手もです。事務所は駅近くです。???

とと言うわけで、私の推測は見事に外れ。でもどうやら私との接点が見つかりそうな気がして、さらに話をつづけましたが、これまた見事にすべての可能性が否定されました。
でもいつか彼と会いたくなったら、会う方法は見つかりました。
2度と会うことが不可能になった「10時の人」の誤りは犯したくなかったのです。
そういえば、昨日で最後になった「とりでさん」とも、最後のわずかの一言で、いつかまた会えるきっかけを確保しました。

まあこんな感じで病院通いを楽しんでいますので、退屈はしませんが、疲れるようです。
今日はまた会うメンバーが変わるかもしれませんので、まずは会話なしでのプロファイリングです。

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2023/12/31

■今年読んだ本のベスト10

一条真也さんが、今年読んだ本のベスト10を選んだが、「資本主義の次に来る世界」が一位でした、とわざわざラインで教えてきてくれました。
その結果は一条さんのブログに書かれています。
私が読んだのは、この本だけでした。彼の読書範囲はともかく広いのです。
https://shins2m.hatenablog.com/entry/2023/12/30/000000

一条さんは、それらの紹介や読後感を、いつもていねいにブログで紹介していますので、よかったら読んでください。一条さんの紹介文を読んだだけでも読んだ気分になります。

一条さんのブログを読んで、私も真似をしたくなりました。
私の読書の範囲や量、そして読み方のていねいさも、一条さんとは比べようもありませんが、それでも今年も100冊を超える本を比較的ていねいに読んだつもりです。ただ、ジャンルがかなり狭くなったうえに、最近は、新刊よりも昔の本を読みなおすことが多くなりました。フィクションはほんの数冊しか読みませんでしたが、いずれもベスト10に入りませんでした。想像力が低下しているのかもしれません。

対象にした本は、今年出版された本に限定しました。
結果は次の通りです。
いずれも面白いというよりも、共感できたというべきでしょうが。
書名と、気になった一文を挙げてみました。順位はありません。

〔いまの金銭至上主義的経済社会から抜け出すための示唆をもらえた2冊〕
〇「資本主義の次に来る世界」(ジェイソン・ヒッケル 東洋経済新報社)
成長志向のシステムの目的は、人間のニーズを満たすことではなく、満たさないようにすること
〇「資本主義の〈その先〉へ」(大澤真幸 筑摩書房)
相克性を基底に置いた関係から、相乗性を基底に置いた関係へ

〔いまの政治の閉塞状況を打破していくための示唆をもらえた2冊〕
〇「地域主権という希望」(岸本聡子 大月書店)
私がめざしたい政治とは、人々が当たり前に、希望をもって暮らせる社会の実現
〇「コモンの「自治」論」(斉藤幸平+松本卓也編 集英社)
〈ケア〉とは、まわりの人々から人間以外の生物や環境まで気遣うこと

〔自分の生き方を問い直すヒントをもらえた2冊〕
〇「自己家畜化する日本人」(池田清彦 祥伝社新書)
現代社会において「飼い主」は、「システム」「権力」
〇「我々はどのような生き物なのか」(ノーム・チョムスキー 岩波書店)
社会変革のための方法はただ一つ、民衆による広範な組織化と活動
〇「宮本常一〈抵抗〉の民俗学」(門田岳久 慶應義塾大学出版会)
理念の実現のために制度や補助金を「使う」という主体的あり方が重要
〇「樹木が地球を守っている」(ペーター・ヴォールレーベン 早川書房)
人間は「無知」を受け入れ、尊重することで、よりよい道を見出せるようになる

〔気付きをもらった本〕
〇「戦後教育史」(小国喜弘 中公新書)
教育改革の現場を通して見えてきたのは、政治に翻弄される学校の姿であり、そのなかでの子どもたちの不幸
〇「新しい自由論」(村中璃子 文藝春秋)
自由は、最初からそこにあるわけでも勝ち取ったら終わりでもなく、時と文脈に応じてその意味をくり返し問い直し、理性と努力で守っていく必要がある

ちなみに、読みなおした本では、「「日本書紀」の暗号」(林青覚 講談社)が面白かった。今年出版された「スサノヲの正体(関裕二 新潮新書)も面白かったですが。年末年始は久しぶりに日本の古代史の本を10冊ほど読む予定です。

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2023/08/27

■『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』がついに終わりまし■

10年以上続いた英国テレビドラマ『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』がついに終わりました。
https://www.wowow.co.jp/detail/189210

毎年、3~6話ずつ放映されてきましたが、今回で最終回。
今日は時間があったので、最後の3本(4時間半)を続けてみました。
最後まで暗いままで終わりました。
おかげで私も暗い気分です。

これは2013年に始まったイギリスのテレビドラマです。
最初は面白かったのですが、だんだんその暗い内容に何回も見るのを止めようと思ったのですが、結局、10年間見続けてしまったわけです。
最後は明るい終わり方を望んでいましたが、最後まで暗かったのです。
何しろ暗い時代のイギリスの話ですから。
でも最初は嫌な性格だと思っていたブライト署長の生き方がとてもよかった。それが唯一の救いです。

このドラマの大きなテーマの一つは、家族とは何かです。
その点ではいろいろと考えさせられました。
こういうドラマは日本では作られないでしょうね。

最近の日本のドラマは明るすぎて、見ていても何も残らない。
最近、好きなドラマは「ハヤブサ消防団」です。
実にいい。でもああいう文化は日本でもどんどんなくなっているのでしょうね。ああいうところで最後の時間を過ごせたら最高ですね。
https://www.tv-asahi.co.jp/hayabusa-syobodan/

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