カテゴリー「無駄話」の記事

2022/05/09

■歴史は謀で成っている

最近、2つの中国のテレビドラマを観ています。
「三国志 司馬懿 軍師連盟」と「始皇帝 天下統一」です。

https://www.hulu.jp/the-advisors-alliance/?cmp=10902&waad=rkcgO9Bw&gclid=Cj0KCQjw1N2TBhCOARIsAGVHQc5SxyEV5b0gRfidYkX3pkdIOhtvOFOCDdPWEZWu

https://www.wowow.co.jp/detail/173882

いずれも最初は司馬懿と李斯に興味があっただけなのですが、物語自体に興味を持つようになってきました。
三国志は86話、始皇帝は78話もあるので、両方ともまだ先が長いのですが、面白くなってきました。

「始皇帝」は、焚書の意味がわかったことで、始皇帝の評価が一変しました。
「三国志」は、毎回教えられることが少なくありません。
「陰謀」(いい意味での謀ですが)の大切さを改めて教えられています。
特に今日は、荀彧と崔琰の「陰謀」に感動しました。
私がこれまで知っていた話とは全く違っているのでいつも新鮮なのですが、今日はふたりの意図を読み解けなかった自分にがっかりしました。いずれも2人に対する先入観のせいかもしれません。

「陰謀論」などと言って「陰謀」を揶揄する現代の中途半端な知識人の愚かさや、自らの命を捨てての謀をしなくなったリーダーの多さにいつもがっかりしているのですが、そうした気分を払しょくさせてくれるのも、今回の「三国志」の魅力の一つです。

今日の「三国志」で、人の真実は歴史には伝わらないと誰かが言っていました。
たしかにそうなのでしょう。
これからは、プーチンやゼレンスキーを軽々に非難するのは自重しようと思います。

「始皇帝 天下統一」はお薦めしませんが(筋書きがあまりに安直)、「三国志 司馬懿 軍師連盟」はお薦めのドラマです。学ぶことがたくさんあります。長いので、よほどお暇な方向きではありますが。

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2022/02/28

■私憤と公憤

昨日と今日、私の精神状態はあまりよくありません。
いや、あまりどころではなく、怒りを抑えるのが難しいほどです。

昨日は湯島のサロンに関わるちょっとした「事件」が起こりました。
昨日湯島で行った集まりにある人が参加することを知った人(その人もサロンに参加することのある人です)が、勝手に湯島の部屋に入って来たのです。以前からその人の言動には不快感を持っていたのですが、昨日はさすがに怒りを感じました。その人のおかげで、その集まりもいささかおかしな雰囲気で始まることになりました。
さすがに私も、その人に向かって、出て行ってよといいましたが、後になって、怒りの感情が強まってきました。その人に責められた友人のことを思うと、ますます怒りを感じます。他の人には真似できないほど、誠心誠意、善意の活動をしている人なのです。

しかし、それはまあ私の「私憤」でしかありません。私の料簡が狭いのかもしれません。
ところが今日は、「公憤」を感じました。
私が住んでいる我孫子市の「公務」に関してあることを耳にしました。
私が実際に見聞したことではなく誤報かもしれませんので、内容は書けませんが、私のこれまでの体験から考えて、私には事実と思えるような話です。
話を聞いた時には、さほどではなかったのですが、時間が経つほどに怒りが湧いてきました。これは「公憤」といってもいいでしょう。

ウクライナの状況にも「憤慨」しますが、どうも最近、怒りを感ずることが少なくありません。長年生きてきて、大概のことは許せるようにはなっているのですが、この2日間、怒りにつつまれてしまっています。
気を静めるために、今日は7杯もコーヒーを飲んだのですが、気が鎮まりません。
困ったものです。

 

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2022/02/04

■1月が無為に終わってしまった言い訳

今年に入ってから、実はあまり調子がよくありません。

発端は牛乳の飲みすぎだと思うのですが、実はそればかりではなく昨年末から食生活を大きく変えることにしたのです。
そのせいで、年明け後からお腹の調子がよくありません。
お腹が痛いことが時々起こるのです。
そのせいか、食欲もあまりありません。
これまで腹痛ということあまり体験したことがないのですが、鈍痛が続くことがこれほど気力を奪うとは思ってもいませんでした。

あまりに長いので、さすがに気になって、昨日、かかりつけ医の遠藤さんに相談に行きました。
まず言われたのは、たまには胃腸の検査をしたほうがいいよということです。
私が検査嫌いなのをよく知っているのです。
そしてここぞとばかりに、薬を5種類もくれました。
私の薬嫌いもよく知っているのです。

帰宅後、すぐに飲みました。
一晩寝て、腹痛はおさまりだしました。

しかし、お腹の調子が悪いと、気力がわかず、思考力も衰えることを体験しました。
そんなわけで、今年の1月は、何もやらないうちに終わってしまったような気がします。

人間は頭で考えているのではなく、胃腸で考えているのではないかと思いだしました。
もしかしたら、頭脳と胃腸は、敵対しているのかもしれません。
どうしたら仲直りさせられるでしょうか。

こんなことを考えている私は、頭脳でも胃腸でもない。
一体誰なのでしょうか。

 

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2021/11/12

■はじめてきちんと「資本論」第1巻を読みました

この1週間、佐々木隆治さんの「マルクス資本論」を片手に、「資本論」第1巻を読んでいました。こんなにきちんと読んだのは生れて始めてです。
テキストは1963年の大月書店版ですが、やはりとても読みにくい。
それに2分冊になっていて、分量もすごいのです。

Image01

でも佐々木隆治さんのガイドに沿って、何とか読み終えました。
読後の感想は、面白かったの一言です。

当然のことながら、内容はすでにこれまで様々な本で何回も読んでいることばかりでしたが、改めてきちんと読むと、マルクスの慧眼にはやはり感服します。しかし、残念ながら、マルクスは、あるいはそれに続く人たちは、せっかくの気づきも活かせなかった。ここまで見据えていたのになぜ流れを止めることを彼は放棄していたのでしょうか。おそらくマルクスは、見えすぎていたのでしょう。そして、歴史に身を任せた。

しかし、最後に、資本主義時代の成果を踏まえて、協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有を基礎とする個人的所有を再建する時代を確信していたことが書かれています。
私がこの40年間、目指してきた「コモンズの共創」は、すでにマルクスによって予言されていたことに気づきました。
大学生時代に最初に「資本論」を読みかじった時に、それに気づいていたら、こんな遠回りはしなかったのかもしれません。
でもまあ、その遠回りがとても面白かったことも事実ですが。

それにしても、こんなに集中して読書したのは久しぶりです。
この1週間、一人でいる時にはほぼすべて読書でした。
勢いに乗って、第2巻を読もうと思っていたのですが、少し時間を置くことにしました。
第3巻は、たぶん読む気は起きないでしょう。つい最近も一度挫折していますし。

しばらくはもう少し明るい本を読もうと思います。

 

 

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2021/10/22

■脳梗塞コンプレックスに陥ってしまいました

一昨日の筑波山での失策以来、「脳梗塞コンプレックス」に陥って、なんだか調子が出ません。まああまりの寒さのせいもありますが。

一昨日、登山途中の軽い脳梗塞症状で同行者ばかりか多くの人に迷惑をかけてしまった自覚が昨日からようやく芽生え、さらに次のようなメールがいくつか届いたこともあって、昨日の午後から気が滅入ってきて、昨日は自宅で安静にしていました。
届いたメールは、たとえばこんな感じです。

「小さい脳梗塞をちょこちょこ起こして、ドカンと来る。そんな話をよく聞く」
「軽い脳梗塞はすぐに治るから、そこで病院行くのはなかなかないよね、私もそうなった時に行けないと思う。ちょっと気分が悪かっただけ、でも大丈夫。と思うだろうなあ」

なんだか自分のことを言われているみたいで、いささか心配になってきました。
気になりだすと実際におかしくなって、昨日の朝はすっきり起きられたのに、今日はなんか頭が重い気がします。病は気から言いますが、ほんとうにそうです。

これまでも何回かこういう経験はあったのですが、30分も寝ていれば元に戻ったので気にもしませんでした。
しかし今回は、鈴木さんから私が失神しかけた時には、言葉もおかしくて脳梗塞のようだったと「言語化」されたので、さすがに能天気な私にも自覚ができたのかもしれません。まあ1日以上たってからなのですが。

万葉集サロンで、言葉の霊力が時々話題になっていますが、言葉は人を支配します。
いまや私は完全に脳梗塞コンプレックスに陥り、無理をするどころか、不安さえ出てきそうです。困ったものです。

こんな「脅迫」めいたメッセージも届きました。

「佐藤さんにまだやりたいことがあるのなら、病院へ行ってください」

幸い、私にはあまりやりたいことはないので病院にはいかなくてもいいのですが、いま突然だと部屋も片付いていないし、返せていない「借り」もあるので、ちょっとまずいかなとも思います。

今日は寒いので病院はもう少し暖かくなってからにして、取り合えず水分補給と薬をきちんと飲むようにし、無理をせずに平安に過ごそうと思います。
今朝はたっぷり水分を取りましたし、薬も間違いなく飲みました。

今日は湯島で「選挙について本気で話し合おう」というサロンですが、本気になると身体に悪いので、気をつけようとも思います。
人生はなかなかうまくいきません。
まあ、政治ほどではありませんが。

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2021/04/12

■私がワクチンを接種しないわけ

一週間ほど前に、コロナウイルスワクチン接種の接種券が届きました。
かなり分厚い手紙なので、いつもながら読んでもわからないのだろうなと思って読むのもやめました。行政からの手紙は、いつもほとんど理解不能もしくは読んでもあまり新しい話はないのです。

それに私は今の段階ではワクチンを接種するつもりはありません。
ワクチンは危険だから接種するなという話も出回っていますが、私が摂取しないのはそのためではありません。
接種しない理由は明確です。

 仮に、今回のワクチンがリスクのほうが大きいとしたら、当然、接種しません。
しかしリスクよりも発症予防や重症化予防などの効果のほうが大きいとしたら、いまなおワクチンは不足しているようですから、私のような高齢者ではなく福祉関係者などをまずは優先させるべきだと思っています。
医療関係者は高齢者よりも優先されているようですが、まだまだワクチン不足で接種者は少ないようですから、そちらにワクチンを回してもらったほうがいいと思っていますし、福祉関係者が高齢者の次というのは全く理解できません。
高齢者は幸いに他者への感染力が弱いとも言われていますので、接種は最後でいいだろうというのが私の意見です。

それにしても、我先にワクチンを接種したいと電話予約が殺到して、なかなか電話がかからないというような報道に接すると、なんだか悲しくなります。
日本人の「譲り合いの精神」は、もう失われたのでしょうか。

コロナウイルスが私たちの本性を顕わにしたのか、あるいは私たちの本性を変えてしまったの。
いずれにさびしい時代になってしまいました。
だからこそ、私としては改めて生き方を問い直したいと思っています。

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2021/01/21

■マンゾーニの小説『いいなづけ』を読もうと思ったのですが

COVID-19パンデミックが始まった昨春、感染防止のために休校したイタリア・ミラノの高校のスキラーチェ校長の「こんな時にこそ良い本を読んでほしい」という生徒へのメッセージが話題になりました。

そこで校長が紹介したのが、マンゾーニの小説『いいなづけ』です。私は名前さえも知らなかった小説ですが、ダンテの『神曲』と並んで、高校や大学へ進むほどのイタリア人ならだれもが自分で買って持っているのが当然と言われている本だそうです。
副題が「17世紀ミラーノの物語」とあるように、この小説には、17世期に発生したペストの大流行の様子が詳しく描かれているのだそうです。
デフォーの「ペスト」もカミユの「ペスト」も読んでいますが、この本は知りませんでした。

しかし、パンデミック関係の本を読んでいるとこの小説の名前がよく出てきます。
そこで私も読んでみようと思い、図書館から借りてきました。
ところがA4サイズの2段組みで800頁を超える大長編なのです。
借りてきたのはいいものの、読みだす気力が萎えてしまい、もし買ったのであれば、たぶん後で読もうということになってそのまま埋もれてしまっていたでしょう。そういう本がたくさんあるからです。
しかし、借りてきた以上は10日以内に読まないといけません。それは私が決めたルールなのです。期限を延ばすと読まない恐れがあるからです。
基本的には借りた本は3日で読むことにしていますが、この分厚い本は3日で読了する自信がありません。どんなに速読しても1週間はかかりそうですが、1週間も同じ本を読んでいるのは私の好みではありません。さてさて悩ましい話です。

でもまあ今日は読みだすのはやめましょう。
どうしたら速読できるかを考えようと思います。

Iinaduke

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2021/01/20

■1月20日は世界が変わる日?

今日120日は世界が変わる日になるかもしれないと「陰謀論」を信じている友人から言われています。
楽しみではありますが、それが本当かどうかは間もなくわかるでしょう。
失望する結果にならなければいいのですが、仮に変わらなかった場合、私はその一人からイタリアンランチをごちそうしてもらえるのです。

私には、最近の「陰謀論」はいかにもという感じになってしまい、20年前までと違って私にはもうついていけなくなってしまっていますが、いまもまだ熱狂的に信じている友人が私の周辺にも数名いるのです。

今回のCOVID-19に関しても、陰謀説は山のようにあり、ウイルスに人工的な痕跡が証明されたという話もあります。もちろん痕跡など全くないという話もありますが、まあどちらが正しいかはわかるはずもありません。そもそも「科学技術」とはあくまでも限られた条件の範囲内での議論ですから、「絶対」などということはあり得ません。
科学技術が真理だと捉えるのも、神の存在を真理だと考えるも、結局は同じことです。

私は、生命は泥から生まれたという神話も否定しませんし、宇宙人の存在も霊界との交流も否定しません。シュメール人が宇宙から来たという説も、その一人がゾロアスターだったという説も、否定しないどころかむしろ賛成したいくらいです。
いずれにしろ、いずれもあるともないとも言えない話です。科学技術とはあるパラダイムのなかでの仮説の話ですから宗教とそう違わないと思います。

そういう立場から考えれば、いわゆる「陰謀論」のほとんどもまた否定はできません。
しかし、ある「陰謀論」を信ずるのであれば、それと反対の「見解」もまたきちんと受け容れないといけません。仮説として「陰謀論」を受け容れるのは世界を広げてくれますが、「陰謀論」の世界に絡めとられてしまうと世界は見えなくなるからです。同じように陰謀論を頭から否定するのも、陰謀論に呪縛されているのと同じですから、私の立場ではありません。

しかし、トランプが大統領にとどまるかどうか、バイデンが逮捕されるかどうかは、「陰謀論」の次元の話でありません。それは単に権力闘争の話です。
現実の政治制度は、ある仮説(前提)によって構築されています。その前提を議論しだしたら社会は成り立ちません。
トランプは「不正選挙」を問題にしていますが、「不正」が存在しない選挙などありません。完璧な制度も、制度運用も、そもそも存在しようもないからです。
それに、トランプもバイデンもつまるところは同じ世界の仲間ですから、どちらが大統領になろうと大した問題ではありません。
そんなことで世界が変わるはずもないでしょう。

にもかかわらず、もしかしたら世界が変わると私が思いたいのは、いかにも現在の世界が荒れ果てているからです。
人間の時代は終わったと思えてなりません。
萩尾望都さんの「百億の昼と千億の夜」の最終場面を思い出します。
神の実験は失敗したのかもしれません。

しかし、まだ可能性は捨てないで、今日1日を待とうと思います。

 

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2020/09/16

■もし「不死の薬」があったら、あなたは飲みますか?

一般には知られていないことですが、20世紀の最大の発明は3つあります。
生命体を透明にする薬、不死身になる薬、そして不老不死の薬です。

残念ながらちょっとした事故のゆえに、それらの発明は公開されないままに、いまはまだ埋もれていますが、事情通のフレドリック・ブラウンの報告書「未来世界から来た男」にその間の事情が書かれています。
せっかくの発明が人類みんなの財産にならなかったのもまた、よくある「ちょっとした勘違い」によるのですが、そこに神の配慮を感じないわけにはいきません。おかげで、私たちは、悪さもせずに、時々心身を痛めるドラマに悩みながら、生の退屈さから解放された、辛い人生を楽しませてもらっているのですから。

ところで、不死身になる薬がもし手に入ったら、みなさんはどうするでしょうか。
ほとんどの人は最初は飲みたいと思うでしょうが、実際に飲む段になった場合、躊躇するのではないでしょうか。
私はたぶん飲まないでしょう。
永遠の生などぞっとします。

永遠の生のおぞましさは、手塚治虫さんの「火の鳥」でも描かれていますので、手塚さんもたぶん飲まなかったでしょう。
私としては、もう少し長く生きて、「火の鳥」を完成させてほしかったですが。

話を戻せば、死があってこその生なのです。
死のない生は、退屈でしょう。

しかし、最近のコロナ騒ぎを見ていると、多くの人は死のない生を生きたいと思っているようです。
もしかしたら、不死の薬を飲むかもしれません。
私的に言えば、人間をやめたがっている。
だから人間でありつづけたい私とはコロナへの向きあい方が違ってしまうのでしょう。

ちなみに、フレドリック・ブラウンの報告書「未来世界から来た男」は、日本でも翻訳出版されています。タイムマシンの発明はかなり先になっていますが、そこから考えると、この報告書の真偽には少し疑いを感じますが。

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2020/04/15

■朝の空気が気持ちよかったです

今日は暖かな気持ちのいい春日和です。
新型コロナウイルスが世界を覆っているのが嘘みたいです。
久しぶりに少し歩いてみようと思い、近くの手賀沼公園に行きました。

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早い時間のせいか、まだ人も多くはありません。
ドラッグストアのマスクの売り出しも、最近は販売中止のお店もあって、並んでいる人もいません。
しかし、そんな知恵さえ働かなくなるほどに、みんなおかしくなっていたのです。

ウイルス騒ぎのおかげで、社会は少し良くなるかと期待していましたが、どうも今度は逆方向に動き出してしまったようです。
「外出禁止風潮」「人との接触を避けようブーム」。
まるで人間はウイルス以上に汚染された存在になってしまったようです。
誰かに感染させるかもしれませんと言われていることは、すでにあなたは感染しているかもしれませんと言われているわけですが、そういわれると動きが取れなくなってしまうわけです。
こういう状況が、かつて日本を戦争に向かわせたのでしょう。
困ったものです。

しかし感染した人の症状が急変して、死に至ってしまうこともあるという報道が、なまなましく伝えられると、私もいささか気の迷いが起きてしまいます。
テレビ映像のほとんどは一部を切り取って増幅させたものだと思いながらも、そういう事実があることも否定できないので、万一、自分がキャリアになって他者を死に至らしめたらと思うと、ここは「無責任」に自宅に引きこもろうかと思いたくもなります。

しかし、その一方で、ウイルス感染症とは別の理由で病院に通っている人も私の周辺にはいます。
その人たちにとっては、もちろんウイルス感染症も心配ですが、自らの病気も心配です。
私も身近にそういう人が複数いますので、ウイルス騒ぎよりもそちらに関心があります。
新型ウイルス感染症の致死率は決して高くはないと思いますし、死者数もとても少ないですが、みんなの目が新型ウイルスにだけ向けられるのが不思議です。
そうした問題を抱えている人が少ないのでしょうか。

がんの妻を見送った時のことが思い出されます。
みんなの「しあわせ」が、ちょっとうらやましい気もします。
しかし、ウイルス騒動の陰で、どれだけの「死者」が出ているのでしょうか。

手賀沼公園のベンチで座って、そんなことを考えてきました。
帰り道ではかなりの人と出会いましたが、ほとんどの人がマスクをしていたのが、私には異様でした。
こんないい空気をどうして満喫しないのでしょうか。
そんなことをやっていると病気になりますよと言いたい気分でした。

ちなみに今日は、誰にも話しかけずに、無言のまま帰宅しました。
娘に今回は手洗いはいいだろうと言ったら、ドアノブにも触っているのだから 手洗いは必要だと言われて、ちょっとがっくりしました。
わが家もかなり汚染されているようです。

いや世界中が汚染されてしまった。
ウイルスが浄化してくれるかもしれません。

 

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